【概要】
小笠原諸島の森林では、落葉の下におびただしい数のワラジムシ類とヨコエビ類が住み、土壌動物―森の分解者として重要な働きをしていました。ところが 1980 年代以降、父島全域と母島の広い範囲でこれらの土壌動物が、忽然と姿を消してしまいました。その原因はずっと謎でしたが、東北大学大学院生命科学研究科の篠部将太朗氏(修士課程 1 年)らは、日本森林技術協会、自然環境研究センターと共同で、この奇妙な土壌動物の「集団失踪事件」の犯人が、80 年代初めに小笠原に侵入した外来生物―陸生ヒモムシの 1 種であることを突き止めました(図 1)。
実験の結果、この陸生ヒモムシは、ワラジムシ類、ヨコエビ類、クモや昆虫など節足動物を広く捕食することがわかりました。母島の調査から、陸生ヒモムシの侵入地点では、その捕食によりワラジムシ類とヨコエビ類がほぼ全滅、土壌中の節足動物全体も激減したことがわかりました。またワラジムシ類を主食とする肉食性昆虫も姿を消していました。母島南部では、陸生ヒモムシの分布域が徐々に南に拡大するにつれ、土壌動物の乏しいエリアが南に拡大しています。今のところこれを抑止する手段は無く、母島の土壌生態系は遠からず壊滅するものと予想されます。父島と母島の在来の森林生態系は、陸生ヒモムシの食害のため、分解者の主軸を失い、危機的な状況にあります。小笠原では、父島と母島以外の島では、この陸生ヒモムシの侵入状況は不明であり、緊急にその分布調査と、未侵入の島への拡散防止対策を実施する必要があります。
外来の陸生ヒモムシが生態系に大きなダメージを与えていることが示されたのは、これが世界で初めてです。この事例は、外来生物の影響は、環境により異なること、外来生物の侵入が生態系に及ぼすリスクを、事前に正確に予想することは困難であることを意味しています。
本研究成果は国際科学雑誌 Scientific Reports 電子版に掲載されました。
図 1. ハゴロモの 1 種を捕えた外来陸生ヒモムシ。母島・乳房山にて(撮影:森英章)。
【発表のポイント】
- 小笠原諸島の森林には、本来、ワラジムシ類とヨコエビ類が多産し、森の土壌動物―分解者として重要な役割を果たしていた。ところがこれらの土壌動物は、1980 年代以降、急速に減少し、父島ではほぼ消滅、母島でも大半の地域で激減した。
- この土壌動物の激減を引き起こした犯人が、80 年代に小笠原に侵入した外来生物―陸生ヒモムシの 1 種であることを突き止めた。
- この陸生ヒモムシが、ワラジムシ類、ヨコエビ類、クモ類、昆虫類など節足動物を広く捕食することを実証した。
- 陸生ヒモムシが最近侵入した地域では、その捕食によりワラジムシ類、ヨコエビ類がほぼ全滅、土壌中の節足動物全体の個体数も激減した。ワラジムシ類を主食とする肉食性昆虫も姿を消した。
- 母島南部では、陸生ヒモムシの分布域が南に拡大している。これを抑止する手段は無く、母島の土壌動物相の壊滅は不可避である。
- 父島と母島の在来の森林生態系は、分解者の主要なメンバーを失い、危機的な状況にあると言える。
- 小笠原では、父島と母島以外、この陸生ヒモムシの侵入状況は不明である。分布調査と未侵入の島への拡散防止の対策が急務である。
- 陸生ヒモムシが生態系の大きな脅威となりうることが示された世界で初めての事例である。
・背景
小笠原諸島の森林では、落葉の下に無数のワラジムシ類とヨコエビ類が生息していました。父島と母島では、これらの陸生甲殻類だけで、大型土壌動物の総個体数のおよそ 6 割を占めていました。海洋島である小笠原には、本土の土壌で優占しているミミズが、海を越えて渡ってくることができませんでした。その代り、ワラジムシ類とヨコエビ類などの陸生甲殻類が土壌動物の主力となり、小笠原の森林生態系のなかで分解者として豊かな土壌を育む重要な役割を果たしていました。またこれらの陸生甲殻類の80%の種は、世界中で小笠原にしか住んでいない固有種で、そのなかには小笠原で海から陸への進化を果たした貴重な例として知られるオガサワラフナムシも含まれています。この陸生甲殻類を中心とする豊かでユニークな土壌動物相は、小笠原の独特の生態系を特徴づける重要な要素のひとつであり、世界自然遺産としての小笠原の価値を縁の下で支える存在でした。
ところが 1980年代以降、これらの土壌動物は急速に姿を消し始めました。まず父島で減少が始まり、現在ではほとんどその姿を見ることができなくなりました。次いで母島でも減少が始まり、今では大半の地域で、かつての落葉の下のにぎわいは失われてしまいました。
この土壌動物の「集団失踪事件」は、なぜ起きたのでしょうか。その原因として、いくつかの仮説が出されましたが、どれも決め手に欠けました。最も有力な仮説は、外来種のオオヒキガエルによる捕食のため、というものでした。しかしオオヒキガエルを駆除しても、土壌動物の減少には全く歯止めがかからず、その証拠は得られませんでした。多くの研究者は、この土壌動物の集団失踪を引き起こした黒幕は、何か未知の外来生物なのではないか、と考えてきましたが、その正体はわからず、謎は解けぬままとなっていました。
・解けた謎、黒幕の正体
東北大学大学院生命科学研究科の篠部将太朗氏(修士課程 1 年)、内田翔太氏(博士課程 1 年)、千葉聡教授、日本森林技術協会の大河内勇理事、自然環境研究センターの森英章主任研究員は、実験と野外調査から、土壌動物の失踪事件を引き起こした真犯人が、1980 年代初めに小笠原に侵入した外来生物―陸生ヒモムシの1種であることを突き止めました。
この陸生ヒモムシの1種は、オガサワラリクヒモムシ※1の名で呼ばれているもので(図 1)、オガサワラと和名についていますが、小笠原にもともといた生物ではなく、国外から渡来した外来生物です。80 年代初めに父島に侵入したのち、90 年代半ばに母島に侵入したことがわかっています。
研究グループは、小笠原で採集した陸生ヒモムシを用いて、食性を調べるための実験を行いました。そして陸生ヒモムシの分布調査とハンドソーティングによる土壌生物相の調査を行いました。
図 2.ワラジムシ類を捕食する外来陸生ヒモムシ。捕食開始時(左)と捕食終了時(右)。(撮影:篠部将太朗)
図 3. (a)母島南部における外来陸生ヒモムシの分布。赤の記号で示した地点が陸生ヒモムシの生息が認められた地点。(b)-(d)母島南崎における土壌節足動物の各分類群の生息密度(/m2)。(b)ワラジムシ目、(c)ヨコエビ目、(d)カメムシ目。円の大きさは個体数密度に比例する。
捕食実験の結果、この陸生ヒモムシが、ワラジムシ類、ヨコエビ類、クモや昆虫など節足動物を広く捕食することが判明しました(図 2、ビデオ 1)。このヒモムシは、餌の節足動物が近づくと、毒針のついた銛のような器官を口から水中銃のように発射して、獲物に打ち込んで殺し、食べてしまいます。
実はオガサワラリクヒモムシの食性を調べた過去の論文※2 では、ワラジムシ類も含め節足動物を食べない、と結論づけていたため、その生態系への危険性はこれまで全く認識されていませんでした。食性が大きく異なることから、小笠原に侵入したこの陸生ヒモムシは、恐らく本来のオガサワラリクヒモムシとは形態的に区別が困難な別種である可能性が高いと考えられます。
ビデオ 1. クモを襲う陸生ヒモムシ
(ビデオについては、ご提供が可能ですので、ご入用の場合は最終頁の問い合わせ先までお問い合わせください。)
母島の調査から、この外来陸生ヒモムシが最近侵入した地域では、その捕食により大半の地点でワラジムシ類とヨコエビ類がほぼ全滅と言うべき状態となり、一匹も見つからない場所もありました(図 3)。単位面積当たりの平均総個体数で比較すると、ヒモムシ侵入地点では未侵入地点に比べ、ワラジムシ類は 10 分の 1 以下に、ヨコエビ類では 100 分の 1 以下に、そして土壌中の節足動物全体も 4 分の 1 に減ったことがわかりました。またワラジムシ類を主食とする肉食性昆虫はほぼ消滅し、同じくワラジムシ類を主食とするムカデ類も減少しました。母島南部では、陸生ヒモムシの分布域が徐々に南に拡大していますが、土壌節足動物の乏しいエリアもそれと同期して南に拡大しています。
外来陸生ヒモムシが生態系に大きなダメージを与えていることが示されたのは、これが世界で初めてです。
・成果の意義と求められる対策
今のところ、この陸生ヒモムシを排除したり、影響を緩和したりするための手段はありません。そのため現在の陸生ヒモムシ生息域の拡大速度や、土壌動物相の劣化状況から判断すると、母島の土壌生態系は遠からず壊滅するものと予想されます。父島と母島の在来の森林生態系は、陸生ヒモムシの食害のため、分解者の主軸を失い、危機的な状況にあります。小笠原では、父島と母島以外の島では、この陸生ヒモムシの侵入状況は不明であり、緊急にその分布調査と、未侵入の島への拡散を防ぐための対策を実施する必要があります。
なお本研究は対象を土壌節足動物に限定しましたが、陸生ヒモムシは樹上でも生活し、樹上にすむ昆虫を捕えることが野外で確認されています(図 1)。従ってその捕食の影響は夜行性の昆虫全体にも及んでいる可能性があり、早急な調査が必要です。
小笠原では、行政による外来生物の駆除事業が大規模に進められてきました。外来生物への対策や影響評価の研究が、恐らく日本で最も盛んに行われてきたのも小笠原です。にもかかわらず、生態系にこれほど大きなダメージを及ぼした外来生物が、30 年もの間見過ごされてきたという事実を、私たちは深刻に捉える必要があります。私たちは生態系のことも外来生物のことも、ほんの一部しか理解できていないのです。生態系に侵入した外来生物の中には、常に未知の脅威が潜んでいる可能性があります。また外来陸生ヒモムシが今のところ小笠原でのみ顕著な侵略性を発揮していることは、外来生物の影響が環境により大きく異なることを示しています。以上の点を踏まえると、外来生物の侵入が生態系に及ぼすリスクを、事前に正確に予想することは困難であると考えられます。
生態系を適切に維持、管理、修復することは、社会から強く求められている課題です。しかし、この社会的要請に応えるためには、同時に生態系の実態把握やそれを構成する個々の生物の生態、分類といった地道で目立たぬ基礎的研究をきちんと進める必要があることを、今回の発見は強く示唆しています。
【用語説明】
※1. オガサワラリクヒモムシ Geonemertes pelaensis (=G. pelaensis)e 熱帯・亜熱帯に生息する陸生のヒモムシ(紐型動物門の総称)の仲間。日本では小笠原・大東諸島・沖縄で記録されている。小笠原の外来陸生ヒモムシは従来この種名で呼ばれてきたが、恐らくこれとは別種である。遺伝子解析の結果から、小笠原に分布する外来陸生ヒモムシは 1 種だけと考えられる。体長 2-6 ㎝。
※2. Gerlach, J. 1998. The behavior and captive maintenance of the terrestrial nemertine (Geonemertes.pelaensis). J.Zool.Lond. 246:233-237
本研究の成果は、 Scientific Reports 電子版に掲載されました。本論文はオープンアクセスで、自由に閲覧可能です。
【論文の詳細】
題目:Declining soil Crustacea in a World Heritage Site caused by land nemertean.
著者:Shotaro Shinobe, Shota Uchida, Hideaki Mori, Isamu Okochi, Satoshi Chiba
雑誌:Scientific Reports 7
DOI(10.1038/s41598-017-12653-4)