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シンプルで合理的な生活

陳平と再分配

数年前から再分配という言葉は社会のテーマとなっているが、それをきいて思い出すのは陳平のことだ。
お金の話、の人ではないというのは定番のネタだっただろうか。
秦から漢の初期に生きた政治家である。

もっとも楚漢戦争、つまり項羽と劉邦の時代の人という方が通りが良いだろう。
しばしば張良とセットで語られる人であるが、このふたりの生き方はかなり異なる。

張良が貴族階級の出自であっても秦により没落したなかで、アウトローの気風に染まり、テロリストから名を広めていった人物であるのに対し、
陳平はもう少し穏やかである。

この時代、秦に反旗を翻した小集団の長にはいくつかのタイプがあるが、小さなコミュニティの顔役的だった人物は少なくない。
代表的なのは項羽の叔父の項梁だろう。
彼が頭角を現したのは、楚の貴族の出自というのもあるが、町の葬儀の差配が大きい。

陳平もやはり若い頃は、勉学の傍ら、町の葬儀の手伝いなどをしていた。

彼が名声を高めたのは、街の祭祀の肉の切り分けの公平さだった。
ここでいう祭祀は、おそらく一族の祖霊に対するものだろう。
先祖へのお供え物の肉を祭りの後に皆にわけるのだが、まったく全員に同じ量に分けるのか、たくさん働いた人に多く分けるのか、それとも病気や老いた家族のいる者に多く分けるのか。
などなど、具体的な方法は記述はないが、陳平の分け方は多くの人が納得する分け方だったのだろう。

ちなみに彼は「こんな肉ではなく天下を任せてくれればたちどころに分けてやるのに」と言ったという。
これは後世の創作だろうか。
始皇帝をみて項羽が「あいつに取って代わってやろう」とか、劉邦が「ああなりたいものだ」と言ったように、史記はおもしろい逸話を積極的に取り入れているために、どこまで信じていいかはわからない。

やがて、陳平は地元の若者たちを集め挙兵し、あれこれあった末に劉邦に使えることになる。

Divided

とはいうものの、陳平のイメージは謀略家としてのもので、世間的にもそうだろう。
彼の功績といえば、項羽の部下を離反させる、偽者を用意して劉邦を脱出させる、講話して引き上げる項羽の背後を襲う、匈奴の冒頓単于の兵に囲まれて絶体絶命なのを秘密の策で和睦に持ち込む。きわめつけが、劉邦の死後、呂氏一族からの警戒を逃れるため酒色に溺れたふりをして機会を伺い、兵の指揮権を劉氏派に奪還させて呂氏を粛清するのだ。

それ以外にも、馬車の車輪の跡を家の前につけて貴族と交際があるようにみせかけたり、盗賊の乗る船では一足先に裸になって無一文だと教えるなど、この類のエピソードに溢れている。

で、漢の丞相としての陳平がどうだったかというと、前述の粛清への対策もあり、またその後もいわゆる実務にはあまり身を入れなかったようだ。
同じく丞相となった功臣の周勃が文帝に裁判や収支の数字を聞かれ答えに窮したとき、文帝は同じ質問を陳平にもしたが、
「具体的なことは専門家がいるのでそちらに聞いてください」
と応じ、さらに文帝に丞相の意義を問われると、
「丞相の役目は皇帝を助け、外敵に目を光らせ、諸侯を慰撫し、万民を手懐け、それぞれが役目を全うできるようにすることで、小さなことに関わるものではありません」
と答えて周勃の名誉を守ったこともある。

このエピソードは東洋の理想的な政治家として陳平を描く反面、具体的な働きはあまりなかったのではないかという印象を受ける。
当然のことながら、分配の話は全く出てこない。
街や村単位ならともかく国家単位となると、若い頃に豪語したようには公平な分配はなかなか難しいだろうし、それに現代的な再分配の概念はさすがにまだ彼にはなかったに違いない。