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2017-10-06
■[読書][歴史][経済][政治] 井手英策・宇野重規・坂井豊貴・松沢裕作『大人のための社会科』
大人のための社会科の教科書といった体裁の本で企画自体は最近よくある気もしますが、この本は何よりも執筆者が豪華。『多数決を疑う』の坂井豊貴、『自由民権運動』の松沢裕作と、近年の新書の中でもトップクラスの本の著者が入っており、新書読みならば「おおっ」と思うメンバーではないでしょうか。
目次は以下の通り。
序 社会をほどき,結びなおすために――反知性主義へのささやかな抵抗
第1部 歴史のなかの「いま」
第2部 〈私たち〉のゆらぎ
第7章 公正――等しく扱われること
第9章 ニーズ――税を「取られるもの」から「みんなのたくわえ」に変える
第4部 未来を語るために
執筆分担は井手英策が序・2・9・11章、宇野重規が6・8・12章、坂井豊貴が1・4・7章、松沢裕作が3・5・10章になります。目次に書かれたこの分担を見なくても、わかる人には誰がどの章を書いたのかわかると思いますが、各人が得意分野について執筆しながら、全体的にバランスの取れた内容になっています。
個人的に面白く感じたのは松沢裕作が担当した5・10章、坂井豊貴が担当した7章です。
第5章の「運動」では、第4章の坂井豊貴担当の「多数決」で多数決の問題点が指摘されたことを受けるかたちで、民主主義における「運動」がとり上げられています。
2015年の安保関連法案の審議では、反対派が激しい運動を繰り広げました。安保関連法案において、賛成派と反対派は全面的に対立しているようにみえますが、筆者はそれでも「憲法は守られるべきだ」「平和は守られるべきだ」という前提は共通しているだろうといいます。たとえ賛成派が憲法改正を望んでいたとしても、表立って「憲法なんて無視してかまわない」と言う人は少ないでしょう。
この価値観の共有というのは一つのポイントで、例えば、江戸時代の百姓一揆においても「領主は百姓の生活が安定するように配慮する義務がある」という価値観は百姓、領主の双方にあったといいます。この価値観をもとに、百姓は武器ではなく農具を使って行動しました。
しかし、幕末になるとこうした価値観の共有は失われ、蜂起する側、鎮圧する側ともに武器を使用するようになり、放火や盗みなども起こるようになります。
明治期になると、松方デフレの影響で土地などを失った農民による「負債農民騒擾」が起こります。江戸時代には借金を抱えて土地を失いそうな農民がいたら村で助けたり、あるいは何年後でもお金を返せば元の持ち主に土地を返すという「原則」がありましたが、明治期の高利貸しや銀行にそうした「原則」は共有されていませんでした。
「運動」を成功に導く鍵は、こうした価値観の共有や、あるいは様々な人から認められる「正統性」です。現在は、その「正統性」が揺らいでいる時代であり、なかなその「正統性」を打ち立てることが難しいのです。
第7章は「公正」の問題について。テーマ的に井手英策の担当かと思いましたが、読んでみたら坂井豊貴の担当でした。
この章では冒頭で『バビロニアン・タルムード』という古代ユダヤの信仰の本に載っている物の分け方が紹介されています。これは1枚の長い布があり、Aがその全部を、Bがその半分を要求しているならば、Aに3/4、Bに1/4を与えることが「公正」だというものです。布半分については2人が要求しているから半々に、もう半分についてはAだけが要求しているのですべてAに与えるという理屈らしいですが、この分け方を「公正」だと感じる人は少ないのではないでしょうか?
「公正」という概念は人々が重視するものですが、何か「公正」なのか?というとなかなか難しい問題を抱えています。それでいて人々は「公正」に扱われたいと強く願っているのです。
この思いを反映しているのが、経済学の実験で行われる最後通牒ゲームです。このゲームには提案者と応答者がおり、提案者は10ドル(本文ではドルはついていないけどわかりやすくするためにドルをつけます)もっていて1ドル~10ドルの好きな金額を応答者に分けることを提案します。応答者が受諾すれば双方取り決めどおりの金額が支払われ、応答者が拒否すれば双方の取り分はゼロです。
もし、人間が経済学的な合理性に基づいていれば、いかなる提案でも応答者は受け入れるはずです。たとえ1ドルでも0よりはいいからです。ところが、実際にゲームを行うと2ドルより低い提案はほとんど拒否されるそうです。そして提案する側も2ドル以下の提案をすることはまれです。
最近の実験では脳内のセロトニンのレベルが低い人ほど低い額の提案を拒否するそうですが、ある意味で、自己の利益を顧みずに「公正」さを求める人々がいるからこそ、低い額の提案をする人が減り、「公正」さが実現しているともいえます。
第10章の「歴史認識」では、まずアーカイブズの問題がとり上げられています。行政文書を保存し公開していくこと、あるいはそのための施設をアーカイブスと言いますが、今までの日本では行政文書をきちんと残しておこうとする意識が希薄で、担当者が私物として持ち帰ってしまったり、勝手に処分してしまったりするケースも数多くありました。
こうした問題と「歴史認識」がどうつながるのか?と思う人もいるでしょうが、筆者は従軍慰安婦問題などを例に上げながら、「出来事レベルでの認識を共有すること」の重要性を指摘し、そこに共通の土台を持つことで話し合いの可能性を構築しようとしています。
他の章も基本的にわかりやすく考えさせるかたちで書かれています。各筆者の過去の著作を読んでいると新鮮味はないかもしれませんが面白く読めると思います。
ただ、やや物足りない面があるとすれば、それは「制度」の話があまり出てこないというか、「制度」についての専門家がいない点。
政治学者としては宇野重規がいるのですが、どちらかと言えば思想よりの人であり、この本でも社会思想史的な部分を担当しています。
例えば、井手英策が執筆している第11章の「公」。人口減少が起こる時は社会が変動するときであり、そこでは「公」の意識も変化するという話をした後に、新しい「公」を目指す取り組みとして、地域のさまざまな取り組みを紹介しています。
医療、介護、リハビリを行いつつ女性職員の産休育休をしっかりとフォローしている茨城県常陸太田市の医療法人博仁会、認知症高齢者への支援活動を行っている広島県福山市のNPO「地域の絆」など、どれも意欲的な取り組みで新しい「公」の可能性を示すものかもしれません。
そこでやはり知りたいのがこうした取り組みを後押しするための制度をいかにつくっていくかということです。いつの時代にもカリスマ的な人やエネルギッシュな人は存在しますが、どこにでもいるわけではありません。個人的にこうした取り組みが、特定の個人のリーダーシップによって成り立っているのか、それとも制度として安定しているのかが知りたいですし、また、既存の制度の問題点をさぐりより良い制度を提案するのが社会科学の研究者の一つの役目だと思います。
そういった意味で「制度」に詳しい政治学者がもう1人入っていると、さらに内容が濃くなったかもしれません。
大人のための社会科 -- 未来を語るために
井手 英策 宇野 重規 坂井 豊貴 松沢 裕作
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