みなさま、こんにちは。
言い訳から始まりますが、前回パソコンの調子が悪くて途中で諦めてUPしてしまいました。PC、買い替えるかな、どうしようかな…と思案中。
今日もDELLさまのご機嫌を伺いながらやっています。
初めて読まれる方、前回の続きになっています。
Uボートの調査は続行中
第一次大戦のUボートが沈んでいる場所は、ダンケルクの近く、赤い印の沖です。でもフランダース政府は場所は絶対秘密にしたい。お宝ハンターや部品を盗んで売りさばく輩に荒らされたくないからです。
これまでもイギリスやオランダの沈没船は数多く、こうした盗難と破壊の被害に遭ってきましたから。
機雷
Duitse duikboot uit Eerste Wereldoorlog gevonden voor Belgische kust
Uボートの沈没の理由は機雷に当たったことらしい。写真は2枚ともオランダ語の歴史サイトから借りています。私は機雷を直に見た事がないのですが、みなさんはどうですか。あんなトゲトゲがついているんですね。
アメリカ軍が行った日本周辺の機雷封鎖作戦「飢餓作戦」については少し読んだことがあります。詳しくはウィキペディアで。 飢餓作戦 - Wikipedia
Uボートの件、続報が出たらまた書きますね。
Getty Images
美しい写真です。錆びて朽ちたところから植物が生え、水中はさだめし魚たちのお宿でしょう。戦争の虚しさをつくづく感じます。(↓去年の記事にも同じ写真が…)
この菊月を引き揚げて修復保存するべく、「菊月保存会」なるものが結成され、クラウドファンディングで資金調達を開始したことー 去年触れました。そのときは引き揚げなんて無理でしょうと思っていましたが。
菊月は1926(大正15)年、大正時代最後の駆逐艦としてに舞鶴海軍工廠(こうしょう)で作られました。所属は佐世保鎮守府だそうで、舞鶴で進水しましたが、1942(昭和17)年米軍の攻撃を受け、南太平洋で沈没。座礁したまま放棄されます。
その後、錨やスクリューなど運びやすいものはほとんど盗まれてしまい、重く動かしにくいものしか残っていなかったそうです。
そこで保存会は長さ5・6メートル、重さ3トンの主砲の砲身を引き揚げることにし、ソロモン諸島政府から許可をもらいます。
https://trafficnews.jp/post/52235/
そして9月5日、砲身は日本へ「帰国」を果たしました。
こういう活動をするのは年輩の方かと思っていたら、千葉県在住の20歳の青年であるらしく、祖父が特攻隊員だったそうです。2015年に現地訪問し、菊月の一部でもいいから故郷に帰し、保存して戦争を伝える資料にしてほしいと思ったということです。
旧海軍駆逐艦の砲身、若者ら引き揚げ 京都・舞鶴で展示目指す : 京都新聞
アルデンヌの森 シュールな車の墓場
「アルデンヌ」という言葉、私のブログにはもう何度も出てきましたね。フランス・ベルギー・ルクセンブルクにまたがる森林地帯です。
先ほどの残骸・廃墟つながりでいくと、私はアルデンヌと聞いて車の墓場をすぐに思い出します。それほどショッキングだったんです、初めて写真と映像を見たときは。
まあ、ご覧ください。
Foto : Rosanne de Lange
Foto : Marcel Wiegerinck
Foto : Bruxelles5
Foto : Rosanne de Lange
Foto : Theo van Vliet
この場所はシャティヨンという村の近くで、500台を超える自動車が200~300mくらいの列を作って打ち捨てられています。第二次大戦のときやって来た米兵の車ですが、戦後帰国の際、車の運送費は個人持ちと言われたので、やむなくこの森に車を隠していったのです。
この辺はめったに人の来ないところで、最初に見つけたのは村の子どもたちだったといいます。
ところがTV局が来てルポをして以来、ここを訪れる人が急増したために、事件や事故を懸念してか村長は撤去を決断します。2010年ころらしいです。
ですから車の墓場はもう存在しないのです。ただ自然の作り出す思いがけない効果が美しく、新鮮な驚きがあります。苔の緑(日本人ならみんな好き)や錆の茶系統のグラデーションが見事です。季節ごとに植物や蔓や落ち葉などが絵を描くでしょう。現代アート作品のようです。車を正面からみると、悲し気な虚ろな顔をしていて、胸ふさがれる思いがします。
いかがでしたか。
シュールレアリスムの国ベルギーらしい光景といえるかもしれませんね。
次回はまた質問に答えます。
「ヒトラーはイギリス贔屓だったか」。