「ひよっこ」戦争体験者の心情の描き方がゾッとするほどリアルだった あの感動をもう一度�
「『ひよっこ』は言葉のドラマだった。セリフが、胸の深みに届いた」
コラムニスト・堀井憲一郎さんが初話から最終話まですべて見なおし、「心に残ったセリフたち」を書き留める短期集中連載の第3回。今回は、劇中、いろんなところに垣間見えた戦争の爪痕について。
大女優の原点
いろいろあって、みね子と同じあかね荘に住むようになった大女優(休業中)の川本世津子は、みんなとのお茶会で、こんな話をしていた。〔147話。9/20〕
金銭のことで揉めている叔父夫婦を(それで休業しているのだが)、でもまた助けちゃうんじゃないか、という。
「叔父さんはお父さんの弟だし」「それに……忘れられないことがあって……」
彼女は、幼いころに両親を亡くし、牛乳屋さんの叔父夫婦にもらわれ、家業を手伝っている小さい子供のころ、ひょんなことから映画に出始めた。
「私が初めて映画のギャラ、もらって帰った日、私はもう得意満面で、どうだっておもってて、これでもう厄介者みたいな顔させないぞーとおもってね、で、家に帰って、叔父さん叔母さんに、はいって、渡したの」
「当然、驚いて、でもね、叔父さん……泣いたんだ。泣いたの、お金見て。なんだか打ちのめされたような顔してた」
「そのときは子供だからあんまり意味がわからなかったんだけど、今にしておもえば、悔しいというか、なんとも言えないような気持ちだったんだとおもう。牛乳屋さんの年収に近いような額だったから」
「そんなにお金に溺れずにすんでこれたのは、あのときの叔父さんの悲しい顔があったから」
愛子さんの哀しい恋
さて、もとはみね子たちの寮の舎監さんだった愛子さん。
ちょっと頼りなげだけど、楽しく明るく「一家に一人は欲しい」と言われるキャラクター。彼女の恋の話は、しかし哀しかった。〔149話。9/22〕
「結婚の約束をした人を、戦争で亡くしました。ニューギニアです」
「その人のことが、いまでも好きです。ずーーーっと、大好きです。同じ職場だった人で、工場で、でも召集されてしまって……」
「結婚して欲しいって言いました。征く前に、お嫁さんにしてくださいって。妻になってお待ちしますって、お願いしました。それが当たり前だとおもったし、できれば子供も欲しかった」
「でも断られました。それはダメだって。私が泣いて頼んでもぜったいにダメだって。自分はおそらくは帰ってはこない。ぼくは、きみのことを未亡人にするつもりはない。そんな苦労、させるわけにはいかないって、ぜったいにダメだって…そして…帰ってこなかったら、ちゃんと僕のことを忘れて、誰かと幸せになって欲しいって、それが一番、嬉しいって。きみは幸せに生きてるんだとおもったら、僕は幸せだからって、そう言われました」
「私、そんなこと考えられなかったし、イヤだし、でも、あー、私のこと、本当に愛してくれてるんだなって……だから……だから……わかりましたって言いました。あの人、よかったって笑顔で言って、必ずきみは幸せになるよってそう言って、でも、でも、ほんの…ほんの一瞬だけ……悲しそうな……寂しそうな顔…………私、その顔が忘れられなくて……わたし……ずーっとずっと、その顔……ずっと忘れられなくて……そして、戦争が終わっても、帰ってきませんでした……」
「もう、無理だとおもってたんです。でも省吾さんと初めて会った時に、自分でも驚くくらい、わあっておもって、電気が走ったみたいになってしまって。ほんとに私、嬉しくて、こんな感情が残ってたんだってのが、嬉しくて。でも私はやっぱり、いまでもあの人が好きで、それが忘れられるとはおもえないし、こんな私でも、恋してもいいでしょうか」
シェフの省吾さんはそれでもいいと言った。2人は一緒になった。
全員、強烈な戦争体験を抱えていた
愛子さんの話は、戦争の哀しさをしっかり伝えていた。
このドラマの舞台は1964年から1968年で(特に1966年と1967年が丁寧に描かれていた)、日本が大負けに負けた世界大戦が終わってまだ20年少ししか経っていない。戦争にいった人たちがまだ40歳台だった時代だ。
その世代のすべての日本人は、全員、強烈な戦争体験を抱えていた。みんながみんな持っていた。
だからあまり話題にならなかった。言っても詮無いからだ。自分も歳をとって、そのへんの機微がわかった。だからこそ、日常生活のなかで、突然、戦争の話が断片的に語られた。いつもそうだった。
当時小学生だった私たち世代は、その唐突さと、話の深さに打ちのめされ、いつもきちんと聞いてなかった。そもそも、話しているほうも、戦争体験してない世代に対して話しても無駄だとおもってる気配が強かった。
この、いきなり戦争の話が始まるシーン、というのが、とてもリアルに1960年代らしい、昭和の風景なのだ。このドラマの奇跡的な素晴らしさのひとつだった。
「私の戦争は終わってないわ」
ほかにも戦争の話がいくつかあった。
72話。〔6/24〕
鈴子さんのお話。彼女は、息子を戦争にやった世代である。つまり明治生まれの女性だ。
「戦争で、たくさんのものなくした、みんな。で、そこから頑張ってみんな、がむしゃらになくしたもの取り返すために、頑張って、頑張って、無理して……そこでまた、いろんなものをなくした」
「豊かにはなったけどね、お陰様で食うには困らなくなったし、食べるもんもなかったころに比べたら…でもぉ……何が、残ったんだろう」
「…もはや、戦後ではないなんて、ずいぶん前に偉いさんが言ってたけど、冗談じゃない……戦後どころか、私の戦争は終わってないわ……もう元には戻らない。まだずっーーっと、借金払ってるような、気分」
まだずっと借金払ってるような気分、というセリフが、この世代の気分をリアルに表しているようにおもう。
軍隊で一番悲しかったこと
シェフ省吾さんも少し戦争の話をした。〔65話。6/16〕
レストランの厨房でも、場所によってはすごく暴力が振るわれてたという話のあと。
「…軍隊もそうだった…何やってもダメで、いつも怒鳴られて、殴られてばっかりいるやつがいた、それ見てるんのがつらくてなあ。かばったらこんどはおれが殴られる……何なんだろうこれは、っておもってた」
母鈴子さん「初めて聞くねえ、その話。あんた軍隊の話は、全然、しなかった」
「忘れたかったからねえ……でもなあ、一番悲しかったのは、その、やられてたやつが、自分より下が入ってきたら一番厳しくて、自分がやられたように、下のやつ殴ったりしてたことだ。いやなもん見てるなあっておもった。見たくないなあって、おもった。……でもなあ、人間は、やられっぱなしじゃ、生きていられないんだよ。そういうもんだっておれはおもうんだ。無理もないとこもあるんだ。だから余計に悲しいし、いやなんだよ。………戦争終わって、あー、もうこういうの見なくていいんだ……っておもって、……それが嬉しかった」
元治が(ヒデの先輩シェフ)この話を聞いてるときだけは、とてもとても哀しい顔をしていた。何もコメントしなかったけど、でも哀しい顔をしていた。彼が、このドラマの中でもっとも真面目な顔をしていた瞬間だとおもう。
真っ暗なジャングルで遭遇したイギリス兵が…
戦争の話で、もっとも印象深いのは、みね子の叔父ムネオの話だ。〔147話。9/20〕
ビートルズ公演の警備のための赤飯をみんなで夜を徹して作っていたとき。
戦争のときは、どこにいたとシェフに聞かれ、陸軍でビルマに、と答えると、シェフは驚いた。
「おまえ茨城だろ。ビルマってまさか、インパール作戦ってことか」と質された。ビルマ戦線で日本が戦った相手は、イギリス軍である。
「はい生き残りです。仲間はほとんどみな、戦死しました」
そのあと、斥候に出された話を始める。
「ある晩によ、斥候っつってな、まあ、偵察みたいなもんだな、斥候に行かされてよ、その夜は、月が曇ってて、おまけにジャングルの中だから真っ暗でよ、なーんも見えねえんだ」
「で、いきなり出くわした……イギリス兵にね……気が付いたらすぐ目の前にいて。おれも驚いたけど、向こうも驚いた顔してた。お互い銃を構えてさ、動けなかった。おれ怖くて震えてたけど、向こうも同じだったんだろうな」
「だんだん暗闇に目が慣れてきて、相手の顔が、見えた。靴墨で黒く塗ってやがったけどよ、おれと、おんなじような年ごろの男だったよ。いまの、みね子ぐらいかな」
「遠ぐから声が聞こえたんだ。向こうの仲間だ。そしだらよ、目の前の奴が、仲間に何か言ったんだ。何っつったのか、わがんね。何っつったのかわがんねえから、よけい怖くてよ……ほしたら……ほしたらな、そいつ、おれ見て、ニッコリ笑ったんだよ。笑ったの。でそのまま、仲間のようす走ってった」(*仲間のようす、と私には聞こえた。たぶん違っている。)
「おれはそのままぼーっとしてて、いつまでもぼーっとしててよ、なーんで笑ったんだよってわがんなくてよ、わがんなくてさー……でも、おれはあいつのおかげで死なずにすんだの」
「おれな。くやしかったんだよー。おれは笑うこと、できなかったからなーーー。だからよ、何かあっても、拾った命だから、笑って生きようって決めたんだ。くやしかったからねー。」
「で、ビートルズだよ。ちっきしょー。またイギリスかよっておもったけどよ、なんか、おれは、嬉しかったんだー……もちろんよ、ビートルズとそんときのあいつは関係ないとおもうけっどよ。たしかにおれは、あいつのおかげで、生きてんのかもしんねえけど、あいつだって、おれのおかげで、生きてるって考え方もあっぺ」
「だからよ、おれの中で、ビートルズとあいつとが、ごっちゃになってちまって(笑)、だからよ、なんか言いてえんだ、ビートルズによ、おれは生きてっどー、てな。ん。おれは笑って生きてっどー。おめえは生きてっか。笑ってっかー。てな。言いてえんだ。叫びてえんだー」
なぜムネオおじさんはいつも笑っているのだろう、とみね子はむかしから不思議におもっていた。これが回答だった。このドラマの大きなポイントになっている話だ。
殺し合いしそうだったイギリス兵が、莞爾と笑って去ったので、残りの人生は笑って暮らしている、というのは、とても素敵なファンタジーだとおもう。すばらしい(この週のタイトルは「俺は笑って生きてっとう!」だったのだが、私の耳にはどうしても、「生きてっどー」としか聞こえない)。
ムネオおじちゃんは、このあとみね子にこう言って茨城に戻った。
「おめえよ、ローリングストーンズってバンド、知ってっか。なんかな、あいつらはよ、イギリスからおれに、喧嘩売ってる感じがするんだわ。売られた喧嘩は買わねえとな。そのうち日本さ来るわ、きっと……だからよ、おれはまたおめえに会いに来るって意味だ。わかっか」〔84話。7/7〕
ローリングストーンズは1973年、このビートルズ公演の7年後に来日公演が予定されたが、ミック・ジャガーの入国が拒否されて、中止となった。ムネオおじさんは、茨城で大咆吼したはずである。
結局、ストーンズが初めて日本公演を行ったのは、平成に入ってから、1990年のことだった。
このとき、水道橋駅の歩道橋上にいたダフ屋が人に囲まれて、「5万円ないなら諦めな」というようなことを言っているのを、公演に向かっている私は聞いた。会場に入れなかった人たちが、東京ドームの壁に耳をつけて聞こうとしているのを見た。その話は、また。
(→最終回【泣けて泣けて泣けたみね子の絶叫編】はこちら http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53070)
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