現在、認知症患者は460万人。10年後には 700万人が認知症患者になるみたい。
日本国民の人口で換算すると、国民の1/26 人が認知症患者。当然、1/26 人が介護に回る家族となる。
同じプロジェクトの後輩の仕事を正式に引き継いで欲しいと上司から連絡を受けた。
後輩が心の病で入院してしまったらしい。認知症介護が原因で当人が病んでしまったようだ。最近、本当に多いんだ。悲しいけど介護で病気になる人。
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認知症患者はゾンビ
僕の見たままの認知症の率直な意見。悲しいけどゾンビとなんら変わらない。言い方には弊害があると思う。腹をたてる人もいると思う。ごめんなさい。
極端だけど、わかりやすいイメージを持って欲しいと切に願っている。
軽度から重度。いろいろあるけど、僕が介護している重度のアルツハイマー型で説明していきたい。
呆け老人なんて昔からいた。でも、中途半端に寿命が伸ばされ、身体も元気にさせられる。現代の認知症患者は元気ハツラツなんだよ。
認知症と言う病気は、単に度忘れが酷くなり、呆けるという認識でしかなかった。重度のアルツハイマー型認知症になった義母を見るまでは。そう思っていた。
アルツハイマー型認知症は脳が萎縮する病気。そもそも記憶するための物理的な脳がなくなっていく。記憶が出来ないから、時間の概念が無くなり時も止まる。
はっきりした記憶と薄れゆく記憶。これが判断できることが、時間を理解する唯一の方法なのだから。
介護】認知症って時(とき)の病気だと思うんです。親の人間性を全否定する前に思い出して欲しいんです。
身体は至って健康体であり、我を忘れて自由に走り回ることができる。
意思疎通が出来ず、突然、癇癪(かんしゃく)を起こして狂暴性を増す。
叩く、蹴る、周りにいる人を手当たり次第に噛む。噛み続ける。噛むんだよ。認知症が酷くなるとね。
共存する社会では、第三者の方に迷惑をかけることは絶対に出来ない。「病気だから仕方がないでしょ」そんな道理なんて通らない。通るわけがない。
社会で共存するために、親の歯を全て抜いてきた。周りに暴力を振るうから精神病棟にも入れてきた。牢屋とまるで変わらない。お互いに辛い。
重度になる前は作話ばかりして嘘をついてくる。まともに、捉えてしまうから口論になる。わかっている。病気だってこと。
でも、人間だから言われると腹も立つ。何で嘘をつくんだよって。家族はストレスを蓄積し、患者は認知症が徐々に進行していく。
- ゾンビは人を噛むことで感染を広げるパンデミックを捉えている。
- 認知症は噛まれなくとも介護するだけで心も身体も病気に侵されていく。
ストレスでもう限界かも知れないと感じた矢先、重度の認知症患者へと完全形態を遂げる。辛い。
更に地獄を見ていく。アルツハイマー型認知症の本当の恐ろしさだと思うんだよね。
認知症患者を閉じ込めず解放させたい
【認知症患者を家で見る場合】
- 徘徊しないよう鍵を掛けて閉じ込める。車が危ないから。第三者には迷惑をかけれないから。家を出たら戻って来れないから。
【介護施設で見る場合】
- カメラを設置して徘徊を人力で防いでいる。事故にでもあったら家族さんに賠償請求されるから。
家で見ていても、施設で見ていても、ふと気を緩めた瞬間に徘徊する。
踏み切りで電車でも止めようものなら、裁判所から数千万の請求がくることも十分想定される。
ただでさえ、苦しいのに企業から裁判されても対抗出来ない。お金もない。弁護料も払えないから。
誰かに迷惑をかけていないかな?こんなことばかり考えるとストレスになる。心の病になるか、身体に異変が起きてくる。僕は後者の方だったね。
社会は皆で共存しているから、閉じ込めるという判断は正論であり断じて間違いではない。
患者が可哀想だという道理を、関係のない第三者の人達に向かって発したところで、理由はどうであれエゴだと僕は思う。
社会で共存するために、閉じ込めるけど結果的に暴れる。勘違いして欲しくないのは、認知症患者だからではない。僕だって暴れるよ。多分、君もね。そんなストレスは耐えれないと思う。
綺麗毎で捉えても監禁だから。本当は自由に歩かせてあげたいんだよ。
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姨受け山を作って交代で見る。
姨捨山というといろいろ問題あるから姨受け山。
隔離した安全な場所で自由に徘徊させてあげたい。遊牧民のようにね。
認知症患者は、自分が何処にいるか直ぐにわからなくなる。微かに残る思い出の中で生きている。
草むらで自由に徘徊させて、残存している微かな時代の中に浸って生きてくれればいいと思っている。彼等の脳裏には、確かに実在する架空の世界が映っているから。
パラレルワールドの中で余生を過ごしてくれればいいと願っている。
無理に社会で共存させて監禁をして、余計なストレスで邪魔をさせたくないんだよね。
重度になると、既に家族のことすらわからないからね。自由に歩き、自由に眠る。喜怒哀楽を持たせて自由にさせたい。社会に無理に溶け込ませなくてもいい。本人が出来ないからそれでいいと思う。
みんなで見るという考え
具体的にいうと、沢山の認知症患者を一つの大きな施設に集める。自由に徘徊できるようにして、預けた患者の家族全員で交代しながら見ていく。イメージはドームだね。
知らない家族の患者をみんなで見る。
苦悩を共にした同士。日頃見ている人達はね、既に経験を積んできたプロ集団だと思う。もちろん、専門の介護スタッフは必要だけどね。
マンツーマンで耐え続けるんじゃなくて、交代制で全家族の認知症患者を見ていく。全国津々浦々から人が集まってきてね。
理想はどうだろう?月に1回とか3か月に1回とか?あらら、なんか放棄してる。笑
ゆっくり42.195kmのマラソンの距離を走るより、100mを全力疾走した方が、楽かもという話です。
【目的】
- みんなの辛い日々を軽減。
- 入れない施設から確実に入所できる安心感。
- 共倒れによる経済的負担をなくす。
- 患者を閉じ込めず、気の赴くままに徘徊。
同士に全てを託して働く。税金を納める。しっかりと遊ぶ(重要)そして交代制で見る。持ちつ持たれつの関係。
見ている時は、数十倍、数百倍の辛さが付き纏う。多分、地獄絵図だよ。終始、鬼ごっこになるから疲れ果てる。身を守る防具も一式必要。ゾンビだからね。
介護している義母は、車いすになった。体力的にも弱くなったから昔のようには暴れない。
足の自由が奪われるというのは、認知症の一つのゴールだと思える。晴れた日には散歩に連れ出す。監禁してきた日々を思い出し、謝罪しながら車いすを押しているんだよね。「母ちゃんごめんよ。」
10年後には1/26 人から1/17 人になる。綺麗毎では渡れない時代に来ていると思う。
介護する側のストレス。監禁される認知症患者。姨受け山の発想は意外にありだと思ってる。もう、共倒れする人は見たくない。
問題は山積みだけど、Win-Winになるような考えが必要だと思う。今は、まだ、Lose-Loseなのかも知れないから。
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