「更新はゆっくりにする」と昨日宣言しておきながら、どうしても愚痴りたいことがあって投稿をしてしまう私です😅
ちょっとさる筋からウソをつかれたうえ、法的に無効な要求をされました。
悔しくて眠れない
詳しい内容は書かないけれども、長年付き合ってきて、ここにきてウソと法的に無効な要求かよ……。私、舐められてるなと思うと、悔しくて悔しくて、一昨日はほとんど眠れませんでした。
私は間違っていないのに。向こうがひどいのだ。このズルくて身勝手な人たちを社会的にぶん殴ってやりたいという気持ちで支配されてしまった。
次々に繰り出される自己否定の波
このブログでも散々「正しさに振り回されない」とか「被害者意識を持たない」なんて偉そうに書いておきながら、ちっとも自分自身がそう振る舞えてないなあと思うんだよね。
それどころか、騙された私が愚かだ、騙された私は弱い。私が怒りを表出するからその報復として騙されるのだ、というストーリーが押し寄せてくる。自分から能動的に自己否定しようとしているのだ。
なんだ、私、ブログに書いてきたこと、全然実践できてないじゃん。情けないなって😅
でもそれに気づくたびに
「騙される自分でも大丈夫。騙される自分でもオッケー」
とブツブツつぶやくようにした。
肯定的な言葉をブツブツつぶやきながら、かろうじて瀬戸際で食い止めようと必死だった。
そんな中、弁護士さんに相談をする
そういう不快な気持ちを抱えながら、弁護士さん(私の個人的な友人でもある)に相談しに行ったんですよ。
すると、私の友人でもある弁護士さんは即答で
「ああ、これは無効だねえ」
「こりゃあ裁判になっても、ミナオが勝つと思うよ」
「しかし、その人ってアホだよね。こんな要求が無効だってことは、ちょっとネットを検索すりゃ出てくるし、その人自身もツッコミどころをたくさん残してるのに。ちょっと信じられない人だね(笑)」
と、率直に語ってくれた。(友人だからね)
アホと言ってくれて、心の霧がパァァアアアッと晴れるのがわかった😅
その日の晩は、もうノンストップで熟睡ですよ😊
結局「正しさ」の証明にこだわっていた私
法的な正しさがある程度証明できたことで安心したのだけれども、やはり「私は正しい」ということを認めてほしかったのだなということが改めてよくわかった。
正しくないと、私自身には価値がないと思い込んでいたのだろう。
私自身は、これでも誠実に生きているつもりだ。だから、私が他人から正しさを認めてもらえなくても、私自身には価値があり、その価値は揺らがないように生きたいと思っている。けれども、そうはなりきれていないことがハッキリしてしまったようだ。
まあ、それも仕方がないか。それもまた、偽らざる自分の姿なのだ。その姿をひっくるめて肯定しなければね。
不法な要求だとわかったから、相手を社会的にぶん殴るべきか
ウソをつかれ、不法な要求をされたことが明確になると、今度は反撃をしたくなる。相手を社会的にぶん殴ろうかと思っていると、弁護士の友人はこういう。
「ミナオはたぶん法的には勝つと思うし、相手と全面戦争をすることを止めはしないけれども、ミナオがしんどいだけだよ。悔しい気持ちはわかるけれども、俺もアイデア出すからさ、しんどくないように行かない?」
そうだね。誰かに舐められる、脇の甘い私ではあるけれども、友人の彼はそんな私の心配をしてくれて、私にとって悪くない方法を考えて助けてくれようとしてくれているのだ。
怒りと悔しさと自己否定感情で、私は大切なことを忘れていたね。私を騙す人はいるけれども、私を大切に思ってくれて、助けてくれる人もいるということを。
そういえば私、自分でつぶやいていたではないか。
「騙される自分でも大丈夫。騙される自分でもオッケー」
だって。
騙す人は放っておいて、私は私を大切に思ってくれて、助けてくれる人と、共に生きる。
それで万事がオッケーなのだ😊