核シェルター
朝の情報番組で、家庭用の 核シェルターの注文が相次ぐという話題をやっていました。
下の写真はアメリカの会社の製品だそうで、壁に銃が飾ってあるのを見てもわかります(笑)。新築物件用や個人用など様々なタイプがあるようです。
核シェルター、日本からの注文「勢い止まらない」:朝日新聞デジタル
6人用のがおよそ1100万円らしい。お金持ちしか生き残れない?
いえいえ扇動されてはなりません。危機をことさらに煽り、勇ましいことばかり言う大統領のもとで、笑いが止まらないのはアメリカの軍需企業でしょう。株価が急上昇です。
また、核シェルター先進国のスイスの例も紹介されていました。冷戦時代の1963年(キューバ危機後)に、「全国民に核シェルターを」というスローガンのもと、核攻撃に備えて公共の建物の地下に核シェルター設置を義務づける連邦法が制定されたということです。現在はもう義務というわけではありませんが、すでに国民の114%を収容できる設備が地下空間にあると言っていました。
スイス式の個人用シェルターを扱う会社が神戸にあるそうですね。
Bunkers for all - SWI swissinfo.ch
ちょっと寄り道して「防空壕」も見てみましょう。子どものころ雑誌で見た写真で、お気に入りがあって、画像検索で探してみると簡単に出てきました。(喜)←Yさまの真似。
c. 1943A South London resident waters the vegetables planted on the roof of her Anderson shelter.IMAGE: FOX PHOTOS/GETTY IMAGES
How families lived in their WWII backyard bomb bunkers
これです、アンダーソン式シェルター!(アンダーソンは当時の内務大臣の名前)
場所は戦時下のロンドン。1940年9月から約8カ月、市街地にドイツ軍による大規模な空襲がありました。
この防空壕の仕組みは簡単、掘った穴に波形アーチ状トタン板を二つ向かい合わせに入れ、前後に板を立てて上に土を盛ります。かなり頑丈だったことが爆撃後の写真などで証明されています。
年収250ポンド以下の家庭には無償提供されたのですが、都市部は庭が少なく、道路も舗装されていたため、まず設置場所を探すのが大変だったそうです。
それにしてもロンドン市民は何かしら楽しみを見つけようとしていますね。
1940 An elaborately decorated Anderson shelter. IMAGE: WATFORD/MIRRORPIX/CORBIS
1940 Actors are recorded for a film about Anderson shelters.IMAGE: POPPERFOTO/GETTY IMAGES
シェルターの宣伝用フィルムの撮影らしい。上記サイト内、写真が多くどれも楽しめます。
ヒトラーはイギリス贔屓だったか
先日「フランス人は平和主義ですか」というコメントにお答えしました。
今回はヒトラーのイギリスへの思いについて。といっても私がこれまでの読書などで得た印象が中心になるのであくまでも私の意見です。
ナチス時代を振りかえる-1-『我が闘争』がベストセラー・膝まづくヒトラー - ベルギーの密かな愉しみ
ヒトラーが守りたかったユダヤ人 ナチス時代を振りかえる-2- - ベルギーの密かな愉しみ
以前2回扱った『我が闘争』の中の分類では
1.文化創造者(アーリア人種)
2.文化支持者(その他の人種、日本人も)
3.文化破壊者(ユダヤ人)
イギリス人は1番目に入り、人種的にドイツ人ゲルマン系と同じです。
またイギリスは当時多くの植民地を持つ世界帝国であり、強国を目指すナチスのヒトラーにとってひとまずモデルのような存在だったのではないかと思います。確かに第一次大戦以前は世界は「パックス・ブリタニカ」とまで言われ、イギリスを頂点にした秩序がありました。
ヒトラーは政権を握ると1933年からすさまじい早さで、屈辱だったヴェルサイユ体制の打破と、近隣諸国への勢力拡大にまい進します。
・国際連盟脱退1933年
・ザールラント1934年
・再軍備宣言1935年
イギリスはなぜ何も言わないんでしょうか。それどころか同じ年に英独海軍協定(イギリスの35%の海軍保有を認める)を結びます。
・ラインラント進駐1936年(生涯最大の賭けだったとヒトラーが告白したという)
・イタリアのエチオピア征服1936年
おまけにスペイン内戦勃発(1936年)ときた。
いったいイギリスはどうしたの?という感じです。実際は悲惨を極めた、前の大戦で疲弊しきっていたのですね。
・オーストリア併合とズデーテンラント(チェコのドイツ人居住地区)併合1938年
このあとチェンバレン首相が出てきてミュンヘン協定が結ばれます。戦争の危機に怯えたヨーロッパじゅうの人々が胸をなでおろした瞬間でした。しかしナチスドイツはすぐにチェコへ進駐し、一国を地図上から消し去ります。
イギリスではこの辺から「三度の飯より戦争が好き」なチャーチルが登場です。
そのあとポーランド侵攻で世界大戦に発展してしまうわけですが、ヒトラーにとっては「ドイツとポーランド二国間の問題」なのに何故イギリスが宣戦するのか理解できなかったそうです。
その後の流れは前のブログでも扱ったとおり。大陸に派遣された英軍はダンケルクから撤退。フランスも占領され降伏したので、イギリスはもう孤立無援です。
そこでヒトラーはイギリスに対し、和平を提案します。イギリスと徹底的に交戦する気はなかったのです。しかしチャーチルはこれをはねつけ、国民も団結して戦う意思を見せるー このことはヒトラーを驚かせます。イギリスは圧倒的に不利な状況なのにおかしいな、と。結局ヒトラーはイギリスに片思いしていたようなものです。イギリス国民の気持ちもまるで理解できませんでした。
ヒトラーにイギリスの親戚がいたことは関係あるでしょうか。たぶんそれはないと思います。詳しくは次回で。
図からわかるようにヒトラーには異母兄弟アロイスがいて、この人はイギリスで結婚し、男児Willyが生まれます。アロイスはのちに母子を捨ててドイツに移住し、結婚(重婚!)して家庭を構える困った人です。
ヒトラーの母クララは、実はヒトラーの父アロイスの姪に当たる。
上記の図は簡略化されていますが、本当の家系図はけっこう複雑です。
次回はWillyの話などを書きますね。
追記:
みなさんのコメントでよく膝をたたくんですが、宮崎駿&ラピュタ、ご指摘のとおりですね!(部分の引用ですみません)
車の墓場、文明を自然が侵食する姿はラピュタのような幻想的な雰囲気がありますね。人類が滅びると、地球全体がこうなってしまうんだろうな。
またこちらのss-vtさまは、菊月保存会の方と面識もあるそうで、大変興味深いです。お話を聞きたいくらいです。
菊月は第23駆逐隊所属。20番台は佐世保鎮守府籍を表しています/いくつかの艦これ同人誌即売会で菊月保存会の「20歳の青年」と顔を合わせ話もした
みなさま、いつもありがとうございます。