どーもこんにちは!甘夏(@amanatu_sauce)です。
ケセランパサランって知ってますか?願いを叶えてくれるという都市伝説があるフワフワした毛玉みたいなやつ。『天使の毛玉』とも呼ばれているらしい。
ちなみに私は『地獄先生ぬ~べ~』でケセランパサランの存在を知って以来、ケセランパサランを探し続けているのだが未だに遭遇していない...。
(出典:地獄先生ぬ~べ~)
もし、ケセランパサランを見つけたら私は何を願うだろう?
「身長あと20cm欲しい」
「コミュ力が欲しい」
「パソコン欲しい」
「お金に不自由なく暮らしたい」
「タージ・マハル見に行きたい」
「馬刺しをお腹いっぱい食べたい」
自分の欲望を書き出したらキリが無い。
欲深い事はいけない事なのだろうか?
私は自分の欲望に素直になる事に少なからず抵抗を感じるタイプの人間だ。
人間に欲求はつきもの...
人間の三大欲求といえば『食欲・睡眠欲・性欲』とあるが、ぶっちゃけ私は欲望に素直になれない。
欲望に素直になる自分を受け入れられないというか、これが前にも書いた「会食恐怖症」に当てはまる部分なのかもしれない。独りでご飯を食べる事は平気なのに人と対面して食事をする事にかなりの抵抗を感じる。
心のどこかで欲望に素直になっている自分が恥ずかしいと思っているのかもしれない。(極論言うと、幸せになる事に罪悪感を感じる)
その反面、自分の欲望に素直な人がすごく羨ましい。
個人的な意見だけど、自分の気持ちに正直な人って人間的にしっかりした人が多いし、自然と周りに人が集まっている気がする。
【自分の欲望に素直=自分を持っている】
と言っても過言ではないと思う。そういう人って表情が生き生きしてるよね!目が違うんだよね。キラッキラしてる。
恥ずかしい話だが、私は自分の欲望に素直になれないクセに人から認めてもらいたいという欲求だけは人一倍強いのだ。悲しい人間だ。
欲が無ければ生きていけない
けれど、欲望が無くなってしまったらどうなるのだろう?そんな人間いないか(笑)
働く理由というのは人それぞれだけど、根本的に「お金が欲しい」という理由があるはずだ。自分のエゴの為に仕事をする人なんてきっと少数派だと思う。
欲望を満たすためには少なからずお金が必要になってくる。
お金を手に入れる手段は様々だけど、多少なりとも自分の時間を割いているはずだ。
時間は誰でも平等に与えられるが、どう使うかは人それぞれ、しかし時間には限りがある。
時間に限りがある、つまり命にはタイムリミットというものがある。
冷たい人間と思われても仕方ないが、私は命をどう使おうが本人の自由だと思ってる。 自分の意見を人に強制する権利も無いし、そこまで他人の生き方に干渉もしたくない。
欲望が無くなった時、生きる意味を見い出せなくなるのかな?生きる事に絶望した時も同じか。
でも、自分の気持ちに素直に生きた方が絶対楽しいよね。どうせなら人生満喫したいよね。もっと欲望に素直になりたい。「明日が楽しみ」と感じながら眠りについてみたい。
最後に
なんか訳わかんなくなっちゃった(笑)
でもこうやって自分の気持ちを文書にして表現する事は少なからず欲望に素直になっている事だと思うので、昔の自分よりはだいぶ前進したと思ってます。
たまに訳分からない事書いちゃう時もあるけど.....これからもよろしくお願いします。
貴重な時間を頂きありがとうございました。