民主主義って何だ?

  ここ最近、テレビを観ていると、ずっと、政局と選挙の話題ばっかりだ。

 不可解な形で安倍首相は衆議院を解散し、民進党がまさかの形で、事実上、解党することになり、東京都知事のこしらえた「希望の党」が誕生し、「希望の党」に反対した民進党の議員が立憲民主党を作った。

ここまで政治の流れが選挙前に動いたことは、憲政史上、無かったことだと思う。

野党勢力は分裂したまま、今日の告示日を迎えた。

 告示日の前日であった昨日、私が幼少の頃から住んでいる街の駅前で、とうとう差別主義者たちによる集会が行われた。

 私はとある人から頼まれた雑用をこなし、急いで現場に向かった。

 地方都市で行われているヘイトスピーチの集会は何かが違う。

東京のような、人の多い街で行われていると、都市の雑音で、差別主義者たちのヘイトスピーチはかき消されるが、地方都市ではそうはいかない。

人が少ないこともあり、一段と目立ってくる。

 私の住む街にも在日コリアンは数多く、住んでいる。

だが、他の在日コリアンの街とは違って、私の住む街の在日たちは日本の人と変わらず生活をしてきた。

そのせいか、私の街では、在日コリアンが多く住む街であるということを知らない人も多いくらいだ。

 そんな街で起きたヘイトスピーチの集会は東京で起きているヘイトスピーチの集会とはまた、違って見えてくる。

  ましてや、その日の翌日は「国民」が主権を行使するための総選挙の告示日だ。

在日コリアンでありながらも、日本国籍を取り、参政権を有しているとは言え、差別主義者たちの言葉に手を縛られたような思いがした。

 選挙戦が始まってから、選挙活動の手伝いをしに行くかどうか迷っている。

私には支持している政党もあるし、支持している政治家も居る。

だけれども、正直、「帰化人」である私が選挙活動の邪魔にならないか?と不安になってしょうがない。

 昔、とある政治家のお手伝いをしたことがあった。

普段からお世話になっている人の紹介で、初めて、私も「政治活動」に参加することができた。

私がやった「政治活動」とは、政治家のビラ配りのことである。

ビラ配りの前に、政治家の事務所で様々なレクチャーを受けた。

 政治家の事務所でのレクチャーは面白い。

ビラの配り方はもちろん、どこの地域に配らなければいけないかも教わる。

そして、政治家が所属している政党への入党や支援者の募集もやっていた。

私は政党への入党や支援者募集の際に、必ず聴くことがある。

「私は元々は在日で、日本に帰化しましたが、政党への入党や党首選挙での投票権はありますか?」

事務所のスタッフはキョトンとしていたが、私にとっては大真面目な質問だった。

 ネットを観れば、「帰化人議員リスト」なんていう悪質なデマリストがあり、そのリストでネトウヨたちが遊んで、「こいつらは中国や韓国のための政治を行っている。」と訳の分からないことを言っている。

 かたや、現実の世界を観てみれば、蓮舫議員の『二重国籍』問題で大騒ぎし、植民地出身の政治家への差別的な言動は今でも続いている。

 こんな状況の中で思うことはただひとつ。

私はなるべく政治の場から離れようということだ。

仮に、帰化人である私が選挙活動に何らかの手伝いをしたとしよう。

それを理由に当選した政治家が批判されてしまうのは非常に心苦しい。

私のせいで支援をしていた政治家に迷惑をかけたくない。

 「そんなことはあり得ない。」という人たちも居るだろう。

だが、私は蓮舫議員の「二重国籍問題」を通して、この国の「良識ある」人々がどのような仕打ちを彼女にしたのかを知っている。

 この国では帰化した人間たちに、この国の政治のアリーナで声を出すことが何時、禁止になったのだろうか。

 こんな政治のアリーナでの発話禁止は帰化していない在日コリアンにまで及んでいる。

私の友人から聴いた話だが、私の友人が駅前で主催した集会に、帰化していない在日コリアンのゲストスピーカーを呼んで、スピーチをしてもらった。

ところが、駅前で、「その人は日本人ではないのに、何故、この場でスピーチをしているのか?」と文句を言う人が現れたそうだ。

 一体、この国の民主主義って何だろう?

私は別に自分が何人であるかは気にしないし、そんなことで、時間を割く意味もないと思っている。

だが、日本国籍を取った今ですら、私の声は「日本人のための民主主義」という言葉によって押しつぶされている。

 私は敢えて、今、問いたい。

帰化人の私は日本の民主主義のアリーナの中で声を上げてはいけないのか?」

 国会前のデモで、SEALDsが「民主主義って何だ?」とコールしていた。

彼らは迷わず、その後に続く言葉として、「これだ!」と言っていた。

 私は未だにこの国で、「民主主義とは何だ?」と問われても、「これだ!」と言えるものが見つからない。

いや、「これだ!」という声すら出せない。

この国の民主主義は日本民族の血を受け継いだ「日本人」だけのものらしいからだ。

 だが、民主主義とはあらゆる人たちが平等な声の大きさで、話し合う政治スタイルなのではないか?

 私は言葉がはく奪されたところから「民主主義」を始めたい。