特にこの人だけに思い入れがあるという登場人物はいないのですが、“宗男”と “愛子さん”は、自分でもよく発明したなと褒めてやりたいキャラクターでした。実は二人のセリフは、ストレートなものが多いんです。だけど、愛子役・和久井映見さんは、多分、計算しつくした芝居の中で表現するので、どんな言葉にも説得力が出るし、宗男役・峯田和伸くんは直感的だと思いますが、まっすぐなセリフを彼が言うと歌に聞こえてきて。局面局面で二人に助けてもらった感じがあります。
あと、ナレーションの増田明美さんはドラマの中にいる妖精みたいですね。「どこから見てるんだ」みたいな(笑)。増田さんの声は気持ちが良いですし、細かい所まで真剣に取り組んでいただけて、途中から、演出が加えたナレーションも入っていて、おもしろかったです。
登場人物によります。愛子さんと省吾さんの恋については、お互い最初の相手を亡くしているので、そこが芯だろうと感じ、新しい形の結末を出したいと思っていました。早苗さんの恋の話は、途中から入れました。最初の設定では、早苗は当時で言うと「おつぼね」みたいな人。でも、シシド・カフカさんが演じる早苗を見たら、そういう人じゃないなと思い始めて…。シシドさんは「聞いてないんだけどー」と思ったかもしれないです(笑)。
みね子とヒデの恋は、最初から既定路線です。朝ドラの会見では決まっていないように装いましたが、ヒデと結ばれることを前提で作っていたので、演出陣にも、ときどき、ヒデにそういう要素が見える撮り方をしてもらうように早い段階からお願いしていました。ただ、磯村くん本人はそのことを知らなかったです(笑)。
今回のヒロイン像は、僕の気持ちが入りやすい人。そんなに前向きでもなく、リーダーシップを取るタイプでもなく、無謀な行動もできない。日常の人物像としてはよくいる感じだけど、朝ドラのヒロインとしては珍しいかもしれないですね。
有村さんは、今、“何でもできる人”になった感じがしています。みね子役に関しては、どんなシーンを書いても大丈夫という安心感があります。朝ドラのヒロインは常に大先輩たちに囲まれて緊張すると思うのですが、有村さんは、溶け合っている感じ。そういうときに、すごく魅力を発揮する人だな思いました。有村さんは、今、女優として最強レベルにいるのではなかろうかと感じます。
前に2回朝ドラをやっているのもアドバンテージにはならず、3回目が一番大変だったかなぁという印象です。毎回毎回戦いだと。ただ、苦しみながらも現時点での自己ベストは出せたのかなとは思っています。今回は「1話1話を書いていた」という思いがすごく強いですね。
当初のプランと一番違ったのは、4年しかたたなかったこと。書き始めると、役者さんとの相乗効果で、書いている僕もどんどんみんなを好きになってしまうんです。今回は登場人物の全員それぞれに人生があって、いろんなキャラクターの人気が出るものにしたいと思っていたので、それをやっていたら4年しかたたなかったっていう…(笑)。実はもっとやりたいこともあったし、もう少し先まで書きたいこともあったけど、今回はここにたどり着いた。4年間の話…そんな朝ドラがあってもいいんじゃないかと思いました。
最初に岡田さんと話したのは、何か出来事を起こしてストーリーを進めていくのではなく、ヒロイン・みね子の日常を丁寧に描いていくドラマだということ。とても地味なドラマかもしれない。でも、その地味を恐れずにやりましょうと。最後まで大きな事件は起こらない。父の話にしても、当時多くの行方不明者がいた中の一つの家族の物話。でもその一つを丁寧に描くことを最後まで岡田さんがやりきってくれたと思います。
ロケーションは、ひよっこの世界観を作る大切なポイントでした。茨城の地図を持って制作スタッフが自ら車で走り回って、ある日偶然あの場所(みね子の家)を見つけたんです。走ってない道はないってくらい、ありとあらゆる山奥の道にバツ印が書いてある地図をみたとき、すごく感動しました。実際にあの場所を見て、まず、家の前の道を自転車で走るみね子が撮りたいと思った。宗男さんもバイクで行ったり来たりしている人という設定がすぐに出来上がったんです。特別じゃない、昔ならどこにでもあったであろう風景がどうしてこんなに美しく感じるんだろうと。土地が、みね子たちを包み込んでくれるように感じながら撮影をしました。
この物語自体がオリジナルのフィクションで、“大きなうそ”なわけです。乙女寮に入って、いい仲間ができ、「すずふり亭」でもすてきな人たちと出会って、かけがえのないコミュニティーが生まれていく。奇跡のようにすばらしい出会いが起きるファンタジーです。だから、“大きなうそ”をつくために“小さなうそ“はつかないようにリアルをベースにしようとみんなに話しました。
茨城編では、まず「みね子の1日」というものを書きました。何時に起きてどこで顔を洗うのかな?水道はあるのか、外の井戸水で洗うのか。お母ちゃんも起きていて、切っている野菜は畑で採れたものなのか…。農家の人はどんなふうに暮らしているか取材して「みね子の1日」を作り、それを元に岡田さんが、第1回の冒頭のシーンを書いたんです。農作業も指導の方に付きっきりで教わって、本当に田舎娘のみね子を作り込んでいきました。その後の工場編も、設備や仕事の所作など徹底的に取材をして、当時のリアルなものを並べ、今度は「工場のみね子の1日」を作る。そのような流れでしたね。
強いてあげるなら、最終週で奥茨城の谷田部家にみんなが集まってくるシーン。続々と人が集まって宴会になる。ただごはんを食べているだけのシーン。とても『ひよっこ』らしいシーンだと思いました。みんなが集まって和気あいあいとしているだけで、幸せな気持ちになる。みね子としては「私がいなくても大丈夫」という寂しい気持ちも生まれましたよね。“人間が生活している感じ”がすごく出ていたシーンだと思います。
撮りたい狙いのシーンがあって、そこだけ作って見せるというのが嫌なんです。本物が存在して、たまたまドラマで一部を切り取ったように見えるといいなと。ただ座布団を並べているとか、人が来るのを待っている時間とか、お酒を誰かが誰かに注いでいるとか。そういう何もない“のりしろ”の部分も見えることが『ひよっこ』の命だと、出演者もスタッフも分かってくれてましたね。
「現場で生まれることを大事に撮りたいと思っています」と言いました。演じる皆さんが誰も萎縮せず、思ったことを遠慮なく言えて、アイデアを出してもらえる現場になるように。セリフをかっこよく言うとかではなく、一人一人がそのシーンの流れに身を任せて、その場の空気に応じて演じてくれたと思います。
ヒロインの有村さんは、プロ意識がとても高く、彼女が短時間の中でレベルの高い準備をしてきてくれたからこそ、落ち着いて撮影することができました。お芝居が細やかなんですよね。編集していると、撮影で僕自身も気づいてなかったことがいっぱい見えてきて楽しかったです。ほかのキャストの方たちも思わぬところですごくおもしろいリアクションをしてくれていて、話している人の顔はもちろんですが、それを聞いている人の芝居を見せていくドラマだった気がします。
みね子はとてもいい子なんですけど、当然ながら負の感情もある。怒ったり、恨めしく思ったり。時々みね子は人をにらみますよね。その表情もまたかわいらしかったりするのですが。表も裏も恐れず見せていきましょうと、有村さんと話し合いました。
『ひよっこ』には悪い人が出てこないと言われますが、岡田さんが悪を描かないわけじゃない。むしろ企画の初期段階では時代の影の部分をどう描くかを話し合いました。鈴子さんは、出稼ぎで働く実さんに「もっと自慢していい」「私は(いまの日本は)違うと思うね」と言い、「私の戦争は続いてる」と言う。宗男もそうですけど、皆が口に出さずとも大きな悪や矛盾と向き合ってる。宮本信子さんが鈴子という人を通して見せてくれた庶民なりの信念は物語の大事な要素です。光と影というか、A面B面の両方がないと『ひよっこ』じゃなくなってしまうと思っています。