優しい人だと思ったら、実は怖い人だった。
誠実な人だと思ったら、実は狡猾な人だった。
出版界を舞台にした小説『騙し絵の牙』が、発売から1カ月強で四刷5万部と好調だ。雑誌『トリニティ』の編集長で、圧倒的な人たらしである速水が、売り上げが低迷する同誌を休刊させまいと、あの手この手を尽くす。派閥争い、作家との衝突にため息を漏らしながら、速水は最後に、出版業界、いやエンタメ業界を揺るがす驚きの決断を下す…というのが基本の筋書きだ。
「騙し絵」のような二面性を秘めた登場人物たちが、衝撃のラストに向かって奔走。読み終えたとき、読者は「騙された!」という言葉とともに、ようやくそのタイトルの意味が分かるという、新感覚のエンターテインメント小説だ。
注目すべきは、速水を演じるのが人気俳優の大泉洋だということ。小説なのに「演じる」というのは奇妙に聞こえるかもしれないが、本作は大泉洋をあてがきにした、全く新しい作品なのである。
小説なのか、映画なのか。それこそ「騙し絵」のようなコンセプトを持つこの小説を書いたのは、昨年、グリコ森永事件をモチーフにした小説『罪の声』が17万部のベストセラーとなり、同作で山田風太郎賞を受賞した塩田武士氏。デビューから数えて10作目となる本作で出版業界を舞台に選んだのは、「このままでは小説がエンターテインメントの中心から消えてしまうのではないか、という危機感を覚えたから」だという。
出版不況と言われて久しいが、作家・塩田武士が肌身で感じた「危機」とは。そして、「出版」という産業が生き残るためにやるべきこととは――。
――前作『罪の声』が17万部のベストセラーとなり、本作『騙し絵の牙』も5万部と好調ですね。今回のインタビューでは、そのものずばり「売れる小説を書くための技法」を伺いたいと思っています。
塩田 いや、そんな大それたことは言えないですよ……。本作が売れているのは、現状では99%大泉洋さんのおかげです。大泉さんファンの方々が、この表紙を見て買ってくださっている。僕なんて、作家としてはまだまだ。いまでも近所の花屋のおじさんに、無職やと思われてるぐらいですから(笑)。
ただ、ひとつはっきり言えることがあるとすれば、『騙し絵の牙』と『罪の声』に関しては、売るための労力を一寸も惜しんでいない、ということです。執筆の熱量はどの作品にも等しく注いできましたが、この2作に関しては、出版された後、どういう戦略で売っていくかというところにまで尽力しました。
――出版業界を舞台にした本作には、まさに「売れるものを作るため、そして生き残るためには並大抵以上の努力をしなければいけない」というメッセージが込められていると思いました。塩田さんはどういう経緯でこの心境にたどり着いたのでしょうか。
塩田 とにかくデビューしてからの過去8作が売れなかったんです。2014年に、性同一性障害をテーマにした小説『氷の仮面』を出版した時、相当の手応えを感じていたのに、まったく売れなかった。印税を見て、桁がひとつ少ないんじゃないかと思うほどに(苦笑)。本当に落ち込みましたし、虚しかったですよ。
その時に悟りを開いたというか、このままでは作家として終わってしまうという危機感から、「面白いものを書くだけじゃダメなんだ。どうやれば売れるか、どうやって話題にするかということまで作家自身も考えないといけないんだ」と気づいたんです。
9作目となる『罪の声』は17万部のヒット作となりましたが、これには理由があります。自信作であったことはもちろんですが、編集者と一緒に、どうすれば売れるか、どうすれば話題になるかを必死で考えたからです。
まず、未解決事件である「グリ森」を扱うこと自体に話題性がある。僕が新聞記者だったという経歴を生かして、徹底的に取材をしたというところに付加価値をつける。「この小説が売れれば、まだ捕まっていない犯人グループが名乗り出てくるんじゃないか」という、作品とは別の物語性をしっかりと伝える。そして、影響力のある方々にSNSで紹介してもらえるように、「口コミの導火線」をつくる……。それらが狙い通りに話題となって、結果に結びついたわけです。
情報がこれだけあふれる社会において、ただ作品を出すだけでは、誰の眼にも触れず終わってしまう。桃太郎みたいに、川に流れて偶然おばあさんに拾ってもらうのを待っているだけではどうしようもない。では、どうすれば「話題」になるのか…。それを、担当編集者と懸命に考え抜きました。作家の仕事は、小説を書いてハイ終わり、ではなくなったと思っています。