「聖火の火」実は4年前消えていた 鹿児島県の施設

「聖火の火」実は4年前消えていた 鹿児島県の施設
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昭和39年の東京オリンピックの聖火から分けた火を守り続けてきた鹿児島県の施設で、4年前にこの火が消えてしまっていたことがわかりました。2020年の開催地が東京に決まった際には、職員が再点火したものが「東京オリンピックの聖火」と紹介されていて、当時の所長は「夢を壊すようなことを言えず、葛藤があった。今は『聖火の火』と紹介するのをやめている」と話しています。
鹿児島市にある県立青少年研修センターでは、前回、昭和39年の東京オリンピックの聖火リレーで使われた種火を譲り受けたものをランタンに入れて保管していて、火が消えることがないように職員が灯油をつぎ足しながら守り続けてきました。

ところが、研修センターの元所長によりますと、2020年のオリンピック・パラリンピックの開催都市が東京に決まる直前の平成25年8月ごろに、管理がうまくいかず、この火が消えてしまったということです。

開催都市が東京に決まった際には、多くのメディアから「東京オリンピックの聖火」などと紹介されましたが、実際には、このときはすでに職員が再点火したものだったということです。センターではその後、職員が再点火した火を消したうえで、「聖火の火」と紹介するのをやめました。
現在は、虫眼鏡を使って太陽の光で起こした火をランタンにともし、展示しています。

当時の所長はNHKの取材に対し、「当初は夢を壊すようなことは積極的に言えなかったが、『聖火の火』として残すことへの葛藤があった。教育機関としてうそをつくわけにはいかないので、今は『聖火の火』と紹介するのをやめるようにした」と話しています。

聖火が消えた場合に備えた種火だった

センターによりますと、センタ-で受け継がれていた聖火は、前回の東京オリンピックの聖火リレーが鹿児島県内を走った際に、聖火が消えてしまった場合に備えて残しておいた種火だったということです。

鹿児島市の男性がその火から分けた火を持ち帰り、自宅の門をともす火として使っていましたが、火の存在を知った当時のセンターの職員が、子どもたちの健全育成のために使いたいと申し出て、昭和57年に譲り受けていたということです。

今ある火を大事にしていく

センターでは当時の所長の判断で火を消した後、代わりにセンターの近くの山で虫眼鏡を使って太陽の光で起こした火をランタンに入れて、現在もともし続けています。

鹿児島県立青少年研修センターの田畠悦子所長は「前の火が消えたいきさつはわかりませんが、私たちはこの火でスタートしていますので、大事にしていきたいです。火を見た子どもたちには夢や希望、勇気を持ってほしい」と話していました。

JOC「聖火は残っていないはずのもの」

JOC=日本オリンピック委員会は「聖火は大会が終われば消してしまうので、残っていないはずのものだ。聖火リレーの途中でこっそり火を分けるというのは当時あったのかもしれないが、その火が全国でどれだけ残っているのかについては情報がなく、把握していない」としています。

「聖火の火」実は4年前消えていた 鹿児島県の施設

昭和39年の東京オリンピックの聖火から分けた火を守り続けてきた鹿児島県の施設で、4年前にこの火が消えてしまっていたことがわかりました。2020年の開催地が東京に決まった際には、職員が再点火したものが「東京オリンピックの聖火」と紹介されていて、当時の所長は「夢を壊すようなことを言えず、葛藤があった。今は『聖火の火』と紹介するのをやめている」と話しています。

鹿児島市にある県立青少年研修センターでは、前回、昭和39年の東京オリンピックの聖火リレーで使われた種火を譲り受けたものをランタンに入れて保管していて、火が消えることがないように職員が灯油をつぎ足しながら守り続けてきました。

ところが、研修センターの元所長によりますと、2020年のオリンピック・パラリンピックの開催都市が東京に決まる直前の平成25年8月ごろに、管理がうまくいかず、この火が消えてしまったということです。

開催都市が東京に決まった際には、多くのメディアから「東京オリンピックの聖火」などと紹介されましたが、実際には、このときはすでに職員が再点火したものだったということです。センターではその後、職員が再点火した火を消したうえで、「聖火の火」と紹介するのをやめました。
現在は、虫眼鏡を使って太陽の光で起こした火をランタンにともし、展示しています。

当時の所長はNHKの取材に対し、「当初は夢を壊すようなことは積極的に言えなかったが、『聖火の火』として残すことへの葛藤があった。教育機関としてうそをつくわけにはいかないので、今は『聖火の火』と紹介するのをやめるようにした」と話しています。

聖火が消えた場合に備えた種火だった

センターによりますと、センタ-で受け継がれていた聖火は、前回の東京オリンピックの聖火リレーが鹿児島県内を走った際に、聖火が消えてしまった場合に備えて残しておいた種火だったということです。

鹿児島市の男性がその火から分けた火を持ち帰り、自宅の門をともす火として使っていましたが、火の存在を知った当時のセンターの職員が、子どもたちの健全育成のために使いたいと申し出て、昭和57年に譲り受けていたということです。

今ある火を大事にしていく

センターでは当時の所長の判断で火を消した後、代わりにセンターの近くの山で虫眼鏡を使って太陽の光で起こした火をランタンに入れて、現在もともし続けています。

鹿児島県立青少年研修センターの田畠悦子所長は「前の火が消えたいきさつはわかりませんが、私たちはこの火でスタートしていますので、大事にしていきたいです。火を見た子どもたちには夢や希望、勇気を持ってほしい」と話していました。

JOC「聖火は残っていないはずのもの」

JOC=日本オリンピック委員会は「聖火は大会が終われば消してしまうので、残っていないはずのものだ。聖火リレーの途中でこっそり火を分けるというのは当時あったのかもしれないが、その火が全国でどれだけ残っているのかについては情報がなく、把握していない」としています。