「Cyber Week 2017」に登壇するネタニヤフ イスラエル首相
大学にはサイバーセキュリティーの学部があり、キャンパスには、コンピュータウイルス「トロイの木馬」を模したオブジェも。そんな世界屈指のサイバー国家、イスラエルでVIPたちを直撃した。ロックスターを迎えるような歓声と拍手ー。テルアビブ大学で開催された「Cyber Week 2017」にその男が登壇したときのことだ。彼は聴衆に向かって、「忘れるなかれ」と情熱的に語り始めた。男の名前はネタニヤフ。イスラエルの首相だ。ネタニヤフはヘブライ語を交えてこう訴えた。
「サイバーセキュリティーはイスラエルにとって軍事的な重要性が高いだけではなく、防御という終わりなきニーズに根ざした収益性の高い偉大なビジネスだ。だからこそ、我々は国家として取り組んできた。そして、今や我々は世界のトップにいる!」
「Endless」と首相が豪語する。永遠であり、終わりはない、と。ネタニヤフは、「2012年に、サイバーセキュリティー分野でイスラエルを世界で5本の指に入る国家にすると宣言して、私はあらゆる政策を実現してきた」と自負する。世界の同分野への開発費用のうち、実に20%がイスラエルから拠出されている。イスラエルはたった数年間で、サイバーセキュリティー分野では世界最強となったのだ。
「サイバーウィーク」の会場となったテルアビブ大学。国内初のサイバーセキュリティー学部がある。
常に軍事的緊張にあるから、小国イスラエルはこの分野で世界一になれたと言われるが、日進月歩のこの世界で、環境だけを理由にできるのか。いかにしてイスラエルは頂点を極め続けているのか。そんな疑問を抱えてこの国を旅すると、目の前に現れた軍、政府、民間、学界のVIPたちが、それぞれパズルのピースを埋めていくように語り、その全貌を明かしていくのだった。
テルアビブ大学の中にある「トロイの木馬」のオブジェ。コンピューターウイルスを模したものだ。
我々は『ダイ・ハード2 』を検証した
「私の好きな映画は、『ダイ・ハード』シリーズ。なぜだと思う?」
屈託のない眼差しで、そう問いかけてくるのはラミ・エフラティ。イスラエル国防軍でサイバーインテリジェンス関連の要職を歴任してきた退役大佐だ。テルアビブ郊外のバルで会ったラミが映画を語るのには理由がある。
ラミ・エフラティ/イスラエル国防軍 元大佐
「ダイ・ハード2は印象的だった。映画の中で空港の管制設備を乗っ取るシーンがあるだろ? あれを見て、我々軍部は冷静に空港の管制システムが乗っ取られる可能性を検討した。その結果、可能であることがわかっていったんだ」。映画が公開された1990年の時点でコンピューターを使ったテロを想定したという。航空管制システムを乗っ取り、誤情報を流すことで航空機の衝突や墜落ができるようになる。コンピューターを使って、上空の乗客を人質にするわけだ。
映画を検討した結果、彼らが見出した答えは、「先手必勝型」の具現化に着手することだった。ラミが「まずはイラスラエルが置かれた状況を理解しなければならない」と続ける。
「イスラエルは常に周囲のイスラム諸国と軍事的緊張にさらされてきた。イスラム諸国は、国土と人口の量では我々を圧倒する存在だ。つまり、量の面で劣る我々は、一度物量戦に突入すれば国家として存続することは極めて難しい。だからこそ、我々は弱者の戦略として諜報活動を重視し、他国がアクションするよりも早く情報を入手し、脅威を排除する先手必勝型の軍事作戦を遂行できるように軍部を組織したのだ」
量で負けるのならサイバー空間という新たな領域を築け、と「先手必勝型」を可能にしてきたという。そこでサイバー技術の開発を進めるのだが、意外だったのは、「技術に傾注すれば、それが落とし穴になる」という指摘だ。しかも、それを私に強調したのは、イスラエル公安庁の元長官、ユヴァル・ディスキンである。
ユヴァル・ディスキン/イスラエル公安庁 元長官
彼は「ヒューマン」と「サイバー」の両インテリジェンスを融合させた諜報体制を確立。対テロ作戦の実績を挙げた人物として知られる。ネタニヤフ首相は「余人をもって代え難い」と、ユヴァルに異例の長官任期を延長させたほどだ。
ユヴァルに取材を試みると、彼は批判めいた口ぶりで、「やれ、最先端のセキュリティーソフトだ、ファイアウォールだと、誰もがサイバーセキュリティーの技術ばかりに目を向けがちだ」と言う。
「サイバーセキュリティーの技術は日進月歩で、大きく不足があるわけではない。真に不足していて対処が必要なのは、どのような保安体制をリアルとサイバーにわたって構築すべきかという問いに答えを出せる頭脳=人材だ。IoTがいっそう進展することで、リアルとサイバーはより密接に結びつき、システムは複雑化する。そのときにサイバーの技術ばかりに目を向けていては不十分だ。全体を捉えて保安体制を構築する視点こそが重要になる」
ユヴァルが使ったキーワードが、「ホリスティック」だった。ホリスティックは、人間の存在を、体と接する空気、社会環境、自然環境、そして宇宙という無限に広がる「全体」のひとつの要素と見る「全体論」だ。諜報において、人間とサイバーを分離せずに融合させた彼らしい考え方だろう。人間が自然を支配し管理するのではなく、共生するような一体感と言えばいいだろうか。
では、そんな人材をどう育てるのか。私が案内されたのは、人を鍛える道場のような施設だった。
世界一サイバー攻撃を受けている企業
世界でもっともサイバーアタックを受けている企業のひとつと言われるのが、イスラエル電力公社IECである。インフラ破壊を狙った者たちからの攻撃は、実に1時間に1万件という。そのIECが立ち上げた子会社が「サイバージム」だ。その名の通り、攻撃に対処しながら蓄積した最先端の技術とノウハウを使って「トレーニング」を行うジムである。
ジムを訪ねた際、私はCEOのオフィル・ハソンに聞いた。「施設を建設して教育するのは初期投資も嵩むし、儲からないのでは? オンラインに特化する気はないのか」。すると、オフィルはこう答えた。
「サイバーセキュリティーに関わる事故の95%には、人為的なミスが絡んでいる。技術ばかりに目を向けがちだが、事故の際に必要なのは、組織としての意思決定と運用実務。だからこそ、我々は物理的な施設を建設し、そこでトレーニングをするのです」
つまり、オンラインの教育では形式的な知の伝達しかできず、実際の危機の対応を学ぶのは難しい。だからこそ、サイバージムの専門的な施設は、できる限り現実に近い設計がなされている。アンダーグラウンドに潜むクラッカー(悪意のあるハッカー)の巣のようなハッカールームから、トレーニングの参加者にハッキングが仕掛けられる。クラッカー役は、元イスラエル国防軍サイバーインテリジェンス部隊(8200部隊)などに所属経験がある講師だ。
ハッカールーム。軍のサイバーインテリジェンス部隊で活躍した講師陣がクラッカーに扮し、ハッカールームから攻撃を仕掛ける。
トレーニング参加者のディフェンスルームには、配電盤や油圧系の機器類が設置されている。攻撃されると、電源が落ちたり、油圧系機器が故障したりと、インフラ関連企業で起こる事故が臨場感をもって体感できる。単にサイバー空間上での防御対応を行うだけではなく、人間の判断力や行動力を鍛え上げるジムと言えるだろう。
ディフェンシブ訓練ルーム。攻撃が仕掛けられると物理的対処も必要になり、より実践的な環境で訓練を受けることが出来る。
彼らが「教育」によってクオリティを上げ続けるのは、国家の安全保障に関わるため、軽々に海外の企業に一任し、技術提供を受けるわけにはいかないからだ。日本が学べる点があるとしたら、この教育だろう。奇しくも2017年6月、日立グループがサイバージムに着目し、戦略的提携を実施。日立の事業所内にトレーニング施設をつくる計画だという。
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