いろいろな山場を越えて、落ち着きの時間が訪れつつあるので、10月は徹底的に「何もしない」月にしようと決めた。
何もしないというのは、本当になにもしないということではなくて、攻めるアクションを取らないということである。
だから多分、自分の状況とか諸々を整えるためのアクションは取っていくのだろう。
このブログも「諸々整える」ために必要だと思って書いている。
前に書いたブログ記事から半年ぐらい経った。いつの間にか半年。全然前進してなくてウケてしまう。
sanokazuya0306.hatenablog.com
「全然前進していない」というのは少し盛っていて、前進していないことはない。
社会復帰して半年、積んだものは色々とある。たぶんあと半年とか1年くらいは積む時間だろうと思っている。
どっちの方向に向けて積んでいくのか?
なんとなく決めてはいるし、何度となくつぶやいたりしてるけど、まだはっきり言語化できる自信がないのでもうちょっと溜めておく。
「発信をしないと消えてしまいそうな気がした」と、どこかのデザイナーさんがMediumで言っていた。
なんか自分もそんな感じがあって、最近は常にTwitterで張り付いているけど、Twitterにいると発信している気になってしまうのがよくないところ。
自分のプロダクトは何なのか考えて、それを自分のプロダクトとしてエネルギーを固めて放り投げていかないといけない。
最近は徐々にその形も見えつつあるのだけど、やっぱり文章による発信はさのかずやのコアになるもののひとつ、なはずなのに、最近は薄れていた。
それはよくないので、ちょっとこの辺で書いておかないとな、と思ったのだけど、いざ書こうとすると書くことがなくて、なんの差し障りもない文章になってる。
なんつうか最近ポピュリズムがすごい。
別に最近に始まったことじゃ全然ないし、この何年かかけて自分がただそういうものに対して敏感になっただけ、というところはあると思う。
そりゃあポジショントークはバズる。人間は自分のポジションが間違っていないと思いたいし、異なるポジションからモノを言うやつは叩きのめしたいと思う。
今考えると5年前にバズった記事だって、おれの意図とは異なってポジショントークの材料となりやすい仕立てになっている。
(もう5年も経ってんのかよキモい)
逆に言うとバズらせるには、できるだけ対立軸が生まれうる、弱者が強者に虐げられている系の文章を書くだけでよいのだろう。
書かないけど。書かないから証明できないけど。
なんで書かないのかというと、書きたくないんですよね。なんなの?対立を産んで意味があるわけ?どっちが優れてるとかどっちが一番だとかって話して楽しいか?
まあたぶん地球上の95割くらいの人は楽しいんだと思う、おれもスポーツが好きだからよくわかる。
でももうそういうのいらないじゃん。インターネットでマウントとってもフォロワー増えて発言力増すだけだぜ。最高じゃん!!どうなってんねや!!
正直、ちょっと戦略的にポジショントークしてフォロワー増やす努力をしていかないといけないかなって思ってる。
でもそれは信念に反する。しょうもない信念。柴犬とかに食べさせたい。
もうでも1年以上悩んでんじゃん。しょうもねー話。
sanokazuya0306.hatenablog.com
先日、島根県の津和野町に行った。 @seshiapple氏など津和野の民とお会いした。あと津和野うろうろした。
twitter.com
その時に話したのは「ローカル×クリエイティブにおけるプレイヤー偏りすぎ問題」という話。
すごい極端にいうと、2017年現在の「ローカル×クリエイティブ」は「ソ◯コ◯/grxxnz文脈」と「◯ガオカ◯ンメイ文脈」の2択しかないと思っている。
350度くらい敵に回しそうな図だ
左側が「ソ◯コ◯/grxxnz文脈」。すごく悪く一言で言うと「できるだけ都市との対立を深める人たち」。
まあソ◯コ◯はそこまででもないけど、grxxnzとかは「それマジで言ってんの?」みたいなのがたまにある。最近はどうか知らないけど。
それが振り切れちゃった人たちが🌿系。医療用ですねそうですね。
こういう人たちが活躍すればするほど、地方は都会の人にとって関係ないものになっていく。
右側が「◯ガオカ◯ンメイ文脈」。すごく悪く一言で言うと「できるだけ都市文脈で地方を消費する人たち」。
都市の人たちが食べやすいものにするのはもちろん大事。お金の流れ的にも。
フックアップ的な意味とか、その地方の外の目線から注目されることがその地域にとって重要であることももちろん分かる。
でもこれが続きすぎると、地方の人たちは自分たちだけでは何もできなくなるし、「都市が立場的に上」という状況が強まっていく。
なぜならば、ここで地域のデザインの良し悪しを判断しているのが都市だからだ。ある程度の基準を超えた先には、誰もが納得する「最高」の基準なんて存在しない。最終的には受け取り手の合意だけがそれをもたらしうるからで、◯ガオカ◯ンメイ文脈において受け取り手の合意がもたらされる条件は「◯ガオカ◯ンメイが良いと言っているから」というところにしかないからだ。
どちらにしても、都市と地方の対立は深まっていくばかりだ。
現実に、ぼくらの取り組みは、普通に都市で暮らす若者の友だちに対して何の興味を引くこともできない。
なぜなら、地方なんて、「ていねいな暮らしをしたい人たちが行くような、オーガニックな30代夫婦が行くような」地方は、まだまだ遊び足りないぼくら世代の若者とは全然関係ないからだ。
だからぼくらは、都市と地続きな「ローカル×クリエイティブ」な存在でありたい。
そのためにどうしたらいいのか、なんて全然答えはなくて、日々の暮らしで一生懸命ひねり出している最中である。
ただポジショントークではないことは確かで、それは現代において「わかりにくい」「バズらない」ことを意味する。
つまり支持者を集めにくいし、熱狂的なうねりはどうやったって生まれない。
「アラブの春」のきっかけを作った、エジプト出身でGoogleのマーケに勤務していた青年ワエル・ゴニムは、その後「あれはいいやり方じゃなかった」と上記TED内で反省している。
「倒す」ことだけに全エネルギーを注いだその熱狂的なうねりは、目的が達成された途端に瓦解してしまった。
ただのカウンターじゃ、メインストリームと反対側のポジションを取るだけじゃだめで、なんにも生まれない。
だから、ポジショントークは答えじゃない。絶対に。
じゃあどうしたらええねや。
ということで、地道にやっていくしかないわけですよネ。
ローカル×クリエイティブで、ポジショントークに陥らず、都市と地続きな取り組みをする。それでいてトガッていく。
先行するプレイヤーといえば、自分が近い界隈だからだけどIAMASとかYCAMとかになるのかな。
自分も柱を立てていく。
ローカル×クリエイティブで、今は全然結びつかないあんなことやこんなことを、強引に結びつけて、先行事例となっていく。
そんなことをやりたいんです、そう思いながら大学院で「オホーツク島」をつくり、論文にまとめました。
okhotsk-island.com
medium.com
けど、全然力が足りなくて、毎日、自分の力不足を感じながら、毎日、暮らしてます。
力がほしいぞ。蓄えよう。
ローカル×クリエイティブで、ポジショントークに逃げない仲間、募集してます。
いつものように、最初全然なんにも書きたいことないのにいつの間にか異常に熱が入ってしまうパターンのエモ駄文になってしまった。
まあいいやおやすみ!下半期もいいこといっぱいありますように!
80KIDZ「Reversed Note」
ハウスに疎いので良ハウス教えてくれるおじさんいっぱい来てください