リクストリーム管理人の元警察官・桜井陸です。
みなさんは父親の仕事についてどう思っていますか?
僕は父の仕事がとても恥ずかしかったというのが正直な気持ちです。
結局僕は父親が退職するまで誰にも父の仕事を説明することはできなかったのですが、今日はそんな父親の仕事についてお話しします。
父は自営業だった
僕の父親は自営業でした。
今はようやく仕事名が分かったので説明するとグラフィックデザイナーという職業になります。
広告代理店でCMや雑誌のデザインをしていたのですが、辞めてフリーデザイナーになったのです。
父の職場は小さな事務所だった
父は主要駅近くのマンションに小さな事務所を構えて一人で仕事をしていました。
父は毎朝、ジーパンにセーターなどの普段着を着てボロボロの原付バイクに乗って出勤します。
僕は幼いころから母に「お父さんはグラフィックデザイナーだよ」と聞かされていて、父も自分がデザイナーだと自慢していましたがどんな仕事なのか想像もつきません。
家には画集がたくさんコレクションしてあり、父は夕食時に酔うとルノワールやゴーギャンといった画家の話を延々と語りましたがそれも意味不明で嫌でした。
母は「お父さんは美術大学を卒業して独立したすごい人なんだから。お父さんはすごい人なんだよ」といつも僕に自慢するのですが僕は何がすごいのか分からず、美術大学の存在も知りませんでした。
同級生からも馬鹿にされる
僕は中学や高校生時代に父親の仕事を友人から聞かれた時に「グラフィックデザイナーだよ」と答えたら笑われたことが何度もありました。
「お前の親父は怪しいデザイナーなのか」と馬鹿にされて言い返せなくなったことが何度もありました。
グラフィックデザイナーなんて職業は周りに誰一人いないのです。
デザイナーってインチキな仕事なのか。
サラリーマンみたいにスーツを着て大勢の社員がいる企業で働くお父さんが良かった。
僕は父が退職するまでずっと思っていました。
それだから僕は警察官というみんなが知っていて誇れる仕事を選んだという部分も多少はあります。
父の小さな仕事場に行った日
僕は小学生の時、父の事務所に呼ばれて一度だけ遊びに行ったことがあります。
あれは父なりの職場見学だったんですね。
マンションの1室に借りた1LDKの小さな事務所にはカラーコピー機や写真現像機などが置かれており、父は自慢気に「おい、このコピーはすごいんだぜ。顔を写してみろよ」と言われたので自分の顔をコピーして遊んだ記憶があります。
僕は子供らしく喜んだフリしていましたが内心は嫌でした。
お父さんはなんの仕事してるんだろう。
こんな小さな部屋で働いてカッコ悪いなあ。
友達には余計に父の仕事を言えなくなりました。
経営が傾き始める
先ほど父は退職したと説明しましたが、自営業なので退職というのは倒産という意味になります。
得意先の会社が傾いて仕事がほとんどこなくなり、30年ほど働いた事務所を閉めたのでした。
事務所を閉めたのは私が大学を卒業した翌年でした。
昔から父は帰宅するとすぐ事務所に電話して、留守番電話に入ったクライアントの留守電をいつも確認していました。
僕が小学生の時はその光景を見ても意味が分からなかったのですが、高校生の頃になると父が留守電を聞いて「ちくしょう。またダメか」と呟いているのを見て、僕も「あ、これは仕事が悪い方に傾いてきてるな」と分かるようになりました。
父は私が大学生のころには何度も家族全員を海外旅行に連れて行ってくれました。
大学だって行かせてくれて下宿先の家賃も払ってくれて仕送りもしてくれて、いま考えると本当にすごい人なんですよね。
それでも僕はそんな父の偉大さが分からなかったんです。
デンツーという謎な企業
父の会社経営が傾いてきたころ、母はよく父に
「パパはデンツーに行けば楽できてよかったかもね」
と言っており、父は
「ゼミの先生に紹介してもらったら入れたんだけど俺はそういうの苦手だったし、フリーの方が稼げたからさ。」
と意味不明な会話をしていました。
なんだよデンツーって。
意味わからないこと言わないでサラリーマンになればよかったのに。
友人に話しても「デンツーって電気通信の会社かよ」と笑われました。
それでも僕は父が怪しいデザイナーの仕事をするより無名企業のデンツーで働く方がマシだと思っていました。
私はずっと父の仕事が不満でした。
本当に父親の仕事が恥ずかしくて恥ずかしくて、どんなに可愛がってもらっても「あの妙な仕事をしている人だからなあ」と尊敬できませんでした。
そして、ついに事務所を閉める日がやって来ます。
父は事務所を閉める時も男だった
父が事務所を閉める日、母は父と一緒に事務所に行き掃除や片づけをしました。
そして空っぽになった事務所のドアに最後のカギを閉める瞬間、父は母に向かっておどける顔をしたそうです。
母は数年後、私に言いました。
「お父さんは最後まで男だったよ。事務所のドアに最後の鍵をかける時、私におどける顔したんだから。」
私はこの時に父親の無念さを想像しました。
30年以上も働いた事務所を閉める瞬間、どんなに無念だっただろう。
自分の夢が詰まった事務所のカギを閉める瞬間、どんなに悲しかっただろう。
自分自身を結集してきた会社が無くなった瞬間、自分が存在しなくなってしまうんじゃないのか。
私みたいな男には想像もつきません。
そんな時、母に向かっておどける表情をした父はきっと悔しくて泣きたかったんだろうなと感じました。
そして最近、電通の社員が過労で自殺するというニュースを観ました。
父は
「電通は忙しいけど給料良いからなあ。あそこはこんなにブラック企業じゃないんだけどな。」
としみじみと語り母もウンウンと無言で頷きます。
デンツーってこの電通のことだったのか。
お父さんはこの電通に入社するレベルの人だったのか。
僕は父のすごさを知りました。
最近でこそ電通の知名度は日本中に広がりましたが、5年前でもほとんどの人が電通の存在を知りませんでした。
グラフィックデザイナーなんて仕事も最近でこそ知られるようになりましたが、知名度がほとんどない業種でした。
そして父は友人に電通や博報堂など有名広告代理店の人が多く、父はその人たちに負けず劣らずたった一人で肩を並べて仕事をしている男だったのです。
父の仕事を知る
以前テレビでグラビアモデルの撮影風景を観た時に父は笑って言いました。
「女優って現場まですっぴんで来るんだけど、すっぴんはもうひどいんだから。でも化粧したら別人になるんだぜ。あれが魔術だな。シャッター押すときは表情が何パターンもあってさ」
父はそんなすごい仕事をしていたのかと驚きました。
恥ずかしいことなんてどこにもない、本当に本当に立派な仕事だったんです。
グラフィックデザイナーって本当にカッコいい仕事だったんです。
それどころか恥ずかしい仕事なんてどこにもないんですよね。
家族を養ってくれている父親に感謝するのは当たり前で、恥ずかしいなんて思う気持ちが間違いなんです。
父は事務所を閉めると田舎町にある小さな広告代理店に再就職しました。
父はその小さな広告代理店に勤め始めると私たち家族に
「いやー、あんな楽な仕事ないよ。雇われるって最高だな」
とニコニコして語ったのでそれも本音だったんでしょう。
自分でクライアントから仕事をもらう忙しさは僕に想像もつきません。
そして僕が警察官となって生活も安定してきたころ、父は会社を定年退職します。
2度目の退職ですね。
でも今度の退職した日は会社のみんながお祝いしてくれて記念品を貰い、父は送別会でお酒に酔って嬉しそうに帰ってきました。
父の表彰状
父が退職する数日前、私の嫁が私に言いました。
「ねえ、陸ちゃん。お父さんに表彰状あげようよ」
表彰状?
そうか。そうだよ。
親父はようやく仕事を卒業できたんだよな。
僕はパソコンで生まれて初めて表彰状を作りました。
そしてタイに行きたいと前々から言っていた父にタイ旅行往復チケットという手紙を作り旅行代金を用意しました。
父に初めて心からお疲れさまと言えた日
嫁と一緒に実家に帰省した日、僕は父に感謝状という題名の表彰状とタイ往復チケットを渡しました。
家族みんなが拍手する中、父は照れ臭そうにしながらも表彰状を受け取ります。
この時、僕は生まれて初めて心から父に「今までありがとう。お疲れ様でした」と言うことができたのです。
いま僕は仕事をしていないので時間もあり、久々に実家へ帰省しました。
そしてこの文面を画集がたくさんコレクションされた父の小さな書斎で打っています。
壁には数年前に渡した感謝状が大事そうに飾られています。
警察の仕事が多忙だったので、これからは後悔しないように親孝行しなくちゃなと思います。
感謝状
あなたは42年余の長きにわたり家族が幸せに暮らせるよう一生懸命働き続けてこられました。
そのご苦労に心から感謝の意を表します
桜井家 家族一同