大阪のリターンイベントに珍しく実家の家族が全員来た。
嫌がらせか!

終演後和田さん・かおりんらに会ってもらったのだが、その時母親が、

「もうこの子は、子供の頃はホンマおとなしい子でして、右向け言うたら右向く子でしたのに・・・」

とか言い出して、ん?となった。
そうだっけ?

俺昔から我儘で、ヤマカン節炸裂させてたと思ってたがなぁ。


母親も相当な歳なので記憶が曖昧なのかも知れないが、いや逆に、僕の幼少期の記憶が、母親によって刷り込まれていたのかも知れない、とそう思った。

「アンタは我儘な子やで!」と、物心ついた時から母親にしょっちゅう言われてた。
それが既にイメージの刷り込みだったのかも知れない。


小学校に入るまで、母親は怖い存在だった。
とにかくキーキャー怒鳴ってた。
祖父が僕を甘やかし、なんでも買ってくれるものだから、母親は祖父を忌み嫌った。
一時期会わせないようにしていたとも記憶する。

とにかく四方八方に対し我を押し通す人で、敵を良く作った。
実の姉とは縁を切っている。

今ではすっかり小さく、みすぼらしくなった。
あれだけインパクトのあった威容はもうない。


母親程のインパクトはないが、父親もまた厳しかった。
厳しい以上に、とにかく弁が立った。
経済的な事情で大学へは行かなかったが、相当頭が良かったらしい。

そんな父と母だから、しょっちゅう喧嘩になる。
しかし言葉で打ち負かすのはいつも父の方だった。
筋を通し、理を貫く。それに長けた人だった。

まぁ途中多少のオイタはあったが、今もその頑固っぷりは変わっていない。


一方で僕は確かに、自分がネクラな人間であったのだけは覚えている。
こんな両親に育てられたとあって、とにかく嫌われるのが怖かった。
今みたくハリネズミのように周囲を刺しまくる人間ではなかったようだ。
むしろ内に籠って、意思表示のできない、そんな子だったのかも知れない。


「この子、この業界に入ってから、ガラッと変わりましてん」
大学辺りから変わり始めていたとも思うが、実際そうなのかも知れない。


母の我の強さと、父の筋と理を貫く信念。
僕は確かに、それを両方受け継いでいるのかも知れない。
だから今、全世界を敵に回そうとも、「デビルマン」になろうとも、戦い続けられているのかも知れない。

幸せに生きるには程遠い要素ばかり譲り受けて恨み節のひとつでも言いたくなるのだが、それでも両親には感謝している。

僕は僕だ。他の誰でもない。