今住んでいるシェアハウスの同居人が、
「他人と共同生活するのってしんどくないですか?」
って人に聞かれていた。
彼は、
「家族よりはマシ」
と答えていて、あー、そうそう、そんな感じ、とうなずいた。
そう、家族よりはマシだ。あの、血が繋がっているというだけで別に心も通じていない人間が自分の心や体にズカズカと干渉してくるよく分からないシステムに比べれば、シェアハウスなんてみんな理性があって話の通じる人間ばかりだ。
生まれ育った家族が嫌いだった人間には2種類ある。家族が嫌いだからそもそも家族を作ろうと思わない人間と、生まれ育った家族が嫌いだったからこそ、より良い家族を求めて自分で作る人間だ。
僕は前者のほうなので後者のほうの気持ちはよくわからない。「良い家族を作る」か……。それは不可能ではないけれど、よっぽど人格的に恵まれた人間が絶妙なバランスに乗っかってようやく実現できるような、難易度の高いゲームなんじゃないだろうか?
僕の感覚としては「家族」という少数の固定した人間が「家」という密室で長期間生活するなんてしくみは、スタンフォード監獄実験とかそういう感じの、ある種の人間性の限界に挑戦する実験にしか思えないのだけど……。まあそんな風に思う自分は極端すぎるのだろう。
ただ、シェアハウスなどいろんな暮らし方の選択肢が増えることで、他の暮らし方の選択肢がないからしかたなく家族を選ぶという人が減るならば、そのほうがいいんじゃないだろうか。自分の親の世代なんかは他に選択肢がないから95%くらいの人間が結婚して家族を作るという「皆婚社会」だったわけだけど、その結果として欠陥の多い家族が量産されてしまったのでは、と思う。
最近「毒親」などというワードをよく聞くのは、そんな風に破綻した家族で育った子の世代がそれなりに発言力を持つ年齢になったからだろうし。
シェアハウスの同居人との距離感というのは、家族よりは全然遠く、マンションの隣の住人よりはだいぶ近い、くらいの感じなのだけど、住んだことがない人にはなかなか伝わりにくいものなのだろうな。
シェアハウスが家族より良いところは「人数が多い」というのと「メンバーが流動的」というところだ。
カップルとか核家族とかって、大人が2人だけじゃないですか。僕はあれが苦手だ。どんなに仲の良い好きな相手でも、1対1で長時間過ごすとしんどくなったり、相手の細かいところがイヤになってきたりしてしまう。だから僕は女性と付き合ったりしても長続きしなくて、その帰結としてシェアハウスに住んでいるというところがある。
シェアハウスだとメンバーがたくさんいるので、そのへんがまぎれる。人数が多いと自分1人くらいいなくてもいいか、という感じにもなる。サシでずっと過ごすにはキツいような相手でも、多数で付き合うならやっていけるというのも良い点だ。
ときどきメンバーが入れ替わるというのも閉塞感が生まれにくくていい。なんかイヤになったら自分が出ていってもいいし。家族の閉塞感って、自分で選べない、脱退できないところだと思う。
家族でも学校のクラスでもクラブ活動でも、嫌になっても抜けられないと、その中の人間関係が歪んできても止められなくていびつな感じになったりする。自分がどこにいるかを選べること、それが大事だ。