映画『パルプ・フィクション』をご存知だろうか?
1994年公開で、アカデミー賞では7部門にノミネートされ。脚本賞を受賞した名作である。内容は賛否両論で、絶賛する層とクソミソに貶(けな)す層に二分される。因みに筆者は、絶賛派である。
題名:Pulp Fiction (邦題:パルプ・フィクション)
監督・脚本:クエンティン・タランティーノ
出演:ジョン・トラボルタ(ヴィンセント・ベガ)、サミュエル・L・ジャクソン(ジュールス・ウィンフィールド)、ユマ・サーマン(ミア・ウォレス)、ブルース・ウィルス(ブッチ・クリッジ)
制作費:$8,000,000
興行収入(世界):$213,928,761
このところ、”犬のウンチ”についての考察を色々と書いてきたが、どうにもこの『パルプ・フィクション』が頭にチラつく。
”犬のウンチ”そのものは、この映画には1度も登場しないのだが、”犬のウンチ”を考察するうえで、頻出するキーワードが、この『パルプ・フィクション』には満載なのだ。
さて、映画のことを書く前に、まずは”犬のウンチ”を、英語でどう表現するかを考えてみたい。
日本語でウンチは、うんこ、クソ、フン、大便、大きい方など、様々な呼称があるが、英語でも同じだ。poop(poo,pooh)、mess、crap、feces、shitなど。
ウンチ、うんこに当るのが、poop(poo,pooh)で、これらは幼児用語である。
fecesは学術用語でもあり、獣医師が使う「便」とか「排泄物」いうニュアンスだろう。
shitは、映画やドラマでよく耳にする下品なスラング。
これは訳すと「クソ」とか「クソ野郎」となる。
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英語でも日本語と同様に、名詞での直接表現をしない方法がある。日本語では「用を足す」に当るのが、business(ビジネス)だ。例えば、こんな使い方をする。
I always clean the place after his business.
(私はいつも、この子が用を足したあとで、そこを綺麗にしているのよ)
She did her business on the floor.
(この子、床の上で用を足しちゃったわ)
そして、オシッコとウンチをセットで考えた言い方もある。これには先程のpooを使う。
・pee(ピー) → オシッコ
・poo(プー) → ウンチ
もっと面白いのは、以下のような使い方。
・number one(No.1) → オシッコ
・number two (No.2) → ウンチ
元画像:YouTube
さて、話を『パルプ・フィクション』に戻そう。
この映画は冒頭のプロローグ部分で、早速ウンチに近接する、pee(オシッコ)が登場する。じつはこれ、筆者が大好きなシーンでもある。
ファミレスでいかにもチンピラと思えるカップル、パンプキンとハニー・バニーが話をしていのだが、この2人は思い立ったが吉日とでもいうように、唐突に銃を取り出し、その場でレストラン強盗を始める。
しかし、丁度そこに居合わせた。主人公の一人でもあるマフィアの殺し屋、ビンセントとジュールスの反撃にあう。
元画像:YouTube
テーブルの上に乗っかって銃を構えるハニー・バニー(上の写真)が、緊張のあまりに口走る言葉が次だ。
I gotta go pee! I want to go home.
「オシッコ行かなきゃ。家に帰りたい」
『パルプ・フィクション』は、いきなりの導入部からして、これなのだ。
元画像:YouTube
因みにこの『パルプ・フィクション』は、ビンセント(上の写真)がトイレに入り、そこから出てくると、何かしら悪い事が起きている。監督のタランティーノ氏は、トイレに、これから起こる不吉を暗示させているのだ。
映画の評論には、『パルプ・フィクション』とは、実はトイレット・ペーパーの事なのだと、深読みをしているものもある。しかし、そこまでではないと思う。ぜいぜいダブル・ミーニングくらいではないだろうか。
上の写真で、ビンセントがトイレで読んでいるのが、パルプ・フィクション――つまり安手の紙に印刷した読み捨ての大衆文学――である。パルプ・フィクションは、くだらない話という意味も持っている。
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映画『パルプ・フィクション』は、現実のパルプ・フィクションと同じ構造を持っている。1つ1つの実にくだらない話を、幾つも幾つも詰め込んで、1本の作品に組み上げているのだ。
しかし、この1つ1つの話がくだらないということが、この作品においては、実は重要な意味を持っている。
くだらない話を、ただ並べただけでなく、それぞれを複雑に交差させることで、映画全体では別の印象を、観客に与える事に成功しているのだ。
因みに、パルプ・フィクションに由来する別の出版物の名称として、プープ・フィクションというものがある。プープは前述のように、ウンチであり、オナラという意味も持つ。
プープ・フィクションを辞書で引くと、下品なギャグなどを盛り込んだ児童文学だとされている。
”『パルプ・フィクション』は、同時にプープ・フィクションでもある”。タランティーノ監督は、観客にそう言いたかったのではないだろうか? そのことを臭わせるために、最冒頭から「I gotta go pee! 」の台詞を織り込み、トイレをモチーフに使ったと解釈すると、考え過ぎだろうか?
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下品なギャグを盛り込んだ児童文学というと、日本では真っ先に頭に浮かぶのが『クレヨンしんちゃん』である。しかし『クレヨンしんちゃん』は下品なギャグを盛り込んではいるものの、作品自体は下品では無い。
下品なモチーフが逆に、シリーズの多くの作品に流れている家族愛や友情や、道徳観というテーマを際立たせる構造だ。
『クレヨンしんちゃん』は分類上、プープ・フィクションに属するのだろうか?
気になって評論記事を、幾つも読んでみたが、それに該当する内容は、1つも見つけらなかった。
他方、『パルプ・フィクション』であるが、この作品からはどう考えてみても、テーマが読み取れない。穿った見方をすると、この作品はテーマを観客に感じ取らせない事、或いはただ雑然としたイメージだけを観客に与える事を目的に、制作されたようにさえ感じられる。
しかし、それでいて『パルプ・フィクション』は素晴らしい。
中途半端なテーマ性などいらない。下らなさと、下品さのモチーフを突き詰めるだけで、そこには新しい何かが生まれるのだと、タランティーノ監督の声が聞こえてくるようだ。
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”犬のウンチ”に話を戻そう。
たかが”犬のウンチ”なのだが、その”犬のウンチ”を突き詰めると、このように4回の連載記事になってしまうのだから驚きだ。
”犬のウンチ”には、きっと秘められた何かがあるように思えてならない。
この記事を読まれた方は、今日の愛犬のウンチが、きっといつもとは違う匂いがするのではないだろうか?
「そうそう、今日のあなたの愛犬のウンチは、良いウンチでしたか?」
(ライター)高栖匡躬
――本記事は、以下の連載の一部関連記事です――
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