「夢のがん早期診断」が実現間近に
東京築地にある国立がん研究センター。患者の皆さんが訪れる中央病院を裏に抜けると、ことし完成したばかりの新研究棟が現れます。その一角で日々研究が進められているのが、今回の画期的ながん診断技術です。まだ試験段階ではありますが、血液検査をするだけで、胃がんや乳がんといった患者数の多いがんはもちろん、希少ながんも含めた13種類ものがん(大腸がん、胃がん、肺がん、乳がん、前立腺がん、食道がん、肝臓がん、胆道がん、すい臓がん、卵巣がん、ぼうこうがん、肉腫、神経膠腫)を、ごく初期の段階で診断できるという、夢のような検査手法が実現しようとしています。
                                    最新報告によれば、がんを正しく判定できる精度は95%以上という結果が出ています(数値については変動があり、現在も精度を上げる努力が続けられています)。3年後の実用化を目指し、現在急ピッチで研究が進められています。
この研究を率いる国立がん研究センター研究所の落谷孝広主任分野長は、「国民の多くの方がこの新しい検査を受けられる時代がくれば、がんを早く見つけ出し、早く治療することができるようになります。それによって、がんによる死亡者数を国民全体で減らすことが究極の目標です」と熱く語ります。
がん検診受診率が低い日本
「国民の2人に1人ががんに発症し、3人に1人ががんで死亡する」という日本。では、そんな日本でのがん検診の受診率をご存じでしょうか?
                                        正解は、患者数の多い大腸がん・胃がん・肺がんの場合およそ4割。この受診率、欧米やほかの先進国と比べて低い状態が続いています。例えば、乳がんを調べるマンモグラフィ検診の場合、アメリカ・イギリスなどの先進国では7-8割に上る一方で、日本はおよそ3割にとどまっています。
                                        がん検診の受診率が低い背景には、現状それぞれのがんごとに異なる種類の検査を受けなければならず、負担が大きいことも影響しているという指摘があります。乳がん検診ならX線で撮影するマンモグラフィ、消化器系だと超音波(エコー)検査、胃や大腸の管にファイバースコープを通して観察する内視鏡検査などが一般的ですが、なかには痛みや精神的な苦痛を伴う検査もあります。検査の負担を軽くすることは、がんの早期発見・早期治療を実現する上で、とても大事な課題なのです。
画期的な診断技術の秘密
そんな中に登場した、「血液一滴で13種類ものがんを早期診断できる」という、夢のようながん検診の新技術。なぜそんなことが可能なのか、実際に研究室を訪ねて、その仕組みを見せてもらいました。
                                        そこでは、採取した血液から血清をつくり、それを特殊な検査用のチップに流し込んでいました。
この検査で調べるのは、血液の中を流れる「マイクロRNA」と呼ばれる物質(核酸)です。マイクロRNAは、遺伝子の働きを調節し、細胞の働きを変えてしまう作用をもつ物質であることがわかっています。
                                        私たちの血液の中には、およそ500種類ものマイクロRNAが流れていると言われていますが、検査で注目するのは、「がん細胞が放出するマイクロRNA」です。
                                        国立がん研究センター研究所では、企業と共同で、ごく微量のマイクロRNAを正確に測定できる装置を開発しました。じつは最新研究によって、がんのタイプにより、放出するマイクロRNAの量や種類が異なることが明らかになっています。そこで、それを血液中から検出し、どんながんが体内に潜んでいるかを診断しよう、というわけです。
ちなみに、研究室では細かな作業を含め、すべて手作業で行われています。黙々と真剣に検査を進めるスタッフの姿が印象的でした。
世界が注目する、がん細胞が出す「エクソソーム」
がん細胞が出す「マイクロRNA」。実は、ある特別な「カプセル」に封じ込められた形でがん細胞から放出され、血液に乗って全身をめぐっていると考えられています。その「カプセル」とは、「エクソソーム」と呼ばれるものです。エクソソームは、直径わずか1万分の1ミリほどの小胞で、がん細胞だけでなく、ほとんどすべての細胞が分泌していることがわかっています。
さまざまながん細胞が出すエクソソーム
がん細胞は何のためにエクソソームを出しているのか。落谷さんたちの研究によって、がん細胞がこのエクソソームを″武器″として体内に放出し、転移や再発を引き起こしていることが突き止められました。
例えば、これまで謎に包まれていた、乳がんの「脳への転移」もエクソソームの働きと深く関係しています。乳がんは早期に治療すれば比較的完治しやすいがんとされていますが、長い期間を経て脳に転移する場合があることが知られています。
                                        しかし本来、脳には「血液脳関門」と呼ばれるバリア構造があり、そのバリアをがん細胞がどのように突破しているのか、詳しいメカニズムは謎でした。
                                        落谷さんたちが発見したのは、乳がんの細胞がエクソソームを放出し、その働きによって「血液脳関門」のバリアを緩めてしまうという驚きの事実です。
                                        乳がんの細胞は、そうしてバリアが緩められた部分から脳の内部に侵入し、転移を果たしていたのです。落谷さんは語ります。「がん細胞というのは非常に悪賢いです。がん細胞が出すエクソソームとは、相手がうっかり開けてしまうと、とんでもないものが感染して異常な事態を引き起こす、まさにインターネット上の″ウイルスメール″のようなものなのです」
「新たながん検診」はいつ実用化される?
現在、国立がん研究センター研究所では、実際にがんの患者さんから血液を提供してもらい、この診断技術を使ってどこまで精度よくがんを診断できるか、その精度向上を目指した研究をスタートさせています。
                                        3年後をめどに実用化を目指したいとのことで、私たちが受診できるようになるにはまだ少し先かもしれません。
                                        しかし研究室では、スタッフたちが気の遠くなるような地道な検証を繰り返しながら、少しでも正確で安全な検査技術を確立しようと努力を続けています。世界のがんとの闘いを大きく変える革新的な技術も、科学者たちの一歩一歩の積み重ねがあってこそ生み出されるのだと痛感しました。
                                        落谷さんの研究室では、今回の13種類のがん診断技術のほかにも、新たな治療法の開発研究に取り組んでいます。がんの克服を目指した最先端の研究から、目が離せません。
                                        NHKスペシャル「人体 ~神秘の巨大ネットワーク~」では、9月30日(土)・10月1日(日)夜9時から2夜連続放送の「プロローグ」と「第1集・″腎臓″があなたの寿命を決める」から、全8回にわたって、最新科学が明らかにした驚くべき人体の「本当の姿」を解き明かしていきます。これまでの健康常識や医療の在り方がガラリと変わる最先端の情報が満載です。
- NHKスペシャル「人体」
取材班ディレクター - 宮脇壮行