外資系金融マンの読書ブログ

外資系金融マンの読書ブログ。読んだら3倍考えるビジネス書評ブログ出張版。読書の要素はあまりない。

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いよいよ日本も終わりだなと感じる

この国もいよいよ佳境

産業から見る日本の変遷

私は歴史の専門家ではないので、大いに間違っている部分はあると思うが。

資源立国

18世紀ころまでは銀を中心とする資源の国だった。

資源を支払って文化や技術を輸入して成長したといえるだろう。

軍事国家

1900年前後は、国や正義のために戦う戦闘狂の国だった。

資源の力を失った国が必死に模索してたどり着いた道なのだろう。21世紀の感覚で戦争は悪だなどといっても仕方がない。

工場国家

敗戦後は、明確に工業国を目指した。

工業国といっても、当時の日本が目指したのは「オペレーショナル・エクセレンス」と呼ばれる工業化である。

生産プロセスの効率化・改善を得意とする工業国なので、要するにイノベーションの国ではなくインプルーブメントの国だった。

技術国家

1990年ころまでは自動車をはじめとする技術の国になった。

しばらく大きなイノベーションが起こらなかったため、インプルーブメントの国である日本の地位が相対的に高くなっていった。

このころ世界で一番大きい企業はNTTだったし、世界一の富豪は森ビルや西武鉄道の創業者だった。

衰退国家

インターネットというイノベーションが起こった。正確には、民用化によってイノベーションが認知された。

今度はイノベーションの国のプレゼンスが高くなり、日本の地位は失墜していった。

情報産業が発達する中で工業製品に対する関心は相対的に低くなり、日本製品の「ハイクオリティ・ロープライス」は魅力的でなくなっていった。

人々は機能性や安価さよりも使いやすさやデザインを求めたので、製造プロセスの改善という日本の強みが生きなくなり、工業国としても二流に成り下がった。

これが今の日本である。

マインドセットから見る日本

威厳のために

武士の世の中では、威厳が第一の世の中だった。

どれほど生活が貧窮していても武士を辞めず、楽な生活に流れないことが美徳とされていた。

時代が進むと威厳の種類が変わった。

武士道や仁義よりも、教養人であることが威厳になった。

正義のために

軍事国家だった時代には、正義のために戦うことが良しとされた。

日本のために、天皇陛下のために、「大東亜共栄圏」のために、自分を犠牲に戦う美徳があった。

半年しか継戦できないことがわかっていながら真珠湾を奇襲し、特攻という他国じゃ考えられないような戦術が使われた。

「自爆テロ」を発明したのが日本人だということを考えると、この美徳はごく最近まで残っていたように思える。

未来のために

またしても自分を犠牲にして、日本の未来のために生きることが是とされた。

「レール」の上の人生を歩み、日本のオペレーショナル・エクセレンスのために自分の身を削って、日本を成長させた世代である。

バブル崩壊までは、自分の身を切る努力もしっかりと報われていた。

過去の栄光のために

不動産バブルがはじけたあとの時代でも、マインドセットは変わらなかった。

いままでどおりオペレーショナル・エクセレンスを追求すれば、かつてのような日本の繁栄があると信じられていたからだ。

「堪え難きを堪え、忍び難きを忍」んで、日本の復興に自分の人生を賭けた。

先が見えなくなった時代

バブル期に活躍した日本人たちは、努力が報われないという状況をはじめて味わったのだろう。

堪え難きを堪えることをあきらめた人たちは、自ら命を絶つようになった。

1990年代の自殺急増の理由は、生活水準が落ちたとか、リストラにあったとか、そんな簡単なものではないように思える。

いまの生活のために

バブルを経験していない社会人が増えて、努力が報われた経験を持たない人が増えた。

将来のための努力を良しとせず、いまを生きることに必死な人が多数派になった。

働きたくない、裕福でなくてもいい、結婚はしなくない、子供もいらない、社会保障だけ強化してくれ、そんな若者であふれている。

平等というキレイな言葉で包んだ社会主義者が増えている。資本主義国家なのに資本家は報われない。

いよいよ、日本も終わり

電通の労災くらいからはじまった風潮が、おおよそ定着したように思えてきた。

今の日本人は、勉強もしないし、だらだら働くし、活気もない。

かつてのような、勤勉で仕事熱心で、わずかな改善の余地も見逃さないような国ではなくなった。

投資活動をしない日本人

投資活動というのは、基本的に「いま我慢して将来おいしい思いをする」というものだ。

いまの日本人はそれをしなくなってしまった。

いま生きることに必死なので、将来の100万円といまの10万円で後者を選ぶような状態になっている。

これではいつまでたっても生活は豊かにならない。

金融立国ができない

国内の成長が止まって、それでいて少々お金のある日本は、本来なら投資国家になっているべきだろう。

他国に投資して食っていくような国になれば、いくぶん魅力的な国になったと思う。

しかしながら、日本は製造業の国であり、国民の金融リテラシーは壊滅的である。

そのうえ「いま生きることに必死」という、投資とは正反対の国民性が醸成されてしまった。

人的資本の流出

私の知り合いでも、シンガポールの永住権をとる人が出始めた。

彼らの多くは、少し寂しそうに永住権を自慢してくる。

「もう、日本にいても仕方ないよね・・・」

年収が高く消費や投資に活発なこの層は、平均的な日本人と比べて10倍以上の税金を納めている。

いままで日本を支えてきた人は、日本に限界を感じてあきらめ始めている。

飛びぬけて負けん気が強く、往生際が悪く、根性のすわった人たちを諦めさせる程度には、いまの日本が絶望的なのだろう。

私も私の友人たちも、いまはまだあきらめていない人のほうが多いが、5年後はどうだろうか。

生まれ育った国を見捨てないと言い切れないところか少しつらい。