泣けて泣けて泣けた…「ひよっこ」の名セリフ【みね子の叫び編】 あの感動をもう一度�
『ひよっこ』を放送開始当初から「傑作」と断言していたコラムニスト・堀井憲一郎さんが、忘れがたい名セリフを振り返る短期集中連載(全4回)。最終回となる今回は、主人公・みね子の叫びです。
父の失踪
『ひよっこ』で、父の失踪が暗示されたのは、第2週めの8話だった。
父ミノル宛ての郵便物が、戻ってきた。
母が、東京へ様子を見に行った。
この父の失踪が、ドラマの主筋のように見えた。でも、それはある種の見せかけだった。喪失と回復が、このドラマのメインテーマになっていたわけではない。そういう構成がうまかった。しかし「父の失踪」が物語進行の芯になっていたのはたしかだ。
母の美代子は、現場にも宿舎にもミノルがいないことを確かめ、警察へ向かう。失踪人の捜索願を出した。〔11話。4/14〕
捜索願を受け付ける警官は、嘆息混じりにこう言った。
「イバラギねえ、でもね奥さん、見つかると思わないほうがいいよ、ほんとにね、イバラギから来てご苦労なんだけど」
下を向いていた美代子は、言葉強く、こう言った。
「イバラギじゃなくて、イバラ、キ、です……ヤタベミノルと言います。私は…、私は、出稼ぎ労働者を一人捜してくれと頼んでるんではありません。ちゃんと、名前があります。茨城の、奥茨城村で生まれて育ったヤタベミノルという人間を捜してくださいと頼んでいます。ちゃんと、ちゃんと、名前がありますっ(泣)。お願いしまっすっ。あの人は、ゼッタイに自分でいなぐなったりするような人ではありません。お願いしますお願いします。捜してください。お願いします」
最後は立ち上がって、涙ながらに訴えた。
このドラマの前半の、「三大の叫び」のひとつである(あとは聖火のミツオと、閉鎖のときの豊子。参照 gendai.ismedia.jp/articles/-/53065)。
強く胸に刺さる言葉だった。
この言葉を聞いて以降、とても心がけて、イバラ「キ」と言うようにしている。(キーボードで打ち込むときにさえ、気をつけている)そうさせてしまう言葉だった。
みね子、叫ぶ
みね子が、叫ぶのは、102話。〔7/29〕
大女優の川本世津子に、何も説明されずに、家まで付いてきてと言われ、たどりつくと、そこに、2年半前から行方不明になっていた父がいた。
しかし記憶喪失だと、世津子から言われる。みね子は信じない。
信じないみね子の叫びは、悲しく、切なく、痛切である。
世津子は、アメオと呼んでいた記憶のないミノルに語りかける。
「アメオさん……あなたの…お嬢さん。谷田部みね子さん。そしてあなたの名前はヤタベミノルさん」
そしてみね子に向き直る。
「あなたのお父さんはね、何も覚えてないの。むかしのこと。自分の名前も、どこで生まれ育ったのかも、家族のことも…」
「ウソだそんなの!」みね子は叫ぶ。
「ウソだそんなの! ウソだっ! だって、だって、お父ちゃんですよ。覚えてないなんてそんなことあるわけないでしょっ!!」
「ね、みね子だよお父ちゃん。どうしたのよっ、なんでそんな顔してんのっ! ね、みね子だよ!………お父ちゃん……やんなったんでしょ、私たちのこと。それとも何もかんも? ひどい目に遭わされて、イヤになったんでしょ。だから、いなくなったんでしょ、そうでしょ! そりゃわだしわがっから、わだしわがっから……お父ちゃんがここにいたいなら、いいよ。お父ちゃんがここにいたくて、帰りたくないなら、わたし………会わなかったごとにすっがら………帰るし……今日のごとは忘れっから………それでいいがら………生きててくれただけで嬉しいし………お父ちゃんのことを責めるつもりなんてぜんぜん、ないがら(泣)、ぜんぜん(泣)ないがら(泣)……だから(泣)…………覚えて……ないなんで……言わねえで(泣)………みね子だよ……お父ちゃん…………」
泣けた。どこまで泣くのかというくらいに泣けた。
イヤになったんでしょ、私たちのこと、というみね子の心情が痛切だった。
イヤになったんでしょ、そりゃ、わたし、わがっから、という言葉、「お父ちゃんがここにいたいなら、いいよ。お父ちゃんがここにいたくて、帰りたくないなら、わたし……会わなかったごとにすっがら……帰るし……今日のごとは忘れっから…」という、ひたすらのやさしさ。
哀しい叫びに込められた、みね子のやさしい心根が、このドラマを象徴していた。いま、書き写していて、みね子の声がよみがえってきて、また、ぼろぼろに泣いてしまった。
「出ていって欲しくなかったんです」
茨城の母に連絡し、ふたたび母娘で川本世津子の家にくる。
こんどは母美代子の切烈な言葉が出る。〔106話。8/3〕
美代子の言葉は、世津子に向かう。
「谷田部家として、妻として、まずはお礼を申し上げます。さまよっていた夫を助けていただきました。ありがとうございました。助けていただかなかったら夫はどうなっていだがわからないと思います。感謝いたします……今日は夫を引き取りに参りました」
「でも、どっしても、私にはわがりません。なぜ、2年以上もそのまま……もし、あなたが、病院や警察に届け出てくれてたら、夫は、私たち家族のもとへ戻ってきたんではないでしょうか…」
「この2年半、家族がどんな思いで生きてが、わがりますかっっ……これが、私たち家族です(写真を出す)…これが、夫の父です、こっちが次女のチヨコ、これが長男のススム……どんなおもいで……どんなおもいで私たちが……私たちが、生きてきたか、わかりませんかっっっ。考えもしませんでしったかっっっっ。この人に、家族はないのだろうか、その家族はどんな思いでいんだろうかって考えもしませんでしたかっっっ……みね子はいなぐなった父親の代わりに、家族に仕送りにするために東京にきました。……この子が、どんな気持ちで、はだらいでたが、わかりますか。その仕送りを、どんな気持ちで受け取っていたが、わがりますがっ。お金のことだけを言ってるんではありませんっっ。どうしてっ」
でも、美代子の叫びは、宙を舞う。
川本世津子は、静かに答えた。
「出ていって欲しくなかったんです……いけない、間違っていると…おもいながら、いつかはそうしなければいけないとおもいながら……そのままにしてしまいました………」
「……楽しかったです、一緒にいるのが……」
「雨の日に出会ったので、アメオさんと呼んでいました……初めて……早く家に帰りたいと思った(泣)……生きていて初めて……そんな時間でした……でもやはり、許されることであるわけはなく……偶然みね子さんと知り合ったのも、そういうことだと、おもいます………今日まで、ほんとうに、申し訳ありませんでした(泣)……」
世津子に泣けた。
「幸せでいてもらわないと困るんです」
このあと、世津子は金銭スキャンダルから事務所をやめ、女優も休み、自宅に籠もりっきりになる。それを知ったみね子は、ヒデとヤスハルの協力を取り付け「では、おのおの、ぬがりなぐ」と指令して、世津子救出に向かう。〔135話。9/6〕
出前です、と叫んで、何とか単独で室内へ入り、世津子と対面する。
「みね子ちゃん…どうしたの」
「ここ、出ましょう。私んとこに行きましょう。ね。こんなとこに、こんな状態で一人でいちゃだめですっ! ね。行ぎましょ」
「どうして」
「世津子さんには、幸せでいてもらわないと困るんです。じゃないと、お父ちゃんに起きてしまった哀しい出来事が、なしにならない。私は、なしに、したいんです。だがら……行ぎましょう」
そのあと世津子が大きな荷物を持ってきたので「ちょっと。なに考えてんですか。そんなんダメです」と叱る。あ、ごめんなさい、どうしよう、と慌てる世津子。
タイミングを見計らい「行ぐよ」と言って、世津子の手を強く握る。その握られた手を見て、泣きそうになる世津子。それほどの心細さであったのかと、見ているこちらまで、その不安と、みね子の暖かさに泣きそうになった。
そうして、マスコミの囲みを突破し、あかね荘にたどりつき、みね子と世津子は、友だちになった。
「ミノルって、いー名前ですね」
ミノルは記憶を戻さないまま、でも茨城の農家できちんと働いている。
この、記憶がきちんと戻ってないまま、ドラマが終わったところがすごかった。
最終回に一部だけ思い出したが、一部だけ。結局、思い出さないままに終わったのが見事だったと私はおもう。
ミノルはしっかり土に生きる男であった。
「お父さん、美代子、みね子、ちよこ、ススム、ご心配をおかけして、すんませんでした。申し訳ないです。それから、自分の家族のことがわがんなくて、なんつっていいのか、ほんとに、ごめんなさい。記憶が戻っかどうかもわがんねえし、自分がどうなんのかもさっぱりわがんねえ。でも、ここで、取り戻して、もっぺんやり直して、生き直して、そうおもって帰ってぎました。どうか、よろしくお願いします」
これが帰着したときの挨拶。〔111話。8/9〕
田植えの日の朝、じっちゃんに向かって、つまり自分の父親に向かって、名前のことを言った。
「あのー、お父さ……父ちゃん」「あー、なんだ?」「ミノルって、いー名前ですね。好きです」〔112話。8/9〕
それを聞いて、じっちゃんはおもわず、泣き出しそうになる。
自分の名前のことを、あらためて見つめなおすというのは、あまりないことだ。名付けてくれた親に礼を言う機会もあまりないだろう。記憶がないからこそ、そういうことがストレートにできたのだ。とてもよかった。
「人を救うのは、人だよ」
124話〔8/24〕には、縁側で美代子に言った。
「最近、おもうんだ……思い出せなくてもいいって……ここで生ぎてることが、好きだ。美代子のことも好きだ」「こっからだ。取り戻すんだ。ぜったいに」
ムネオは兄夫婦に向かってこう言った。
「おれ、おもうんだけどよ、哀しいこどはよ、降ってくるみたいにいきなり起きんだ。どんなに、きちんと、誠実に、生きててもよ。哀しいことや、やなことは、いきなり起きる。どうしようもなく起きんだ。でもよ、哀しいことから救ってくれんのは、人だよ。人間だ。……立ち直らせてくれんのも、人だよ。だからよ、誰かに助けてもらったら、誰かを助ければいい。それでいいんだよ。人を救うのは、人だよ。みんながそうすりゃ、世界はきれいにまわっていくよ。だっぺ」〔124話。8/24〕
そのとおりである。
人は恩を受け、借りを作ってしまう(そもそも生まれてからある程度になるまで、自分一人ではぜったいに生きていけない)。
また、恩を受けた人、借りを作った人に、すべて返せるわけではない。恩を受けっぱなし、借りを作ったままになる。それをいやがってはいけない。恐れてもいけない。受けた恩は、別の人間に返すしかない。
そういう人と人との関係を、あらためて確認したドラマであった。
すばらしい。
はい。以上だ。
いまはもう『わろてんか』でっせ。よろしう。
私たちはなぜ、いつも「大変!大変!」と言っているのか? もしかしたら大変なのは経済や社会や時代ではなく、そういうふうにしか考えられない私たちの頭のほうかもしれない…