村上春樹ファンのテレビ慣れ

毎年秋になるとニュースになる「村上春樹はノーベル文学賞を取れるのか?」。つまり毎年取れていないのですが、村上春樹本人はかなり迷惑がっている様子。そんな村上春樹と村上春樹の意思を無視するハルキストたちについて武田砂鉄さんが考察します。

「誰だよ、オマエ」とは思う

「アベノミクスに、もっと人の気持ちを盛り込んだユリノミクスを!」との奇怪なスローガンが聞こえてくる現状にあって、最も忘れられているのは「人の気持ち」であることがより明確になってきているのだが、与野党問わず、どんな「○○ノミクス」を提示する人も、突発的な選挙の風を読むのに必死なので、目が泳いでいる。そんな選挙報道が重なる中に挟み込まれたのが、カズオ・イシグロのノーベル文学賞受賞のニュース。しかし、あちこちで村上春樹の受賞を勝手に待ち構えていた「ハルキスト」と称される人たちの目はちっとも泳いでいなかった。確かな与党、動じない与党という感じの振る舞いだった。

「うーん、そうか、カズオ・イシグロかぁ」と頭を抱えながら、彼ならば納得です、と言わんばかりの余裕を見せる姿は、長期安定政権のごとし。今年のイシグロも、去年のディランも春樹さんと深い関係がありますね、などとコメントしている人もいて、連立政権を提案するかのごとし。決して口には出さないけれど(今、出すけれど)「誰だよ、オマエ」とは思う。

確実にテレビに映る場所に出かけていく人

そもそも、ココに行けば確実にテレビに映るという場所にいそいそと出かけていく人たちとは、一定の距離をとりたくなる。『笑っていいとも!』が始まると、スタジオアルタの前に集う人を映すのがお決まりだったが、携帯電話を耳にあてて誰かに「今、オレ出てるよ!」と伝えながら手を振る人が頻繁にいた。電話を受けた誰かは「うおー、マジだ!」と興奮するだろうが、おそらくそれ以外の数十万人規模でアナタのその姿を痛々しいと思っている。痛々しいと思われることを想像できていないのだとしても、想像できているがそれより電話で伝えたい意欲が上回っているのだとしても、一定の距離をとりたくなる。

このところ、「ハルキスト」と呼ばれる人たちはすっかりテレビ慣れしているように思える。毎年同じ人がインタビューに応じているわけではないが、ハルキストとしてのメディア対応が成熟してきた印象を受ける。ハルキストとしての自覚と成熟。一体、誰のための自覚と成熟なのだろうか。今回は、村上春樹がかつてジャズ喫茶を経営していた千駄ヶ谷にある鳩森八幡神社で開かれた「村上春樹氏の受賞を待ち望む『カウントダウンイベント』」(イベント紹介HPより)にメディアが殺到していたが、あらかじめ候補が提示されるわけでもないノーベル賞に対し、カウントダウンイベントを開くとはどういう心意気なのだろう。

「カズオ・イシグロさん〝も〟いい作家」

これまでは「受賞なるか」→「受賞ならず」というシンプルな構図だったのでハルキストの落胆だけが映し出されたが、今回はカズオ・イシグロという「長崎出身日系英国人」(朝日新聞)の受賞を受け、落胆するハルキストに意見を求めることになった。その結果、毎年、テレビの前で必死に抑えていた「誰だよ、オマエ」があちこちから噴出することになった。テレビに流されたハルキストの声を正確に覚えているわけではないので、活字メディアに掲載された声を拾うことにする。下記に並べた声は、実際の記事では全て氏名・年齢が具体的に記されている。つまり、取材を受けた後に、記者が氏名・年齢を確認し、いわゆる「ハルキスト」の見解として公開されるけれど構わないか、という承諾を得た上での見解なのである。

「カズオ・イシグロさんもいい作家。村上さんもいつかは取ると思うので、楽しみにしていたい」(40代男性・東京新聞)
「イシグロさんが評価されるということは、春樹さんにもチャンスがあるということ。来年に期待します」(20代女性・日刊スポーツ)
「受賞しても全くおかしくない作家」(40代男性・時事通信社)
「実力から考えると、受賞に驚きはない。日本にルーツのある人が受賞して誇りに思う」(40代女性・毎日新聞)

取材した後に記者がコメントをまとめるので、本意ではない可能性はあるが、このコメントに共通する、「カズオ・イシグロ〝も〟受賞にふさわしい」との見解を投げられる姿勢に驚く。

村上春樹「『ハルキスト』という呼び方が好きではありません」

その場に参加すれば、確実に「ハルキスト」と呼ばれてしまう場所に出かけていく人は、本当に村上春樹に心酔している人なのだろうか。別に心酔していなくても構わないけれど、心酔していますとあちらからアピールしてくるので、検証したくなってしまう。たとえば、ある宗教の信者は、教祖の言うことを遵守する。「○○を食べてはいけない」と言われれば、それを食べようとはしない。村上春樹は、読者からの質問に答えた本『村上さんのところ』(新潮社)の中で、「ハルキストについてどう思われますか?」との問いに「『ハルキスト』という呼び方が好きではありません。最初からなんだか『ちゃらい色つきフィルター』がかかっているような響きがあり、僕はその呼称を採用しておりません」と断言し、明確に嫌がっている。

村上春樹原理主義者は、本人がこれだけハッキリと「ハルキスト」という呼称を嫌がっているのに、なぜ「ノーベル賞文学賞にカズオ・イシグロさん ハルキスト落胆のち拍手」(毎日新聞)などと報じられると予測できる場に出向くのだろう。原理主義的な宗教観には、乱暴な言動が少なからず存在するが、「ハルキストとの呼称に違和感を覚える40代男性が『春樹さんが嫌がってんだぞ、マスゴミめ』などと叫びながら記者の胸ぐらを掴み、渋谷警察署に連行……」といった報道は聞こえてこない。春樹が嫌がるハルキスト報道が作られる場所に出向く春樹ファン、ってどういう心境なのだろうか。

春樹の気持ちを盛り込んだハルキストを

たとえば、AKBなどのアイドルグループには、本人や事務所が一切公認していない、プライベートやライブの模様を隠し撮りした写真集が発売されたりしているが、その写真集を購入していることを表立って宣言するファンっていないと思う。表立っているハルキストって、なんかちょっとそれに近い感じがする。もしかして大して好きじゃないんじゃないか、という疑いも確かにあるけれど、ファンの度合を計測するのってなかなか不毛ではある。

こういうところに集う人って、たとえばアップルストアの新商品発売初日に店員とハイタッチできるタイプではないかという偏見も浮上しているのだが、映像を見比べたりせず、偏見に留めたい。ただし、「カズオ・イシグロさん〝も〟いい作家」と言われれば、当方、村上春樹の良き読者でもないけれど、「もっと春樹の気持ちを盛り込んだハルキストを!」とは言いたくはなる。繰り返すけれど、村上春樹はハルキストとの呼称を歓迎していないのだ。教祖からの訓示を無視する信徒が「原理主義者」として立ち振る舞う矛盾が、秋を重ねる度に自信満々に踏みつぶされている。

(イラスト:ハセガワシオリ


「日本のタブーと不謹慎を語りつくす」森達也 × 武田砂鉄 トークイベント

日時:2017年10月19日 (木) 19:00~20:30 開場18:30
出演:森達也、武田砂鉄
会場:青山ブックセンター本店 小教室
料金:1350円(税込)
問合せ:03-5485-5511
http://www.aoyamabc.jp/event/fake/

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この連載について

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ワダアキ考 〜テレビの中のわだかまり〜

武田砂鉄

365日四六時中休むことなく流れ続けているテレビ。あまりにも日常に入り込みすぎて、さも当たり前のようになってしったテレビの世界。でも、ふとした瞬間に感じる違和感、「これって本当に当たり前なんだっけ?」。その違和感を問いただすのが今回ス...もっと読む

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コメント

friday1942 #スマートニュース 約1時間前 replyretweetfavorite

estoynaomiendo ちょっとだけ身に覚えが…。 約1時間前 replyretweetfavorite

itoq  まさに。 約5時間前 replyretweetfavorite