2015年に世界遺産として登録された軍艦島。
長崎県西彼杵郡に位置する小さな島で、正しくは「端島(はしま)」と言います。海底炭鉱として近代日本の産業を支え、最盛期には小さな島の中に5千人もの人が住んでいたというのだから驚きですね。
しかし、石炭の衰退と共に軍艦島からも人が去って行き、1974年(昭和49年)には完全な無人島となりました。
軍艦島が無人島となってから30年前後、人々の記憶から忘れられていた廃墟の島にスポットライトが当たります。廃墟ブームが訪れ、爆発的に廃墟専門の探検マニアやカメラマンが増え、廃墟の聖地と呼ばれるようになりました。廃墟ブームが沈静化した後も軍艦島は脚光を浴び続け、長崎県が観光地として軍艦島に遊歩道を設置。そして2015年には世界遺産となり現在に至っています。
なお、同じく炭鉱跡として世界遺産登録されている三井三池炭鉱こと万田炭鉱跡は「風のとおり道」に掲載されています。
今となっては簡単に入る事の出来ない軍艦島。今宵のエア冒険は軍艦島の真実の姿をお届けします。
今回は写真枚数も倍以上と大ボリュームで行きます!
軍艦島へ向かおう 船からの全景
船に揺られ20分前後。いよいよ島が見えてきました。軍艦島は単なる無人島ではなく、狭い島に高層住宅が無数に立ち並ぶ島。したがってコンクリート片の落下など危険も多い。上陸後は気合を入れて探索しましょう!
ついに上陸!島の内部へ
左端の建物が小中学校。中央に見えるのが軍艦島最大の建物、65号棟、右端のやつが病院です。現在地は小中学校のグラウンド跡です。それでは中に入ってみましょう。
まるでゲームの世界のような雰囲気。長く続く崩れた回廊は様々なところに続いています。軍艦島内はすべて建物が繋がっているので内部を知り尽くしていれば雨の日もぬれずに学校まで行くことが出来たとのです。
ここは体育館。広いので探検の拠点となる場所で、休憩ポイントとして活用したり撮影用機材の準備などに使います。もちろん他のパーティーもここを使う可能性が高いので、探検の共用スペースと言った感じですね。
再び回廊を抜けて居住スペースを通り抜けて神社を目指します。危険が大きい探検なので神様に挨拶をしておくのが一番良さそうですね。
軍艦島一高い場所 端島神社
島全体を見渡せ、対岸まで良く見える気持ちの良い場所です。現役当時はお祭りが開かれたくさんの出店が並びました。そして、軍艦島最大のデートスポットだったとか・・・。
地獄段から社宅方面
神社からまっすぐに降りてきました。写真ではあまり伝わらないけど地獄段と言う名前の通り、リアルに地獄です。大の大人でもここを上れば息が切れてしまい中腹でダウンしてしまいます。
先ほど横からしか見えなかった65号棟の全景。この部分は中庭にあたります。全体がコの字になっていることが良くわかりますね。
内部は思った以上にボロいので注意が必要です。ここまで周囲が全部廃墟と言うスポットはそうそうないので感覚が鈍ってきてしまうけど、ここはしっかり気を持たなくてはいけません。
65号棟を通り過ぎ、ここは日給社宅と呼ばれている場所です。軍艦島を紹介しているサイトでは必ずと言って良いほどここの写真は載せている有名ポイントです。
巨大コンベヤーの跡が残る作業場方面
これは石炭を乾燥させるための装置です。円形の遺構はとても有名で、こちらも軍艦島を語る上では外せません。
上から見てみれば良くわかりますね。
まるでヨーロッパの神殿のようにコンベヤーの遺構が続いています。現役当時はガタイの良い兄貴たちがたくさんここを通り過ぎたのでしょうね。
世界遺産としての軍艦島
実は、軍艦島そのものが世界遺産なのではなく、正しくは「明治日本の産業革命遺産」です。軍艦島以外にも様々な場所が同じ名前で登録されており、軍艦島は海底坑道の部分が登録されています。
軍艦島は立坑のため海底坑道へ入る道はありません。
海外から掘削機を購入し、産業革命を支えた日本のど根性的なものがユネスコに認められたという事になります。
軍艦島は日本初の鉄筋コンクリートの建物、30号棟とかまだまだたくさん見どころはあります。反響が大きければ続編記事を作りたいと考えています。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
良いハッピーライフを!