テキトーで無責任な読み手が情報の信頼を下げていく

MCバトル史から読み解く 日本語ラップ入門

最近、牛乳を飲んだら体に悪いだとか、つまらないからはてなをやめるだとか、ラッパーになるだの諦めるだとか。
そんなものは、牛乳を飲んで実際に体が悪くなり、その起因が明確に牛乳だと示せるのであれば牛乳が危険だと書けばいい。
やめるときわざわざ断りなんていらないんだからとっととやめればいいし、ラッパーになるならそれなりの結果を出してからあーだこーだ言えばいい。
事前に断っていただく必要は、何一つとしてない。
何でもかんでもネットに書いて、大仰に宣言して衆目を浴びないと気が済まないらしく、しかもそうやって書いたことに対して何の責任も感じていない。
書いたことをすぐに撤回しても恥ずかしいとも思わない。



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不誠実な共犯関係

そういう誠意に欠ける「不誠実な書き手」は今やとても多い。
だが、そういう不誠実な書き手を増やしたのは「不誠実な読み手」に原因があるとしか思えない。

どれだけ不誠実な書き手であろうが、それを読んでも拡散しなければいい。
構わなければいい。

わざわざ拡散し、「牛乳が体に良いか悪いか信じるも信じないもその人次第ですよね」「さすがよく戻ってきてくれました。嫌いじゃない」「愛されてますね」「すぐにやめたとは言え、挑戦したことには意義があるし評価できる。今後も応援したい」などと、どーしようもないコメントをつけて拡散したがる。

無責任な行動力

たとえば会社を半年でやめて、コンビニをひと月でやめて、習い事を半月でやめたやつがいたとして、そいつに「行動力がある」とか言えるのか。
バイトや会社ではなくラッパーや絵描きだから行動力があるというのだろうか。
アホらしい。

一人前の職人になるには何年もかかるというが、それほどでもないバイトにしろ、ひと月やってもまだまだ新人。

それなのにくちばしだけ突っ込んでは次々目標を変えることのどこに「行動力」があるのか。
行動どころか助走の途中でやめていることに対して「行動」だとか「挑戦」だとか評価することに疑問がないのか?

「行動してすぐに無理だと知って次に行くのはいいことだ」とか、いや本気で書いてんのか??
そのいいことは果たしてこれで何度目なんですかね。
何度目までならそれが通用すると言うのだろう。
果たして、同じことを親戚や兄弟相手でも言えるんですかね。

世界チャンピオンになると言い出してボクシングジムに会費払ったら、その時点で「行動力がある」「新たな挑戦」だと評価できるってことですかね。
ジムにひと月通ったら「行動力がある」とか?
フルマラソンに挑戦する!ってブログ書いてスニーカーとかウェア買って3日走って辞めても「行動力あるなー」っていうわけですね。
へえぇぇぇ。

近しさと無関心さ

読み手などというものは、自身にとって身近なことでもなければ評価なんて適当にしか行わない。
適当に読み、適当に判断を下し、適当に評価する。
書き手も不誠実なら読み手だって不誠実。
書き手の不誠実さは目立つから炎上することも多いが、読み手の不誠実さは数に紛れて目立ちづらい。

日本の政治は読み手自身に還るから本気で考え、自身の関係する親類縁者のことなら真面目に考えても、どこかの無関係な他人のことなら簡単に応援するし簡単に評価する。

そんな不誠実な読み手の評価精度は、何一つ補填されていない。

だからキュレーターなんて機能するわけがなく、ネット有名人なんて大概ロクでもないのも必然。

こういう「不誠実な読み手」は、不誠実な書き手の誠意のなさを鑑みず評価する。
そんなもの個人の勝手だしいいだろ?と思わなくもないが、こういう「考えなしの読み手の拡散」は問題となっているフェイクニュースの隆盛とも繋がる。
情報精度の低いデマもフェイクニュースも書き手の不誠実な欲望が生む。

不誠実な読み手は不誠実な書き手と共犯関係にあり、正しくない情報に対しても拡散を厭わない。
キュレーターなどともいうが、SNSにより繋がりあった情報網は、書き手による情報の精度に関わらず、読み手のリテラシーによってフィルタリングされてから拡散される。
これが仮に性善説であれば、誠意ある読み手による精度によってフィルタリングされ、拡散される情報は、拡散されるたびにフィルタリングされることで精度が高まる。
ところが不誠実な書き手と不誠実な読み手の共犯関係は不正確な情報精度しかなく、デマでもゴミでもウソでも広く拡散してしまう。

netgeekはデマサイトとして有名だが、それを拡散するのも共犯と変わらない。
フェイクニュースだって、不誠実なブログだって同じこと。

fakenews

wired.jp

先日、起きた銃乱射事件でも多くの不誠実なフェイクニュースはSNSにあふれた。
人々のフィルターは機能せず、安易な拡散によって情報は錯綜する。

ひとは情報の正しさではなく、単なる面白さで拡散を行う。
だからこそデマやフェイクニュースは、タイトルで扇情的に煽り「不誠実な読み手」による拡散を誘導する。

書き手が何をやめようがやめるまいが興味もないし、何をどうしようがそんなもんはどうでもいい。
だがそれを読んだ読み手のその一つの拡散、一つの評価が集まることで不誠実なデマやフェイクの隆盛に手を貸しているという認識がないなら、どうしようもない。
どれだけ素晴らしいインターネットの仕組みも、それを使い、壊すのは、人間の欲望と無関心。

信じるも信じないもその人次第?
それが問題になってWelqは閉鎖されたはずだが、そういうことを言う方の脳裏からはそんな出来事もすっかり消えたらしい。

単に注目を浴びたいだけの軽薄な煽り記事を面白いだの、愛されてるだの。
本気で愛されてると読んだなら、読解力を何とかするのに初等教育からやり直しましょうね。
ぺっ。


いちいち評価してる読み手の方にこそ情報を荒らす問題の根本。
そんな輩は、自身が愛するデマや不誠実な記事を信じ痛い目にあって欲しいと心より願っております。
天網恢恢疎にして漏らさず。

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