明日、10月10日に衆議院選挙が公示されます。テレビや新聞を見ていると、なんか、メチャクチャな選挙になりそうです。
9月28日に衆議院が解散されましたが、それと同時に衆議院議員は、全員クビになりました。現在、日本に衆議院議員が存在しないのです。
そんなときに北朝鮮からミサイルが飛んできたり、災害が起きても大丈夫なのか、と疑問がわきます。
でも、昨日、テレビを見ていたら、池上彰がそのことを解説していました。衆議院が解散しても、「内閣」は存在しているので、通常どおりの対応ができるとのこと。
「内閣」って便利なものだな、と、ちょっと感心しました。
この「内閣」という漢語は、日本ではなく、中国の明王朝がつくったのです。
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明の洪武帝は権力を集中させた
明(みん、1368年 - 1644年)は、洪武帝(朱元璋)が建国した中国の王朝です。
この洪武帝は、たいへんな勉強家でした。過去の中国の王朝が滅亡した原因を、徹底的に調べたのです。
調べてみると、王朝滅亡の原因には、あるパターンがあることを発見します。
それは「権力」の流動性です。
「権力」とは、何かの切っ掛けで、宦官や軍人、重臣、役人、皇后、皇帝の母親などに、握られてしまうことがあるのです。
日本では、将軍の乳母やお犬さまにも権力がありましたね(・・?)
つまり、皇帝から「権力」が奪われたり、弱まったときに王朝が弱体化して滅亡へ向かう、ということです。
それを防ぐために洪武帝は、家臣や軍人に極力、権限を与えないようにしました。皇帝にだけ権力が集中するようにしたのです。
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内閣は皇帝の補助
では、なぜ「内閣」をつくったのでしょうか。権力を皇帝に集中させるための補助として、つくられたのです。
広大な明帝国を、皇帝一人で取り仕切るの無理です。
そこで皇帝の実務を補佐する「内閣」をつくりました。皇帝の秘書や顧問みたいな役で、権限はありません。また、持たせないようにしました。
秦王朝は、取次ぎ役の宦官が権限を握ったことが、滅亡の一因になりました。
隋・唐は、軍人に権限を与え過ぎて、謀反を起こされ、滅亡します。
逆に宋は、隋・唐を反面教師として、軍人の権限を低くして、文官の地位を上げました。それによって、宋の軍事力は弱体化して、異民族に圧迫され、滅亡しました。
だから洪武帝は、それら過去の王朝の二の舞にならないよう、権力を皇帝に集中させたのです。
しかし、明王朝第五代皇帝のころから「内閣」が次第に権力を持つようになりました。
権力を皇帝に集中させる、という洪武帝の努力も空しく、過去の王朝と同じように、明王朝は滅亡への道にすすんだのです。
ひとこと
豊臣秀吉が朝鮮を攻め、明が援軍を送ったことも、明王朝滅亡の一因です。
明の「内閣」はガタガタになっていたのでしょうね( ?´_ゝ`)