2017-10-01

なんというか疲れた

何にもしていないのに疲れた

自分容姿がよければ、政治なんていう面白くないものテーマ談話しないという話を書いた。

顔が良ければ別にもっと楽しい娯楽だってあるし、ポピュリストに黙って流されても自分の居場所があるからだ。

合理的に考えれば、そうだ。

高校の中でもそうだった。

可愛い女の子はただ、いい大学に受かってより良い学校に行くことだけを考えていた。

可愛くなくてもそうだ。

容姿が醜い自分と豚みたいな顔したネトウヨくらいしか政治なんかグチャグチャ考えなかった。

どちらも彼女たちよりも偏差値が低い大学に行った。

彼女たちは早慶に行けて、自分関関同立の最底辺なのだ

若者投票率の低さや、日本人ネットメディアにおいて求める情報カジュアルものが中心ということは常識である

日本人のニュースメディア接触、先進国の中で際立つ特異性、ロイター調査が浮き彫りに

投票率が低い若者の意見は、日本の政治に反映されない | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

そんなこんなで現状の観光地美術館若い人々が求めていることが政治だとは考えられない。

娯楽やSNSで映えることが基本であろう。

ファッション誌で大々的に政治テーマをやるなんか見たことがない。

足を長く見せることのほうが重要である

から自分も顔がよかったら自分のことだけに専念できるし変に現実逃避的な世間話に振り回される必要もないということなだけだ。

それなのに、関心がある美男美女もいるだとかそんな風な指摘ばかりになってしまった。

容姿がよければこんなことにはならないのだろうと、容姿がいい人間への擁護をみると感じる。

自分容姿の醜さに虚しさを感じるし、抜け出せるなら抜け出したい。

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