信仰を いや信念とともに篤い信仰を持つ人は どこか特別な人で
それは 異次元に近い場所、畏れ多い高みに生きる人…
憧れというか羨望のまなざしというか 上手く言えないが 自分が決して到達できない生き方だと思っている
情けないけど
で、置かれた場所で 咲けばいいのだ、との言葉に 感激して、よし、それでいいなら、と思っている調子の良い人間だ
その渡辺和子さんに関する本が 図書館の新刊コーナーにでて すぐ予約した
身近で親交の深かった方が書かれている
彼女の生涯が 決してご本人は 口にはされなかった 苦難の人生の一端が書かれた本だ
中で 一番心に残るのは
『人間に上下はありません。しかし、人格に上下はあります』
その言葉に アマゾンのコメントで 「シスターがこんなことを言うはずがない」と書かれた方がいる
それに対して またコメントが寄せられている
それを読んだあと なんだかなぁ…という気分だ
それにこの本の最後のあとがきも シスターが死後も ただただみんなが心から惜しんでお別れを悼んだのではなさそうな…と受け取れるようなことがあったことが記されている
『よほど腹に据えかねた状況を垣間見た(あるいは遭遇した?)のであろうが』と 他の方がコメントしておられたから 私だけの思い違いではなさそうだ
カトリック…想像もつかないところ
出る杭は打たれた?
シスター間の軋轢?
なんともはや どこにでもある話…
それでも
神への信仰を捨てることなく生を生き切った渡辺和子シスターは
やはり 凄い人だ
置かれた場所は 決して 羨むような花園なんかじゃなかったのに
『人間に上下はありません。しかし、人格に上下はあります』
それは 重い言葉だ
人格云々の卑しさ、尊さ、いまTVで日々目の当たりにしているから 尚更に
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つれあいが いつも聞く
「それ なに?」
今回は 聞かれる前に
「いまあるビーズを 使ってしまいたかっただけ!」
無意味な…んだよね、いつも