僕が自己啓発マンを気持ち悪いと思う理由
自己啓発(じこけいはつ)とは、自己を人間としてより高い段階へ上昇させようとする行為である。「より高い能力」、「より大きい成功」、「より充実した生き方」、「より優れた人格」などの獲得を目指す。
ぼくは自己啓発好きな人が気持ち悪いので嫌いです。
本屋で自己啓発の本を買って読んで悦に浸る主婦を想像してみてください。
その人、嫌いなんですよね。
以前、「自己啓発って気持ち悪いですよね」と書いたらこんなコメントをいただきました。
わかりました。
僕が自己啓発が気持ち悪いと思う理由を説明しましょう。
ロジックがないから
自己啓発の名言にはロジックがありません。
例えば、自己啓発界の世界的権威らしいロビンなんとかさんのこの言葉
「笑うのを忘れるほど、人生を深刻に考えてはいけない」
これは一見もっともらしくみえるし、「なるほど、もっと楽に考えていいんだ!」と気付くかもしれません。
しかし一方で、僕が適当にこういう金言を言ったとします。
「人生を悩み抜いた者にのみ成功が与えられる」
これも一見もっともらしく見えます。
しかし、この2つのフレーズは矛盾しますね。
なぜこんな矛盾するフレーズがまかり通るかというと、裏付けとなるロジックがないからです。ロジックなしでなんでも言っていいルールの中で生まれた言葉に価値は無いと思います。
ただ、人の生き方に正解がない以上、”理論的正しい”自己啓発の金言はあり得ません。
なので、もっと読み手に選択の自由や考える余地を残してあげるといいと思います。
たとえば、
「より人生を良くしようと人生について深刻に考えることは大事だが、それが笑うのを忘れるほどになると、考えることそれ自体のせいで人生の豊かさが損なわれていることになり本末転倒なので、笑うのを忘れるほど深刻に考えすぎることはよくない。しかし、深刻に考えるのをやめることで精神的な立場は変わるかもしれないが、目の前の人生になんら変わりはなく、また人生について一度深刻に考えぬくことなしにこの金言を信じて享楽的に生きることは、呆けているのと同じなので、人の言葉に頼りきらずに自分の人生を生きて欲しい。」
ぐらい言って欲しいものです。
これぐらい言えば、筋の通った話のようで一方で読み手に考える余地も残せていると思います。
身になるはずがないから
普通、人生において気づきというのは経験から生まれます。
たとえば、失敗を重ねた先に「次同じ失敗をしないためにはこうすればいいのか」という気づきが生まれるわけです。
しかし自己啓発というのはその経験の部分をすっ飛ばして気づきの部分だけを言語化したものだから気持ち悪いんです。
僕が自己啓発の言葉を読んで真に受けてる人に言いたいのは「いやいやそれ自分のもんじゃないやん。身になるんか?」
こんな名言があります。
「成功とは、自分に打ち勝ち、自制する力をつけること」
負け続きの人生の皆さんがこれを聞いてなにか思うところはあるのでしょうか。
抽象概念で抽象概念を扱ってて意味わかんないから
「人生は質問力で決まります」
という名言があります。
人生ってなに?
質問力ってなに?
決まるってどういうこと?
と思ってしまいます。
もっと具体的に言った方がより伝わるはずです。
たとえば、
「人に質問をすると、答えてくれる」
とかそんなんでいいわけです。
原文の意図を汲むなら、
「的確な質問は、した方がいい。」
とかそんなんでいいわけです。
お腹が減った時に、
「欲を満たしたいという欲は否定できない」
とか言わずに、
「ごはんたべたい」
と言え という話です。
都合良すぎるから
どうしようもない自己啓発ランキング1位に”引き寄せの法則”というのがあります。
簡単に説明すると、「思い続けてれば叶う」というものです。
思い続けて叶ったら「引き寄せの法則を信じたおかげ」、
叶わなかったら「思いが足りなかったから」「まだ叶っていないだけで今後叶うはず」
ということになります。
引き寄せの法則のルールの中でプレーしている限り構造上のおかしさに気づかないようになっています。
そんな都合のいい法則を信じてる人って一体。
まとめ
人の言葉で意識が高くなったつもりになってないで自分で行動して自分で獲得したらいいんじゃないかなって僕は思います。
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