(取材・文/安田浩一)
朝鮮人など虐殺してやる──ネット空間でそう息巻いていた差別主義者の男は、両脇を二人の警察官に支えられて法廷に姿を見せた。
よれよれのジャージ姿だった。両手には手錠がはめられ、腰縄がされた状態である。肩口まで無造作に伸びきった髪は白いものが目立ち、まるで落ち武者のような印象を与えた。肌艶もなく、顔には吹き出物が目立つ。その疲れ切った表情と虚ろな目つきは57歳という年齢以上に老けて見えた。逮捕されてから三か月にも及ぶ勾留生活が、初老の域に差し掛かった男の生気を抜き取ってしまったようにも見える。
手錠を解かれた男は被告人席に座ると、傍聴席を見まわした。男の視線が最前列に座る私を捉える。その瞬間、「おっ」という感じで照れたような表情を顔に浮かべた後、彼はなぜか私に向けてちょこんと頭を下げた。私も合わせて軽く会釈する。
それが私たちにとって二度目の"対面"だった。
9月17日、宇都宮地裁栃木支部(栃木県栃木支部)。被告人の罪名は商標法違反、私電磁的記録不正作出、同供用である。
福島県いわき市に住む自称ホームページ製作業の男は、マイクロソフト社のソフト「オフィス」や「ウィンドウズ」の認証コード(プロダクトキー)を販売するサイトを開設していたが、その際、同社のロゴを無断でサイトに使用したことにより、6月16日、まずは商標法違反で逮捕された。
また、その後の調べにより、男が販売していたプロダクトキーは、すべて違法に入手したものであることも発覚する。
男はマイクロソフト社製のソフトをダウンロードできるIT技術者向け有料サービスに加入。転売禁止の契約を破り、入手したプロダクトキーを個人や法人に市価の約半額で販売し、約400万円の利益を得ていたことで7月4日に二度目の逮捕となった。
さらにテレビの有料放送を視聴できるB-CASカードの偽造に手を染めていることも取り調べの過程で判明する。
「摘発したのは栃木県警のサイバー犯罪対策室です。県警は今年に入ってから情報セキュリティーの研究者2人をアドバイザーとして迎え入れるなど、サイバー犯罪の摘発を強化しています。連日、サイバーパトロールが行われており、彼もその網に引っ掛かったというわけです」(地元記者)
男には多額の借金があり、その返済に行き詰まったことが犯罪のきっかけだったという。
特に世間の注目を集める事件でもなかった。各紙とも逮捕時は県警の発表文書を垂れ流すだけのベタ記事扱いで、その後のフォローは一切ない。
そして私の興味と関心も、事件そのものには向いていない。
私が知りたかったのは──来る日も来る日もネットで差別と憎悪をまき散らしていた、この男の暗い情念である。
*
ネット上において、男は「ヨーゲン」と名乗っていた。
私がヨーゲンを知ったのは2011年の冬である。
その頃、私はヘイトスピーチを用いてデモや街宣を繰り返す在特会(在日特権を許さない市民の会)を取材し、講談社のノンフィクション雑誌『g2』にルポを発表したばかりだった。当時はまだ在特会メンバーに直接取材した媒体はほとんどなく、主要メンバーの生い立ちにまで触れた私の記事には大きな反響があった。
もちろん、それは記事への評価、賞賛を意味するものではない。この場合における「反響」とは、ネット空間による非難、中傷、罵倒の類である。在特会メンバーの素顔をあぶり出し、さらに同会への批判を加えた私の記事は、いわゆるネトウヨの逆鱗に触れたのであった。
私に対する悪意に満ちた言葉がネットであふれた。
なかでも私のツイッターには、在特会を支持するネットユーザーからの抗議が大量に寄せられた。
国賊、売国奴、反日──。お定まりの悪罵に加えて、私の殺害を匂わせるようなツイートや、あるいは私の名前を騙り、アイコンをコピーし、ツイッターで「朝鮮人虐殺」を主張するような「なりすまし」まで登場する始末である。
そうした状況にあって、もっとも執拗に私を攻撃してきたのがヨーゲンだった。
彼は「朝鮮人の安田が書いた記事を信用するな」「安田を祖国に追い返せ」といった低レベルな書き込みを繰り返した。約3年の間にヨーゲンから私に振られたメンションの数は軽く1千回を超える。ほぼ毎日のように必ず、私に向けて悪罵を投げつけなければ気が済まないようであった。
むろん私に対してのみ醜態をさらすのであれば、たかが「ネットの暴走」として片づけることもできたはずだった。
問題は、彼がフダ付きのヘイトスピーカーだったことにある。ネットに疎い私は、実は自分自身がツイッターで攻撃を受けるまで、「ネトウヨ界の超有名人」であるヨーゲンの存在をまるで知らなかった。