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村上春樹と野球

村上春樹氏が少年時代に「好きだった」という甲子園球場の夕景
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 【内田雅也の広角追球】村上春樹さん(68)の著作には野球や野球場がよく出てくる。

 <子供のころ、野球場の上の方に座って、夏の日が暮れなずんでいく様を眺めるのが好きだった>と長編小説『ねじまき鳥クロニクル 第2部・予言する鳥編』(新潮文庫)にある。東京・世田谷区の住宅地にある井戸の底で、主人公が少年時代を思い起こしている場面である。これは村上さん本人の記憶だろう。

 野球場は甲子園球場だ。<ねぐらに帰る鳥たちが、小さな群れを作って海の方に向かって飛んでいくのが見える>とはまさに甲子園の光景だ。

 西宮・夙川に暮らしていた村上さんは少年時代、甲子園球場によく通った。「甲子園球場も自転車に乗ってすぐだったから、高校野球の間はほとんど毎日見に行っていました」とインタビューで答えている=季刊誌『考える人』(新潮社)2010年夏号=。

 さらに『ねじまき鳥――』では<まだほんの小さな子供のころに、セントルイス・カージナルスが親善試合に来日した。僕は父親と二人で内野席でその試合を見ていた>と続く。大リーグ・カージナルスは日米野球で2度来日しているが、9歳の村上少年が見たのは1958(昭和33)年11月3日の甲子園、全日本との第7戦だと推定できる。この試合、全日本は広岡達朗(巨人)の本塁打などで3点を先取、小山正明(阪神)が好投したが、延長10回、3―6で惜しくも敗れている。

 この試合の2週間前、10月21日、村上さんは甲子園球場の土を踏んでいる。同年代で、同じ西宮で育った「西宮芦屋研究所」の小西巧治さん(68=西宮市)に教えてもらった。小西さんは村上さんの作品のルーツを研究、ブログなどで発信している。

 当時、村上さんは香櫨園小学校の4年生。西宮市の第2回小学校連合体育大会(小連体)に出場していた。今は市内の6年生だけの行事だが、当時は4〜6年生が全員参加していた。小西さんいわく「つまり、村上さんは3度、甲子園の土を踏んでいる」というわけだ。

 父は甲陽学院で国語(古文)の教師を務めていた。阪神タイガースのファンだったと当時の教え子たちが語っている。大阪出身の母も阪神ファンで、息子と同じ名前の吉竹春樹外野手に肩入れしていたそうだ。

 村上さんもファンクラブ「タイガース子供の会」に入会していた。「阪神間少年」の多くは阪神ファンだった。

 神戸高卒業後、上京してからはヤクルトファンとなった。ヤクルト・スワローズの公式HPに、ファンクラブ名誉会員として『球場に行って、ホーム・チームを応援しよう』という一文を寄せている。<僕は子供の頃、阪神間に住んでいたので、暇があれば甲子園球場に試合を見に行きました。当然ながら小学校の頃は『阪神タイガース友の会』に入っていました(入っていないと学校でいじめられる)>。

 神宮球場の外野芝生席(当時)で観戦中に「小説を書こう」と思ったと、エッセー『走ることについて語るときに僕の語ること』(文春文庫)で明かしている。1978年4月1日、公式戦開幕のヤクルト―広島戦。1回裏先頭のデーブ・ヒルトンが左翼線二塁打を放った。

 <僕が「そうだ、小説を書いてみよう」と思い立ったのはその瞬間のことだ。晴れ渡った空と、緑色を取り戻したばかりの新しい芝生の感触と、バットの快音をまだ覚えている。そのとき空から何かが静かに舞い降りてきて、僕はそれを確かに受け取ったのだ>

 ヤクルトは同年、リーグ優勝を果たした。日本シリーズ前、東京・広尾のスーパー前で妻と幼い息子を連れたヒルトンを見かけてサインをもらったと『雑文集』(新潮社)に書いている。翌79年『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受け、作家としてデビューした。

 そのヒルトン氏は9月17日に亡くなったと、アリゾナ州の地元紙アリゾナ・リパブリック(電子版)が伝えていた。67歳だった。

 村上さんと野球について、先の小西さんは「小学校時代の同級生の話を聞くと、プレーはうまくはなかったが、見るのは好きだったようです」と話す。ただ、33歳ごろから本格的に走り始め、ジムに通って体を鍛える姿は『海辺のカフカ』や『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』などの作品でも見られると指摘する。「少年時代に通った甲子園球場で見たトップレベルの選手の姿は脳裏に焼き付いているはず。自らを鍛え上げ、今やトップレベルのタフな大作家となった」

 もう一つ、現場主義が貫かれている。高校野球もテレビ観戦はしないが甲子園で観るのは好きだった。野球観戦のルールとして<球場に足を運んで試合を見る>としている。<階段を上っていって、目の前に外野の緑の芝生がさっと鮮やかに開けるときの感動は、何度経験しても素晴らしいものです>。この感動は本物の野球好きである。

 日本時間5日夜に発表となったノーベル文学賞は、またも受賞がならなかった。ハルキストたちのため息が聞こえてきそうだが、野球好きなら分かっている。阪神やヤクルトのファンならもっと分かる。どんなチームでも負ける。野球では勝つことよりも負けることの方が多いのである。 (編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 高校時代に発表された『風の歌を聴け』は大学入学後に読んだ。以後、村上作品を読みあさった時期があった。1963年2月、和歌山市生まれ。桐蔭高―慶大を経て、85年入社。大阪紙面で阪神を追うコラム『内田雅也の追球』は11年目のシーズンを終えようとしている。

[ 2017年10月6日 09:30 ]

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