グレゴリウス改革からシリコンバレーまで

そして産業は修道院で生まれた


ピエール・ミュソー(Pierre Musso)

レンヌ第二大学名誉教授
著書 La Religion industrielle. Monastère, manufacture, usine
(産業宗教、修道院・手工業所・工場)がパリのFayard社系列より2017年刊行。


訳:樫山はるか



 「企業を社会の中枢に据える」エマニュエル・マクロン氏が声高に唱えているこの構想は、一般的に現代の新自由主義とみられている。だが実際には、この構想は長い歴史の帰結なのだ。13世紀に修道院で始まった、作業と時間の合理化の歴史、産業発展による救済を共有の信条とする感化の歴史である。[フランス語版編集部]

Denis Gadenne——修道院ノートルダム・ドゥ・シトー、聖ベルナール作業場のブラザー・ピーとブラザー・マルセル、1958-1960


 4月の選挙キャンペーンの演説で、エマニュエル・マクロン氏は断言していた。「真の改革、それは効率性です」。この言葉に必死に執着する政界の人々。彼らは、政治家の専門家集団化と国民主権のもと建前上の政治基盤の弱体化という二重の危機に直面している。それ以来、彼らは企業家たちの世界で助けを探し求めている。ベンチャー企業への絶え間ない称賛、企業への愛の告白そしてシリコンバレーへの崇拝はそのせいだ。しかし効率性を何に役立てるのか、そして我々はこの希求を基に会社を設立することができるのか?

 これに答える代わりに、西洋が彼ら自身を対象としている人類学的眼差しを追っていくと、1800年以降に起こった産業化にたどり着く。しかし、あれほどの産業革命を推し進めるにあたっては、その前に、超越した存在を完全に排除し、創造し生産する人間を尊しとする世界観を共有する必要があった。私達が《組織的勤労化》と名付けるこのプロセスが、産業化に先行してキリスト教の母体内部に収まり、現世的な宗教の基礎を作った。

 産業宗教の系譜は三つの分岐点の果てに西洋に広まった。一つ目はグレゴリウス改革で、12世紀から13世紀に、工場の前身である河川沿いの水車による粉砕技術の変革で《第一次産業革命》ともいわれる。二つ目は、現代科学の誕生と、発展の名のもと《我々は自然の主人にして所有者となる》というルネ・デカルトの哲学だ。三つ目はさらに重要で、1800年の産業人が選んだ道と、《新キリスト教》の現世志向と科学性を併せた再編である。各分岐点において《組織的勤労化》は変容し、それを具現化する生産組織も作り直された(修道院、製造所、工場そして会社というふうに変わっていった)。これらの各組織では、労働に意義を与える信仰と、共同体を組織する規則が結びつけられた。

 瞑想の、教養の、しかし同時に労働の場でもあった修道院で全ては始まった。ベネディクトゥスの会則に従って、共同体は何時間もの厳粛な儀式により、祈り(ora[訳注1])の中で心を一つにし、手作業(labora[訳注2])を組織化した。教会の塔に13世紀頃から定着し始めた大時計が、より《効率的》になることと、祈りのための時間を空けることを可能にした。修道院は、時間の計算と計測により受肉の秘儀(1)を合理化と結びつけた組織であった。このように、大時計は常に西洋産業の歴史と共にあり、作業場や居住地における労働にリズムとテンポを与えていたのだ。今日では、コンピューター、スーパー計算機そして超高性能時計がそれに取って代わっている。

世界でも最も古い多国籍企業

 修道院制度では、祈りと瞑想を完成させるための助けとして労働の価値を認識していた。労働は、苦行の手段、怠惰の防止、生産的活動そして施しの義務に応えるもの、これら全てを兼ね備えている。今日でも、ベネディクトゥスの会則による集団生活の規律正しい運営はマネージメントの模範になる、と一部の経済界の人々が、ベネディクト会修道院を効率的な組織管理の先駆者とみなしている程だ。そういう訳で、2001年に共同で研究所「意義と発展」を設立したベネディクト会修道士であるドン・ユーグ・マンゲは明言する。「ベネディクト会修道院制度はおそらく世界で最も古い多国籍企業でしょう。私達の《修道士的経営管理》技術——ベネディクトゥスの会則——が機能的であることの証明です(2)」。

 11世紀の終わりに、貨幣の流通が加速し交易が拡大すると、修道院の組織も変化していく。二つの主流なモデル、クリュニーとシトーが対立した。最初に繁栄したのはクリュニーで、彼らは商業活動を拡張し修道士の生活は豪奢だった。しかし間もなく順位は逆転する。贅沢と蓄財による慢心に寄進者が背を向けたのだ。シトーでは贅沢を拒みほとんどお金は使わなかったが、同時に資産は増え続け、修道士の禁欲生活とは対照的な富が生じた。そこには生産に必要なインフラが全て整備されていた——排水網、水車小屋、工事現場に通じる特設道路、作業場、鍛冶場、ぶどう圧搾機、貯蔵倉、家事に従事する助修士の住居——これらが大修道院を《製造所》にしていた。

 経済活動とは相反する祈りの場でしかなかったはずの修道院が、《生産センター》となった。手工業とその後の工場の原型である。シトー会、フランチェスコ会は同様に《経済的思想》と《技術的活動》の誕生に貢献した。12世紀になるとシトー会修道士の生産精神が、13世紀にはアッシジの聖フランチェスコの信奉者による商業精神が開花した。シトー会はヨーロッパ中に新しい文化、技術、商業ネットワークを普及させた。フランチェスコ会は高利貸を禁じたが、商人に流通する金銭、交易や投資のための金銭は禁じず、市場を合理的に体系化し、経済主体が富を再投資することの有用性を認めていた。かくして逆説的なことに、産業精神はそれとは対照的な人物、すなわちべネディクトゥス会の司祭によって、あるいはシトー会やフランチェスコ会の清貧信仰によって形成された。

 二つ目の分岐点は、16世紀の宗教改革と科学革命とともに起こった。内在する卑金属から貴金属への変質を探求する錬金術が描いたように、自然は受肉の秘儀を受容して《大いなる存在》となる。それまで神と一体化していた自然観さえ変わった。人間はもはや自然の一部ではなく自然の上位に立ち、自然を数学的方法を用いて把握することに専心する。1620年から1630年頃、機械論という新しい世界観が打ち立てられる。知ることはもはや黙想によってではなく実験と加工によってなされるのである。思考とは為すこと。産業という宗教の予言者である哲学者フランシス・ベーコンは《産業によって自然は支配される》べきであると言った。この理念は1660年にロンドンで設立された英国王立協会によって実現されることになる。

 《組織的勤労化》から産業化への変容に先立って、1750年頃に大きな転機があった。それは、経済学の誕生と、自由主義的産業人、重農主義者(彼らにとって全ての富は大地から生じる)や重商主義者(彼らは貿易を最優先する)の対立だ。

 この背景には二人の偉大な哲学者、ジャン=ジャック・ルソーとデイビッド・ヒュームの重大な対立があった。ルソーが、その仕事により自己の成長となるような労働を支持したのに対し、ヒュームとその友人アダム・スミスは、労働あるいは分業体制化された手工業所がこの世の富を創るとして産業を擁護した。ヒュームは『政治論集』(1752年)の中で、「すべての現実の力と富は、国民の勤労精神を活発に保ち労働の資質を高めることにある」と主張している。

 《組織的勤労化》の三つ目の分岐点は、19世紀と20世紀の二度にわたって起こった。1830年頃の産業革命では科学技術信仰が表明され、1880年から1940年の経営管理革命では労働組合法が定まり、工場と会社が固く結ばれた。哲学者オーギュスト・コント(1798-1857)は、新しい《偉大なる存在》すなわち人類に対する信仰に受肉の秘儀を転用し、人類教を設立して自らその大司教となった。1848年には、若きエルネスト・ルナンが「人類を科学的に組織する(3)」ことを夢見る……。

 工場が増加するなか、初期の社会主義者たちは新たな宗教を表明する。アンリ・サン=シモンは言った「産業と科学の体系は神の原理の営みに他ならない」(1821年)。全能の創造者はもはや天上の神ではなく、自己完結した人間自身なのだ。地上の理性的な宗教というファウスト的世界観は、進歩と最良の未来という約束を行動原理とする。シカゴ万国博覧会(1933年)では、この信仰の劇場化が見られた《科学が発見し、産業が応用し、人間が順応する》。

 1900年代頃には、特にフレデリック・テイラーとアンリ・ファヨールのような技術者たちが考案した経営学によって産業という宗教は規範を得た。1909年4月に『The Engineering Magazine』において称賛された『能率という福音(le gospel of efficiency)』では機械工学への絶対的信仰がうかがわれる。1941年、トロツキスト運動の指導者だったジェームズ・バーナムは『経営者革命』(4)を出版し、フランスではレオン・ブルムの序文付きでレイモン・アロンによって刊行された。著者はこの本のなかで、経営者と企業の影響力が社会主義や資本主義の影響を上回ったとしており、企業は二度の大戦で衰弱した国家や政治家より優勢であり、企業経営者の権力が政治家の権力に置き換わるべきだと主張している。この見解はウィリアム・ゴドウィンやピエール・ジョゼフ・プルードンといった無政府主義者の間で練り上げられたものだが、それ以前にもサン=シモンが「政治の真価とは生産手腕にある」と断言していた。

 第二次世界大戦後、サイバネティックス——コンピューターを使い効率化を目指す学問——が経営管理と結びつく。サイバネティックスは今日の金融マーケットのように、人間とマシン、脳とコンピューターを比較し、数値データとアルゴリズムを使った機械的運営による人間の統治を目指していた。策尽き果てた政府は、経営管理教義とサイバネティックスが結びついた——サイバー経営管理——絶対的合理性を意思決定に取り入れることを主張するに至った。ルナンの夢は実現し、サイバー経営管理は人的管理と物的統治における唯一の方策として定着した。

 こうして企業は新しい重要な組織となり、物質的・知的生産の中心的存在となった(あまりにも早く社会的経済組織となってしまったため、その政治的・文化的な側面はしばしばなおざりになっている)。アントニオ・グラムシは「国家の覇権は工場で生まれる」と言っていたが、サン=シモンはすでに1817年に「国家を広大な生産作業場と考えよう(5)」と公言していた。このヴィジョンを、《ベンチャー国家(6)》を設立したがっているマクロン氏が復活させようとしている。経営管理のニュースピーク[訳注3]を政治に持ち込んだり《フランス株式会社》の社長である人物の背後には、産業という宗教が勝ち誇っているのが見える。

 このように、キリスト教の西洋文明では、一つの信仰の後にまた別の信仰が現れた。政治と国家の神聖化は表舞台を独占したが、両者が《脱宗教化》だの《非神聖化》だのと奮闘している間、舞台裏では宗教の変容としての《非脱宗教化》が成長していた。修道院の塀の内側で長い間温められてきた産業宗教は、2世紀前から続いているさまざまな産業革命を機に華々しく姿を見せ、現在のデジタル革命でその頂点を極めている。

 フェイスブックの創業者マーク・ザッカーバーグ氏は、最近のハーバード大学でのスピーチで世界に向けたプロジェクトについて語った。彼は目的感を与える企業コミュニティを提唱する。「目的感とは真の幸福を創るもの(……)私はそのための三つの方法をご紹介します。人々に目的を与えるプロジェクトを企画すること、平等の意味を再定義して誰もがその目的に参加する自由を持てるようにすること、そして世界にまたがるコミュニティを創ること」さらに「私達はみな企業家精神を持っています(……)。素晴らしいことです。この企業家文化によって私達はみんな前に進んでいくことができるのです」(7)

 ザッカーバーグ氏が世界を方向付けようと彼のヴィジョンを輸出しているとき、不思議な行き違いで、マクロン氏は政治を刷新しようと企業の論理を輸入していた。シリコンバレーの導師の一人である、グーグルの出資によるシンギュラリティ大学の創設者ピーター・ディアマンディス氏は、この主導権の交代について「私は、政治家あるいは、政治そのものの影響力より企業家の影響力を信じています(8)」と明言する。《シリコンバレー主義》は産業に吸収される政治の最終的な変化形《リベラル無政府主義》の具現化なのだ。





(ル・モンド・ディプロマティーク2017年7月号)