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【芸能・社会】

東京ロマンチカの三條正人さん死去 妻・香山美子にみとられ…74歳

2017年10月6日 紙面から

婚約会見する三條正人さん(右)と香山美子=1973年5月、東京・赤坂で

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 コーラスグループ「鶴岡雅義と東京ロマンチカ」のメインボーカルを務めた三條正人(本名渡辺正好)さんが5日午前5時54分、東京都内の病院で悪性リンパ腫のため亡くなった。74歳。妻で女優の香山美子(73)らがみとったという。

 所属事務所によると、三條さんは1年ほど前に脚部が大きく浮腫するなどの症状に見舞われた。当時の新曲発表会では「最近、ステージで足がふらつくようになった」などとジョーク交じりに話していた。病院で診察を受けたところ、膠原(こうげん)病と診断された。通院で投薬治療などを受け、脚の腫れもひくなど快方に向かい、コンサートやディナーショーなどのステージも精力的にこなしていた。

 しかし、1週間ほど前から再び体調を崩し、入院。最後は香山ら家族にみとられて安らかに息を引き取ったという。訃報に接した歌手仲間たちも病院に駆けつけた。

 最後のステージは、9月17日に群馬県で開かれたコーラスグループ、ロス・インディオスの55周年記念コンサートへのゲスト出演だった。ステージでは元気な歌声を披露したが、関係者には「最近、食欲が全くなくなった。食べられないのがつらいし、悔しい」などと漏らしていたという。

 三條さんに近い関係者は「体力的な衰えも感じていたのでは」と話した。それでも、三條さんのステージへの熱意は衰えず、今月もショーやNHKの番組に出演を予定していた。

 通夜は9日午後6時から、葬儀・告別式は10日午前11時からいずれも東京都中野区2-33-3の宝仙寺で営まれる。喪主は香山美子が務める。

<三條正人(さんじょう・まさと=本名・渡辺正好)> 1943(昭和18)年、大津市生まれ。63年、法政大在学中にコーラスグループを結成、プロ歌手として活動を始める。67年に東京ロマンチカのリードボーカルに迎えられ、「小樽のひとよ」でレコードデビューし大ヒット。「君は心の妻だから」「北国の町」などがヒット、紅白歌合戦には68年から6回連続出場。73年に女優の香山美子と結婚、翌年にはソロ歌手に。78年に東京ロマンチカに復帰するも、85年に再びソロ。2011年1月、強盗に襲われ頭部にけが。15年から東京ロマンチカとコンサートを開くなど活動をともにし、16年11月に再復帰した。これまでレコードはシングル43枚、アルバム52枚。趣味はゴルフ、競馬、マージャン。

 

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