米国をはじめとする工業国が、その議定書に署名したのは今から30年前、1987年のことだった。議定書の名は、「オゾン層を破壊する物質に関するモントリオール議定書」。
30年の節目を祝うに当たりアントニオ・グテレス国連事務総長は、モントリオール議定書が人々の健康、貧困の撲滅、気候変動、食物連鎖の保護にプラスの影響を与えたことを強調。「すべての人々と地球のためのマイルストーン」になったと述べた。(参考記事:「オゾン層が回復傾向に、国際協定の効果」)
モントリオール議定書がなければ、地球のオゾン層は2050年までに崩壊し、破滅的な結果を生んだとする研究報告がある。その世界では、真夏のワシントンD.C.やロサンゼルスのUVインデックスが2070年までに最低でも30に達していたという。UVインデックスは紫外線の指標で、11を超えると「極端に強い」ため外出を控えるべきとされている。
米国環境保護庁(EPA)は、議定書がなければ皮膚がんの発生は2億8000万件増え、それによる死者は150万人多く、白内障は4500万件増えただろうと推定している(1890年から2100年に生まれる米国人についての推定)。
フロンをはじめとするオゾン層破壊物質の問題はそれだけではない。これらの物質は、二酸化炭素より数千倍強力な超・温室効果ガスでもあるため、議定書がなければ気候変動は今よりずっと悪化していただろう。それによって、21世紀半ばにはハリケーンやサイクロンの強さが3倍になっただろうとする研究報告もある。
「文字通り5分で皮膚がやけどするほどの紫外線が降り注ぎ、暑くて、荒れた天候の世界には、誰も住みたくもなければ、孫に残したいとも思わないものです」と、米コロラド州ボルダーにある国立大気研究センター(NCAR)の上級科学者、ローランド・ガルシア氏は話す。「1987年の時点では、気候への影響を全てわかっていた人はいなかったと思います。少しですが、議定書は我々をピンチから救ってくれたのです」(参考記事:「南極のオゾンホール縮小を初めて確認」)
史上最も成功した国際環境条約
オゾン層は、太陽から届く紫外線の量をより安全なレベルまで減らす盾のように作用している。冷蔵庫、エアコン、エアゾール缶に使用される化学物質が、このオゾンの盾に損傷を与えていることを、科学者たちは1970年代後半の段階で証明していた。しかし化学業界は、そのような研究結果は不確実だと主張し、さらなる研究が必要になった。その後の1985年、南極大陸上空のオゾン層に巨大な穴が出現。危険なレベルの紫外線放射が地表に届くようになった。そうして、オゾン層を破壊する化学物質の量を削減するため、モントリオール議定書が作成された。(参考記事:「南極 崩壊する氷の大陸」)