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【スポーツ】

まるで王子様…超イケメン 難手術乗り越えた“奇跡の子”

2017年9月13日 紙面から

スイーツ男子 今年2月、宮崎キャンプのオフの日に会ったときのひとこま。スイーツが大好きなサチは、好物を手にしてはにかむような笑顔

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◇ふみトーーク第8回・オリックス山崎福也

 王子様と言いたくなるような、かわいい顔をしているサチ。高校入学前、成功の可能性が10%という難しい脳腫瘍の手術を乗り越えた“奇跡の子”は、高校、大学と活躍し、ドラフト1位でプロの門をたたいた。本紙みんなのスポーツ中学硬式野球担当の瀬川ふみ子記者(46)が、取材を通じて知り合い追っかけてきた選手の素顔を紹介する第8回は、オリックスの山崎福也(さちや)投手(25)。

 「山崎福也」で検索すると“かわいい”って出てくる。球界の王子様って言ってもいいぐらい(笑)。そんなサチを初めて見たのは中学の所沢中央シニア時代。ヒョロっとしていて、一塁を守っていました。投手もやってましたが、安定した好投手がいたので、サチは2番手。性格的にも控えめで、みんなの後ろでニコニコしている感じ。童顔でかわいらしくて…当時は少し弱々しくも見えたので、強豪の日大三に行くと聞いたとき「大丈夫かな~」って心配になったのを覚えています。

 サチのことを書くに当たって、触れないわけにはいかないのが中学3年のときに経験した大病のこと。高校入学前の健康診断で、母・路子さん(55)が「せっかくだから全身の検査をしておいたら?」と何げなく提案。MRIを撮ったところ、前頭葉に影が映ったそうです。神経をつかさどる大事な部位に4・2センチの腫瘍。詳しい病名は「小児延髄上位腫」といい、このままだと余命7~8年…。路子さんは「頭が真っ白になってしまって何も手につかなくなってしまった」と言い、サチも「僕は死んじゃうのかな」と思ったそう。

 難しい手術で、なかなか執刀医が見つからない中、路子さんは病院を探しまわり、ついに北海道大学病院の名医が執刀してくれることとなり…。でも、成功の可能性はわずか10%。ということは成功しない可能性が90%…。そんな中、08年3月21日、意を決して手術に挑み見事成功しました。

 路子さんいわく、「福也はその先生から“奇跡の子”って言われたんですよ」と。私からすると、路子さんが何げなく「脳の検査もしておこう」と提案したことも含めて奇跡だなと。今でもその話をすると、路子さんは涙を浮かべます。

 再発の不安もありながら高校野球をスタートしたサチは、日大三に入って少しずつたくましくなり、2年夏には一塁手として甲子園に出場。3年春にはエースで5番打者としてセンバツに出場し、投打に活躍して準優勝に導きました。

 その後は明大に進学。練習や試合を見にいく中で感じたのは、優しくて、気配りも素晴らしく、ほんとにいい人ってこと。あの優しそうな顔からにじみ出るまんまなのです(笑)。ただ、甲子園で活躍したことで名前も知られ、さらにはイケメンということで、注目も人一倍。神宮球場ではサチ待ちのファンも多く、サインも行列。それに一人一人、丁寧に対応する優しいサチを見て「えらいなぁ」と思う一方、「大変そうだなぁ」と心配になったりもしました。それでもサチは、いつも“神対応”でファンに応えていました。そして野球の方でも頑張って結果を出し、エースへと駆け上がっていきました。

 大学での4年間、いろんな話をしてきた中で、印象に残る話が2つあります。一つは「プロ野球選手だった父を超えたい」。父の章弘さん(56)は兵庫の育英高からドラフト2位で80年に巨人に入団。捕手として期待されながら、当時は山倉和博らがいてなかなか出場機会に恵まれず、90年に日本ハムへ移籍し、91年限りで引退しています。引退翌年の92年に生まれたサチは、父の背中を追って野球をやってきました。大学4年の時など結果が出なくて苦しみましたが、それでもサチは強かった。そして、しっかりドラフト1位指名を受けました。あの時は私も「お父さんを今の段階では抜けたねー」「やっと夢のスタートラインに立てたー」って泣けました。

 もう一つは、運命や使命について。「自分はあのとき死んでいてもおかしくなかったんです。でも、いろんな奇跡が重なって生かされたというのは、意味があることなんですよね。きっと神様が『おまえには野球がある。野球を本気で頑張って、同じような病気で苦しんでいる人を勇気づけたり希望を持たせてあげなさい。それができる人間だから、これからも頑張って生きなさい』と言われてるのかなって。これが僕の運命というか、神様から与えられた使命なのかなって時々思うんです」。そんな話をしてくれたことがありました。

 大学2年の終わり、サチは手術して5年を迎えました。毎年行ってきた再検査は、5年目も異常なし。「大丈夫でした」と報告してくれたサチのほっとした顔、忘れられません。サチとは真剣な話も、そうじゃない話も、いっぱいしてきました。時に「こんなイケメンでかわいい顔に生まれてきて良かったね~」といじってやると、「この顔イケメンじゃないっすよ~。かわいい顔とは言われるけど、かわいいよりかっこいい顔に生まれたかったな~、アハハ!」って。私からすると球界でも1、2位を争う“かわいい顔”で、“王子顔”だと思います(笑)。

 プロ入りして今年で3年目。ローテに入れている時期もあれば、外れる時期もあり、二軍の時期もあります。そんなサチは、「ふみさんだったら気を使わないで何でも話せるー」とよく連絡もしてくれます。真剣な話からくだらない話まで、いろいろ話して最後に決まってサチに言うのは、「頑張りすぎないでね~」「息抜きしなよ!」「人に気を使いすぎるなよ~」ってこと。表でニコニコ、陰で苦しんでってことも多いだけに、私ぐらいはそういうアドバイスを送ってもいいかなと。

 肩の力を抜きつつ、いつまでも子どもたちや病気の人たちに夢や希望を与えられたらなって思っています。でも…何度も言うけど、“神対応”もいいけれど、気遣いのしすぎには気を付けてね~!(笑)。(瀬川ふみ子)

◆ベッドの上でテレビ観戦

 サチの2歳年上の兄である福之君は、埼玉・聖望学園の選手として2008年春のセンバツ甲子園に出場しています。その大会で聖望は、サチがいた日大三と同じく準優勝しました。

 このときの福之君は、サチに大きな勇気を与えていました。初戦は3月23日。サチが脳腫瘍の手術を受けた2日後でした。サチは病院のベッドの上で、まだ意識がはっきりしない中、兄の試合を見たといいます。そして、「絶対ここにいくんだ」と思ったそうです。手術直後に兄が甲子園で試合をしていて弟をプレーで励ますというこの巡り合わせもまた、神様がそうさせた奇跡なのかなって思っています。

◆投球のノウハウ教わった 明大・善波監督に感謝

 今春のキャンプでサチに会ったとき、ふと「これまでの人生の中で、サチに影響を与えた人って誰?」と聞いてみたら、「(明大の)善波監督ですね」と即答しました。

 高校時代、投打で結果は出したものの、「プロ野球選手になる」という目標にはあまり自信を持てないまま明大へ進学しましたが、そこでピッチングのノウハウすべてを教わったのが善波監督であり、周りのスタッフの方々だと言います。「それだけじゃなくて、社会に出てから必要なこともいっぱい学ばせてもらいました」と話してます。

 感謝の気持ちでいっぱいだというサチは、節目ごとの監督へのあいさつや連絡を欠かしません。時に、「監督がいろいろしてくださったのは、監督の家族の支えがあったからこそ」と、監督の奥様への気遣いまで…。「さすがサチ!」とほめると、「みんなに支えられてここまで来ることができたと本当に感謝してるので」とサチ。かっこよすぎます!

 <山崎福也(やまさき・さちや)> 1992(平成4)年9月9日生まれ、埼玉県所沢市出身の25歳。188センチ、88キロ、左投げ左打ち。大学時代は東京六大学で20勝10敗、大学3年時には春秋連続でベストナイン受賞。大学JAPANとしても活躍。ドラフト1位で15年にオリックス入団。ここまで3年間の通算成績は8勝12敗。

 

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