毎年、恒例になっている内定式の様子がタイムラインに流れてくる。
恐らく、業種的な問題もあるが服装や髪型、化粧全てが全く同じ内定者が大量に並んだ様は圧巻である。
乳の大きさとパーツの整い具合以外は違いがないのではないかとすら感じてしまう。
所詮は目指している方向は同じであり、理想もなんだかんだ同じである。
オタクだってエリートだって結局のところは「カネ」と「セックス」と強いて言えば「他者から(とりわけ異性)の承認」を求めている。
それは企業や政府が煽っているのもあるのであろうし、遺伝子的な何かもあるのかもしれない。
美男美女がカップルで歩いているが、どこか同じ顔に見えてくる。
しかし、それでいいのだ。
例え、それが政府や企業、社会が作った何かだとかだとしてもそれに乗れるのが一番の強者なのだ。
場所やイデオロギー、下手したら時空を超えても必要とされるし自分を愛せる。
自分のひどくニキビ跡があって汚い皮膚やらと言った不細工な個性などいらないし、持病があることもダメなのだ。
個性というのは社会的に認められた中で存在できるものでしかなく、そんなものなのだ。
自分は持病を隠して、期待もできない整形をするしかないと思い始めるのだ。
スタンダードになりたいのだ。