検査結果と胃痛
先週の循環器科の検査結果です。
はい!異常なし!(∩´∀`)∩
綺麗に 私の心臓は ドーナツ型
見事に「つ」の字(分かる方には分かる)
つまり血液循環に異常はありませんでした
という事は、胸の痛みは やはり胃痛か移植部分の放散痛など、消化器科の問題が考えられますので、再来週の内視鏡検査を待つことになりました。
診断書も頂き、万全でございます。
ご心配なされるな~~(。^ω^)ノ゙♪
テレビで流れる SNS投稿動画
ちょっと話題がずれます。
高校生が 先生を蹴っている
面白半分に撮影された動画をSNSに投稿して話題になり、ニュースでご覧になった方も多いと思います。
蹴った高校生は「逮捕」です。
胸が痛みませんか?
蹴った高校生が 徹底的に悪い
先生が不甲斐ない かわいそう
笑い声が響き 最悪のクラス
そんな声を耳にします。
確かにそうかもしれませんよ。
ロクでもない 高校生達ですよ!
私は 暴力に大反対です。
暴力に 暴力で応えることは
テロや戦争と同じです。
ですから殴り返さなかった先生は 立派だと思います。
そして私のブログで度々話題にしていますが
いったいこの問題が 表ざたになるまで 周囲の大人達は 何をしていたのだろう?
どうして 学校は何もせず「逮捕」にまで至るのか?
疑問に思いませんか?
いじめの構図をイラストにしてみた
子供がクラスや学校で、いじめ(言葉だけも含む)や暴力を続ける構図が、どうして大人に浸透しないのでしょうか?
頭では理解しているのかも知れませんが、子供が子供を殴ったり、その周囲で様子を面白半分に撮影した動画を見ていると、どうも大人の存在が見えてきません。
以下は 私の仕事経験からを学んだ状況を記します。
1先ずは「加害者」と「被害者」です。
この時点で殴り合いになったとしても、もしそれが二人きりの間の事で、殴った原因などがはっきりしており、継続もしなければ「喧嘩」です。
「力の差」や「勝てるというおごり」があったとしても「喧嘩」の域は出ません。
双方が仲直りをする必要があるかどうか
それは双方の考え方にもよりますが
幼児期から見られる構図です。
2 あおり そそのかす グループ
そこに、加害者となった子供を
2「そそのかしたり、行動をあおる様なグループ」の存在があり、特に指示や命令をする「首謀者」がいるケースがあります。
この時点から
単純な「喧嘩」ではなく
ある種「問題行動」に発展している可能性があると言えます。
日常的な「いじめ」や「暴力・脅迫」などに 進んでいるかも知れません。
3共感おもしろ組
そして多くの場合、その周囲には
「加害者をあおっているグループ」に3「共感して面白がって見ているグループ(共感おもしろ組)」が存在します。
恐らくこの「共感おもしろ組」が、画像や動画を撮影し 面白半分にSNSなどに流す事になるのでしょう。
彼らに果たして「罪悪感」や「犯罪の意識」はあるでしょうか?
あればSNSに流しはしません。
むしろ「いじめや暴力に加担していない」と
自分を正当化する理由を持っています。
SNSに流すという行為を、正義感という名前を語って
「憂さ晴らし」や「復讐」をしている事に気がつきません。
そうして不特定多数の人々に拡散され
暴力行動を実際にした「加害者だけ」問題視されます。
見えてくるのは、動画に映った子供だけだからです。
結果的に学校自体の悪評にも繋がり
何の関係もない学生達まで
巻き込まれる状態です。
これで問題解決といえるのでしょうか?
余談
こういう構図を考えると、ずいぶん昔の映画ですが「告発の行方」という、主演のジョディーフォスターさんがアカデミー賞をとった映画を思い出します。
主な主題が「レイプ」であり、告発を行う主人公の女性が被害者です。
実際に加害者となった数人の男性だけでなく、そのレイプをそそのかし あおった周囲の男性たちにも「暴行教唆」という罪で 告発をするという内容です。
問題のレイプシーンが余りに強烈だったので、1度しか見ていませんが、酒場の奥で男性たちが学生をあおり、レイプまでさせる、恐ろしい集団心理が描かれています。
ショッキングなのでお勧めはしませんが、もしご自分のお子さんへ教訓になるとしたら「暴行教唆」という罪があり、いじめや暴行をあおるような行為をしてはいけないと 伝える事は出来ると思います。
4傍観者
決して忘れてはいけないのが
学校やクラスの大半を占める
4「傍観者」であろうと思います。
「傍観者」は「ただ眺めている」だけではありません。
心を痛めていたり、自分の行動を自問自答している子供もいます。
現在の日本では、暴力やいじめに共感を抱けない子供たちが大勢いるにもかかわらず、止めに入ったり 大人に助けを求められないでいます。
これは 簡単な様で、簡単な行動ではありません。
「傍観者」にはいじめの逆襲を恐れ、先生や大人への不信感などがあります。
ですから問題は「クラスや学校の域」から 脱出できません。
教育者だけでなく、保護者自身も子供との関わりを見つめ直す必要があります。
博多のケースも同様に
大人による介入がなく(あっても最小限)
SNSで拡散される情報だけで
加害者の高校生が「逮捕」に至るまで
学校や保護者、教育委員会は
何一つ行動を起こしていないと聞きます
「傍観者」は ほったらかし
あおったグループは 叱られただけ
犯罪者は「実際に暴力行動をした子供」だけです。
もし大人が 介入していれば
もし1加害者と被害者が「喧嘩」の段階で
先生や保護者が「大したことはない」等と考えずに、介入していたら?
この時点で「喧嘩」は収まるはずです。
もし2「首謀者とあおっているグループ」がいるかも知れないと 気が付いた時点で
先生や保護者が正しく対処していたら?
話し合いも 解決も 見通しが立ち易いと思います。
被害の内容にもよりますが
被害者の心の傷も 最悪を考える様な事態は起きないと思います。
ただこの時点では、発覚が非常に難しい。
首謀者を中心に、ゆがんだ仲間意識から 巧妙に隠されるという問題が含まれます。
最低でも 介入して欲しい時点
もう少し暴力やいじめのレベルが進んだ
3「首謀者あおりグループ」と「その共感おもしろ組」がいるかも知れないと気が付いた時点で、様子を見るとか「喧嘩」だという甘い認識ではなく
複数の先生方に協力を依頼して
保護者にも連絡をして
「なりふり構わず対応策を練る」べきです
そういう「連携態勢」を整えるべきです。
ところが 今に至るまで どうしてもこれが出来ていない。
何故 出来ない?
上記構図を 把握している大人がいないからです
だって命が掛っているかも知れないのに
子供の人生が掛っているのに
なにも行動しないなんて おかしいでしょ!
保護者も「自分の子供」でなければ良いと考えがちです。
モンペなどと言う 自分の子中心の親も多すぎます。
保護者が 先生を責め立てたり
謝罪要求だのなんだの、大騒動し過ぎであると認めます。
(私も保護者ですから自ら反省します!)
しかし、とにかく早い段階で対応が出来ていれば
「傍観者」である子供達にも 納得のできる説明や教育が出来るはずです。
あえて「表ざたにしなくても、クラスや学校内で対応が出来る」はずです。
博多のケースでは
博多のケースは「被害者が先生」でした。
まだ教員になる希望を胸に、新任として教壇に立たれている年齢と伺います。
その先生が他の先生に相談されたり、蹴った生徒やクラスに対しても、殆ど対応をしていなかったと聞きます。
(その上で 事が大きくなったが故の 被害届なのでしょうか?)
1蹴った高校生と(加害者)
2あおり そそのかす グループ
3共感して 面白半分に 動画を撮影しているグループ
4傍観者たち(クラス内)
最低でも行動を起こさなくてはいけないレベルが揃っています。
被害者の先生は
速やかに他の同僚の先生や上司に相談されて
「なりふり構わず対策を練らなくてはならない」事態だと
校長先生なり教育委員会なりが
被害者の先生への 教育を怠っていたように思います。
助けてくれる人は 必ず居たはずです。
私は被害者の先生も気の毒ですが
加害者の高校生やクラス全体にも
もう少し早い段階で、大人の介入がなされるべきだったと思います。
悪いのは加害者の高校生だけではありません。
まとめ
長くなりましたが お読みいただいてありがとうございます。
娘が小6の時に、不登校のお友達との関係で悩んだ経験を、ブログの記事に載せたことがあります。
保護者や学校が子供達としっかりと向き合わないと、事態はより複雑に 迷走してしまう危険性があるという事を 伝えたいと思いました。
「誰が良くて」「誰が悪い」といった「犯人捜し」と
加害者を「責めるばかり」では
決して問題は解決しません。
早く気が付く!
早く対応する!
話を聞き、双方の立場になって考える!
(良い意味で)周囲を巻き込む!
そして我が子を愛する(⋈◍>◡<◍)。✧♡
どうか心ある教育が 子供たちに届くように願っています。
いつも ブクマやコメントを頂いて ありがとうございます。
お返事するのが楽しみです(*^▽^*)
では、また来週(@^^)/~~~