なぜ、1990年代を論じるのか?
—— さっそくですが、なぜいま1990年代なんでしょうか。
大澤聡(以下、大澤) まず、いまのうちに言語化しておかないとと思っていまして。そうしないと繊細で微妙な部分が、あとの時代にはわからなくなってしまうだろうという歴史家としての危機感のようなものがありました。それだけヘンな時代なんですよ、90年代って。
—— たしかに、あの頃の微妙な空気感はわからなくなりそうですね。
大澤 では、もっと早くに言語化しておけばよかったのかというと、そうもいかない。2000年代の時点では、90年代と時間的に近すぎることもあって、きっとうまく距離がとれず、歴史化できなかったはずです。つまり、いまは90年代を歴史化するのに最適のタイミングにあるんですよ。そんな確信が僕のなかにありました。
—— 言語化するために、20年以上の時間が必要だったわけですね。
大澤 じつは、この企画の青写真は10数年前に同期の友人や周囲の人にはしょっちゅう話してたんです。だけど、ピンときてくれる人はほとんどいなかった。
—— そうなんですね。ゼロ年代後半ですか。
大澤 やっぱり時期尚早だったんでしょう。当時は、ゼロ年代の精神構造をきちんと歴史に位置づけようという批評的な試みも盛りあがっていましたし、どちらかというと前の時代に戻って吟味する意味が理解されにくかった。
—— 2000年代の雰囲気にあっていなかったと。
大澤 そういうモードじゃなかった。けど、過去を考えることこそが現在を考えることなんだという方針がずっと僕のなかにあるんですよね。
—— 過去を考えることが現在を考えること。
大澤 ええ。この国のもろもろの社会的課題にしても文化的コンテンツのフォーマットにしても、直接の起源の大半が90年代にあるのはまちがいありませんから、そこを精査すること抜きに前に進むことはできない。年金問題にしても育児問題にしても、沖縄問題にしてもアジア外交問題にしても、90年代にはもうこうなることは全部わかっていたわけですから。
—— おどろくほどすべて現在につながっていますね。
大澤 今回、おかげさまでこの本の売れ行きが好調だということを見るにつけ実感するんですが、読者の側にも漠然と「いまこそ」というところがあるんじゃないでしょうか。その意味では、むしろこのタイミングで出せてよかったと思います。
—— いまのうちに言語化しておかねばという切迫感には、1920年代や30年代の日本の言論状況を精緻に分析されたデビュー作『批評メディア論』でのご苦労も影響していそうですね。
大澤 そうですね。ほんとうに知りたい部分がきちんと言語化されてこなかったがために、『批評メディア論』では、分析に入る前にアーカイブに潜り込んで砂金集めのように1つ1つの単語を拾っていっては当時の皮膚感覚を復元する作業を経ないといけませんでした。その意味では、今回の『1990年代論』はどこか後世の人間にむけたところもあります。
—— なるほど。未来の読者たちのためでもある。
1990年代は不可思議な時空だった
大澤 1960年代や1980年代に関してはむかしから証言や分析の蓄積がずいぶんあります。60年代は「政治」がアツかったし、80年代は「消費」がアツかった。けれど、そんなアツい時代の直後のディケイドにあたる70年代や90年代はどこか冷却したムードが蔓延していて、どうしてもポジティブに捉えかえすことができない。それで、体系立てて論じられる機会が少なくなる。
—— えっ。そうなんですか。70年代はともかく、90年代はけっこう大きな出来事がある気がしますが。
大澤 とりわけ「戦後50年」をむかえた1995年は、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が早々に起こったり、windows95が発売されたり、『新世紀エヴァンゲリオン』も放映されたりと、のちのちまで影響をおよぼす出来事が社会方面でも政治方面でもカルチャー方面でも満載ですよね。
でも、「1990年代」というくくりのなかで、ジャンル横断的に、しかも少し離れた地点から総体的にそれらをきちんと位置づける仕事はじつはほとんどなかった。たいていテーマ別になってしまって、時代そのものを捉えるという感じじゃないんです。そのことは巻末につけたブックガイドを見てもらえばわかると思います。
—— 「社会問題編」の冒頭に添えたリード文で大澤さんは次のように書いてらっしゃいますね。
1990年代は東西ドイツ統一、湾岸戦争勃発、ソ連消滅によって幕をあけた。冷戦体制の終結にともない、国際社会における対立軸の輻輳化と不可視化が進む。世界のまとまりを繋ぎとめていた「大きな物語」は失われ、80年代に喧伝されたポストモダンは90年代に入ってこそ愚直なまでに現実のものとなる。日本国内に目を転じてみれば、バブル経済は消散し、不況長期化への一途をたどる。55年体制の崩壊と並走するように、雇用や家族などあらゆる領域のシステムが流動化の度合いを強めていた。そこに、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が覆いかぶさる。神戸連続児童殺傷事件の犯人は14歳の少年と判明し、以降は不可解な事件がおこるたびに「心の闇」がクローズアップされることとなる。こうして、巷間には「世界の終わり」の気分が蔓延していた。……ほんとうだろうか? そうやって、全部「終わり」で片づけてよいのか。あらためて、ひとつひとつを検証してみなければならない。(以下略)
『1990年代論』 「part.A 社会問題編」リード文(大澤聡)より
—— この部分を読んで、あらためて90年代の日本社会の変化の大きさに気づかされました。いろいろな位相での変化がありすぎて、語りづらい、総括しづらい時代だったということなんでしょうか。
大澤 いや、むしろ総括するのはそうむずかしくないんですよ。ジャン=フランソワ・リオタールの「大きな物語の終焉」でも、フランシス・フクヤマ「歴史の終わり」でもひっぱってきて、その兆候をそこここに見つけることはすぐにできてしまう。
けれど、ほんとうにそれだけでいいんだろうか、というのがいま触れていただいたリード文や序文の裏テーマなんです。既成の単発のフレーズで表現してすませるだけではもったいないというか、90年代の日本はもっともっと異様で過剰で、なにより不可思議な空間だったはずだという感触がある。それをさらにメタな視点から「ポストモダンの徹底化」といってもいいんだけど……。
― そこをきっちり言葉にしていくわけですね。
大澤 そう、もう一歩踏み込んだその先に、別のフレームなりフレーズなりが浮かぶといいなと。近代が成熟していくと必然的におこる事態ですが、仕事は分業化が進むし、各方面のジャンルもどんどん細分化してニッチになっていく。丸山眞男の「タコツボ」でも、宮台真司の「島宇宙」でもいいけど、成熟のあとにはそうした世界が必ずやってくる。
—— 多様に枝分かれしていくと。
大澤 全体を特権的なポジションから統括する「大きな物語」は消えて、「小さな物語」が、ばーっとフラットに乱立する。僕が担当した「思想」の項でも触れましたが、みずからが信じたい「小さな物語=歴史」を立ち上げて、それをかつての「大きな物語」の位置にまつりあげては、他の物語や世界観を排除する。そんな物語たち同士の徹底した棲み分けがいたるところで観察されるようになります。
—— そうやってバラバラにくだけ散っていくような変化が続々とおこったのが90年代だった。
大澤 そうです。個別の小さな世界が成熟していくとそうなるのは必然ですよね。90年代後半に普及したインターネットの存在は事態をいっきに加速しました。今回はそのバラバラに進化した各ジャンルの状況を1冊に詰め込むことによって、共通するものが個々の読者の手元であぶり出される構造になるよう編集をかなり工夫しました。
—— 章の配列にもかなり気を配られていますよね。
大澤 ただし、「共通するもの」は全体を統括するものではありえなくて、ネットワークの結節点になるようなものです。そのことを表現するために、20数人の批評家やライターや研究者の人たちに参加してもらったわけです。
—— 大澤さんは1978年生まれで、1990年代は10代にあたるわけですよね。そして、今回の本の執筆陣も1970年生まれから83年代生まれまでと、同世代で固められていますね。
大澤 そこは世代論の罠を承知のうえで、あえてそうしました。
—— どんな意図があったんでしょうか。
大澤 ねらいはいくつかあるんですが、ひとつは序文にも書いたように、送り手側ではなくて、ユーザー側に身をひたしながら90年代を通過して、思想なり趣味なりを形成したのちに社会に出た人間たちにしかなしえない時代診断と歴史叙述がまちがいなくあるだろうと感じるからです。
その意味でも、この世代の仕事がいろいろかたちになってきた2010年代後半に90年代論をまとめる必要があった。2000年代だと、90年代当時にすでに送り手側だった世代が90年代の総括をすることになったはずですね。それだと循環的な議論にならざるをえない。ほかの時代がはまってきた当事者特権的な語りの蹉跌を反復することになってしまいます。それ以外の語りを用意したかった。
—— そういえば、昨今のいろいろな企画を見ていても、90年代リバイバルが盛んですね。
大澤 音楽やファッションの「20年周期説」はそうした各業界の世代構造から来ています。つまり、いまや「90年代の子どもたち」が30代後半から40代になって、各方面の中堅どころとして送り手側に回っているわけですよね。
そんな社会を運営する側の人間たちの世代の前提となる基盤や共通体験をもう一度掘り起こす作業をとおして、社会のつながりといったらずいぶん陳腐なんだけど、社会の全体性を回復するための準備をしておきたかった。そんなところからしか、あれこれの立てなおしはできないんじゃないかと思っているんです。
90年代をすごした人たちが分かち合えるものは?
—— 大澤さんご自身のアイデンティティを解剖してみたいという個人的なモチベーションもありました?
大澤 そこは僕らの世代の特徴なんだと思いますが、これまでほとんど自己語りをしてこなかったんですよね。よくも悪くも謙虚。自分の体験なんて……と証言を回避してきたところがある。僕はそれをあくなき成長の条件として日ごろプラスにとらえていますが、そのままこの世代のウィークポイントでもあって、さっきいったように歴史的に見たときには証言のエアポケットができるんじゃないかと思う。それで今回のような世代論含みの時代論の構成になったわけです。
—— なるほど。
大澤 アイデンティティという意味では、この本のなかで社会学者の宮台真司さんへのインタビューでも話題になったポイントにつきると思います。「共通前提の空洞化」が実感される局面は少なくありませんが、他方で、ほんとうにそうなんだろうかという疑問もずっとあった。
—— その部分はとても興味深かったです。世代ごとの共通体験や共有できる妄想や熱狂が喪失されていく。
大澤 印象論になってしまいますけど、さきほどあげた1960年代的な人たちや80年代的な人たちにはやっぱり一体感がありますよ。「学生運動」でも「バブル」でもいいんだけど、大きな波をくぐってきた同志という連帯感がただようし、実際にそうした回想のパターンになりがちです。
—— あぁ、たしかにそうですね。
大澤 でも、「90年代の子どもたち」にはそれに相当するものがないんですよね。というか、ないと自分たちで思い込んでいる。はっきりと指差せるものがありませんから。そのことが回り回って、社会的基盤の脆弱さにも少なからずつながっている。
ただ、世界的には冷戦体制の崩壊があり、国内的には55年体制の終焉があってと、大きな物語ががらがらと崩れていく決定的な場面をみんな目撃したはずなんです。
—— 宮台インタビューでは、「援交と震災とオウムの一連の騒動をくぐった世代で、自明に見える秩序が自明ではないという感覚を共有する」とありました。
大澤 ちょっとレトリカルな表現になってしまうけど、共通前提なんてたやすく崩壊しうるのだと身をもって知ったという共通前提は強くあるんじゃないでしょうか。95年前後に日本社会が変成したことはよく指摘されます。「ビフォー/アフター」で語られますよね。では、それ自体を共通体験として見ることはできないか。それが今回の作業仮説のひとつとしてありました。
—— なるほど。
大澤 たとえば、オウム真理教の事件が連日ワイドショーで報道される様子を家のテレビで食い入るように見続けていたけど、あれなんて、あさま山荘事件が連日テレビで中継された1972年と変わらないインパクトをもっている。
—— 学校から帰って、みんな見てましたよね。
大澤 学校に行けば、おとなしい子の名前をあげて「あの子、援交してるらしいよ」と噂話が飛び交ったり、それをとくに驚くこともなく「へぇ」と流してみたり。こんなルックスの子はこういう行動パターンだよねという前提が崩れ去った結果、外見と行為が紐付けされるわけではないという新しい前提が生まれていたんですね。
—— それにしても、いま振りかえるとちょっと暗いトピックが多いですね……(笑)。
大澤 だけど、当時、中・高生だった当事者たちにしてみれば「暗い」という感じでもなかったように思いますよ。いま考えると不思議なことですけど。「暗い」という認識は、やっぱり事後的に他の時代と突きあわせた結果の印象なんだろうと思う。
次回「戦争がリアルになり始めたのが、1990年代だった」は10/7公開予定
聞き手・構成:中島洋一
明日10月6日、90年代を語り尽くすイベントを開催!
五十嵐太郎×さやわか×大澤聡「メディア/都市/コンテンツ——『1990年代論』から考える」
明日10/06 (金) 19:00 - @ゲンロンカフェ
【会場限定特典あり】『1990年代を読むためのブックガイド120+α/ゲンロンカフェremix』