ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略][誤字修正有]
とても良かった! 『ドリーム』の感想がコレ。アフリカ系アメリカ人女性の地位向上をテーマに描かれた内容も教条に陥らずユーモラス --しかし批判は辛辣-- で軽やかだ。明快な科学賛歌がアメリカならではのところもある。
それに宇宙開発史を裏から見る楽しみもある。『イミテーション・ゲーム』に連なる数学映画の側面もある、だってFORTRAN言語やオイラー法が出てくるんだから。とにかく感情移入の幅が広い。エンタメとしても理想的だ。
そして、この映画、原作を読んでいるとかなり脚色がされていて史実よりかといえば映画『ライトスタッフ』の裏話的な側面でのマーキュリー計画が強調されているのも個人的には嬉しい。
簡単にいうと、みんな観なさい!だ。
それを支えるのは宗教や慣習とは別の価値観である科学(技術)なのだが、今回はそれについて自分がこの映画で感じたことを書いてみます。
こちらもお願いします。
ここから先はネタバレになります。観ていない方にはおススメできません。
可能性の限界を測る唯一の方法は、不可能であるとされることまでやってみることである。
アーサー・C・クラーク著 『未来のプロフィル』より
前述したとおり、この映画は科学賛歌だ。そして人間賛歌の映画でもある。偏見や差別を科学(技術)を使って打ち破るという点においてである。この映画では科学は人種に関係なく理知的な道具として機能している。それが個人的には羨ましい。
こう書くと「それが出来たのは何かに秀でた天才だから」の感情が沸くかもしれないが、この映画が粋なのはドロシーのエピソードを描いているところ。彼女はキャサリンやメアリーのような天才ではない。なのに図書館から盗んだ(笑)FORTRAN言語の本で西計算機グループの部下(仲間)と共に勉強して計算機を使いこなすスキル(能力)を身につけてNASAでの居場所を確保するから。だからこそビビアンの「偏見はもっていないのよ」の台詞がグサリとくる。ビビアンはそれが「出来ない」と思い込んでいたからだ。
自分のような凡人にはこのエピソードは大事だ。何故なら極めることの大切さを説いているから。やらないことと、やることの重要さをユーモアを交えて描いているから。
だからこの映画はアメリカだけではなく世界に通用する普遍性をもち得たともいえる。そのベースにあるのが、宗教とは違う世界中の人々が「自然と身に染み付いている」科学的な思考であり価値観だ。日ごろはそれを意識しなくても日本人男性の自分がこうゆう映画にすなおに感動できるのはそうゆうことだ。
ここからはただの愚痴になるが、日本ではそうゆうドラマが少ない気がする。
違うものどおしの何かを越えた交流なら日本ではでもスポーツなら傑作はたくさんあるし、それに『キン肉マン』や『北斗の拳』な「拳と拳での会話」なエンタメがあるのに科学(技術)にはそれが足りないし、あってもあまり人気がでない。フィクションならけっこう思い出すのだけれどもノンフィクションのドラマではあまり思い出せない。
確かに映画だと探査機はやぶさの映画は二本撮られたし、アニメ『ひるね姫』SF『さよならジュピター』もあった。無理に入れれば『黒部の太陽』や『海峡』もあるのだけれども。
それとも科学賛歌が人間賛歌に繋がる映画はアメリカならではだからなのか?
何故なんだろう。(本当に愚痴なので特に締めもなく終わります)
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