使ったのは「南京事件 兵士たちの遺言」の中に出てくる日記の内容を検証
旧字体には環境依存文字が多いので画像も使います
捕虜の虜字が → で男の部分が新字体になっている。
突くはの旧字体
銃剣 → 銃劍 剣の字が新字体
ハ残兵掃 → ハ殘兵埽 敗残兵掃 敗殘兵埽 残と掃が新字体
機関銃 → 機關銃 関の文字が新字体です。 特に関の文字は当時関東軍を新聞でも關東軍と書いているので関の文字を新字体で書くのは不自然です。
憎い → い 憎の文字も新字体です。
連れ出し → れ出し 連の点々が一つも無いのは何故?新字体?
勇気 → 勇氣 気が新字体
年寄 → 年 寄の字が新字体に見える中の大と書いているように思える。
殺す は旧字体か新字体かは判断が難しい。
残らず → 殘らずの残が新字体
出来事 → 出來事の来が新字体
聲は旧字体
7分36秒にチーフディレクターの清水潔氏が表紙の支那亊変日記帳の文字の部分を撫でながら「アァァ!支那亊変日記帳と書かれていますね、これはわりと戦後貼ったのでしょね」と言っていますが。
これおかしいです。
戦後に貼ったのなら「支那亊変」の文字の部分が「支那事変」ではなく片方だけ新字体の「亊変」なのは何故?
戦中に貼ったのなら「支那亊変」の文字の部分が「支那亊變」ではなく片方だけ新字体の「亊変」なのは何故?
実は下のアサヒグラフを見れば気が付きますが「事變」と書かれています。
逆に「事」の漢字が戦中から戦後にはあまり使われていない筈の「亊」の旧字体で書かれているのは何故でしょう。
日記を古く見せようとしたために「亊」を使ったのか??なら何故「亊變」の旧字体で書かなかったのか??旧字体を中途半端に知っている人が書けばあり得るミスのような気がします。
射殺 → 射は木の上に点が見えないので新字体だと思える。
宿舎は宿舍なので旧字体
旅館は舘と書かれているので旧字体
身体 → 身體の体は新字体
検査 → 檢査の検が新字体
兵器 → 兵の器が新字体
馬具のは旧字体
来る → 來るの来は新字体
徴発 → 徴發の発が新字体
相当 → 相當の当が新字体
戦友 → 戰友の戦が新字体
總数 → 總數の数が新字体 米の部分が串が旧字体
銃剣 → 銃劔の剣が新字体だと思もえる。旧字体なら「劍」がでもOK
出来ず → 出來ずの来がどう見ても人二つに見えなくて来を崩しているように見える。
取りあえず調べたところまでアップします。
調べているとあまりにも新字体が多いです。
旧字体も有りますが当時これほど新字体が使われているのが疑問に思える。
ただ、戦後に新字体に切り替えるからないは当時から新字体が普及していたと考えるのも自然と言える。
戦争とは関係ない当時書かれた日記も調べてみる必要がありそうですね。
それと何度も見返していると、不思議な事に気が付きました。
使われている日記が4冊程度で30冊以上有るのに何故同じ日記ばかり使うのか?
日付がハッキリしているのだから同じ日を別々の日記で10冊とか紹介した方が説得力があると思う。
また同じ日を紹介しているが、支那兵の三分の一と同じ内容に疑問に思う。
15分39秒に出てくる日記と15分45秒に使われている別々の日記両方に三分の一が書かれているナレーションでは片方の日記にしか三分の一としか言っていないが両方の日記に書かれているのは確認できる
一冊の日記が三分の一と書かれているなら別の日記に7千名を連れ出すとかで二冊の日記に同じ三分の一と書かれているのは偶然にしては出来過ぎの気がする。
何故、旧字体と新字体の事に気が付いたかと言えば、当時の新聞や資料が旧字体で書かれているので読むことに結構苦労するのですが、この日記を読むときそれほど苦労しませんでした。
文字を崩して書かれているのに日記の方が読みやすい事を不思議に思っていたら、あれ?「体」の字が何故新字体で書かれているのか?と気が付いたときに新字体が多く使われている事に気が付いたのです。
当時の新聞や雑誌を読めば解りますが文字を崩していないのに、動画の日記より旧字体が多いので数倍読みにくいです、試してみてください。
追記
さて旧日本兵が当時、尋常小学校で教育を受けて漢字も習ったはずです。
そこで当時の尋常小学校で使われていた国語の教科書の漢字表が無いか調べました。
見つけました「国立国会図書館デジタルコレクション」の中で上の検索スペースで「尋常小学国語」で検索して左横の絞込検索スペースで「漢字表」で検索すると下のファイルが出てきます。
国定教科書語彙索引 長崎県女子師範学校国定教科書語彙索引編纂部 編 (帝国書院, 1933)
目次:尋常小學國語讀本新出竝讀替漢字表
帝国書院, 1933は1933年に使われている教科書なので1937年の支那事変に参加したした旧日本兵はこの漢字を習っているはずです。
漢字表が出てくるのでこれを使って日記に書かれている漢字を調べました。
コマ番号 ページ数 書かれている位置 旧字体 日記で使われている漢字
286 20 右上 來 来
287 23 左下 發 発
288 24 右上 戰 戦
288 24 右下 殘 残
289 26 右上 體(体) 体
290 29 左上 關(関) 関
290 29 左下 變 変
293 34 右上 劔 剣
287 22 右下 數 数
この様な結果です。
特に「来・発・残・剣・変」はどう調べても当時にはまだ無い漢字だと思われますが絶対では有りません。
現在調べている最中です。
新字体と旧字体を調べるのは苦労しています。
ここで「略字表」で検索したらある程度の新字体が当時も使われているのが解りました。
検索文字の「略字表」に辿り着くのに苦労しましたね。
「略字表」で検索して当時使われていた略字を見ると確かに「発・残・変」等は当時から使われています。
ただ「剣」は???の状態です。
他の文字も検索して後で更新します。