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ゆとり男とミニマリストの融合ブログ

ゆとり世代のミニマリスト。ミニマリストネタを基本につぶやく雑記ブログです。

専業主婦の記事がなかなか好評だった事と、僕たちや社会が何をすべきかの話

 

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どうもたんたんです。

 

今日はお休みです月に一回のおばあさん家にいる犬のシャンプーという事で毎度のことながら近くにある大型ショッピングモールにあるフードコートにいます。

 

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今回は税込100円のカフェオレをお供にダラダラスマホでブログを書いています。

 

てか、よくよく考えたらカフェオレも牛乳使ってるから炎上するや〜ん

 

まぁいいとします。

 

専業主婦に関する記事がなかなか好評だった

 

そういえばこの間書いた記事が結構な反響をもらいました。

 

専業主婦を続けることはリスクじゃないかなって既婚男性は考える - ゆとり男とミニマリストの融合ブログ

 

ぶっちゃけこの記事を上げるときは燃えそうと思ってはいました。

 

 

と予言をされた方もいましたが、思った以上にそうではなかったですね。

 

逆にどっちかが稼ぐ力を持っていない事は危機を感じる人が結構いました。

 

 

もちろん風潮的に女性が家事や子育てをするものだという高度成長期の価値観が強く残っている部分もあります。

 

そろそろ「女性が家、男性は外」みたいな固定概念は取っ払ってお互いが家族の構成員として、一緒にやっていくみたいな流れになって欲しいです。

 

女性がずっと家にいないといけない状況を作っている旦那にも問題があると思うし、稼ぐ力を持たないまま夫の稼ぎに依存してしまうのもやっぱり脆いのかなって考えています。

 

 

今回のコメントでよく見えたのは「子育て夫婦を支える仕組みと雰囲気の劣悪性を訴えてる」だったような気がする。

 

専業主婦文化に関しては意見が結構割れる部分なのだけど、世の中の流れ的にはお互いが自立するという方向性に向かっていっているのではないかと思っている。

 

もし収入源が夫の稼ぎ一本だったら、夫に何かあった時に野垂れ死にしてしまう。

 

昔はそれを保険でカバーしていたけど、今はそんなことせずにお互いが働くことによってリスクヘッジになるのではないかと思う。

 

実際お金のフローが止まらない限り生活できるわけだしね。

 

どっちかが倒れた時にまだ傷が浅いように対策をすることが愛情なんじゃないだろうか??

 

お互いが働いて家事や子育てをこなす。これでいいのではないだろうか?

 

もう少し子育て家族に対しての保障を厚くしてもいいと思うし、その為の増税なら受け入れたい。

 

そういうと女性側が男性だけ楽しているみたいな意見が出てくるかもしれない。

 

そりゃ女性は自分の体から子供を産むわけだし、育休や産休をとったりするわけだし。

 

でも全てを平等にすることなんか不可能だ。まぁそれでも男性の育休の取得のしやすさや育休や産休の間の全額の給料の保証はするべきだと思っている。

 

子育て家族への社会的な保障をしっかりしてくれるなら増税は大賛成だ。

 

実際に今の社会的な問題の根本には少子高齢化があるわけで、子育てがしづらい環境が大きく関わってると思う。

 

でも今の税負担じゃそこまで大した保障が期待されないなら、税を今より多く負担するというのが一番の解決手段だ。

 

手厚いサポートを受けたいなら税を今より多く負担する。これは基本だと思う。

 

それをすっとばして今の税率で質の高いサービスを求めるのは理不尽なクレームなような気がする。

 

もちろん税金の使い道を整理するのはもちろんだけど、結構今の感じが精一杯な気もする。

 

税率を今のままにして、企業の内部留保に手を出そうとしているのもヤバイ。

 

その企業や個人の財産に手を出すようなものだ。そう考えると強者は生きづらい世界になる。

 

そう考えるとキリがないのだけど、僕的には子育て家族への支援を手厚くして欲しいという思いがある。

 

その為の増税なら受け入れるが、そうじゃないなら反対かもしれない。

 

共倒れしないシステムを作って、そこで補えないところを社会が保障するべき。

 

でもまずは夫婦で共倒れしないようにどっちかが倒れても収入源が途絶えないシステムを作るべきだと思う。

 

それをせずにどっちかの収入源に頼り切って、もしもの時に生きていけなくなってしまったら言い訳もできない。

 

出来ることをせずに不幸になるのはやっぱり個人の責任だと思っている。

 

出来ることをやってそれでも救われない時のためにに社会という受け皿がしっかり機能する国を作って欲しいと思う。