目次
- 社会のつまはじき者たちを描いた曲
- ミドリカワ書房/銭湯の思い出
- 刺青のおじさんと「人生を語らず」
- フラワーカンパニーズ/この胸の中だけ
- 受刑者たちが振り返る30年前の自分
- 甲州街道はもう夏なのさ / Lantern Parade
- 清志郎と大貫妙子の歌が作り出す重層的なイメージ
- アジアの汗/寺尾紗穂
- 「過激すぎる」と、歌詞の削除を迫られた
- おわりに
社会のつまはじき者たちを描いた曲
レコード会社は日々、所属アーティストたちをコントロールしようとしている。こういうフレーズはふさわしくないから外せだの、ギターソロが長すぎるからカットだの。
それで聴きやすい言葉を並べただけの、面白くない曲が大量に生産される。でも現実ってそんな明るいことばっかりか?
J-POPを馬鹿にしてる(俺を含めた)ひねくれ者たちには、もっとリアルな歌詞が響くのだ。今日ご紹介するのは社会のつまはじき者たちに焦点を当てた曲たち。爽やかに愛だの恋だの言ってるだけの曲なんかよりも、俺は好きだ。聴いていってほしい。
ミドリカワ書房/銭湯の思い出
子供の頃のぼくは銭湯で、背中に「キレイなカッコイイ絵」が書いてあるおじさんに出会う。
男らしいおじさんを父に持つ「女の子」とそれを羨む「母子家庭」のぼく。そして23になる春におじさんは本当の・・・。
レゲエタッチで語られる物語。
刺青のおじさんと「人生を語らず」
ヤクザ者であろうおじさんが歌うのは、吉田拓郎の「人生を語らず」。
色々あったと背中で語るおじさんは、決して人生を語らない。おじさんの歌は若者の背中を押す歌でもあった。
おそすぎる事はない 早すぎる冬よりも 始発電車は行け 風を切ってすすめ
目の前のコップの水を ひと息にのみほせば 傷もいえるし それからでもおそくない
届かないものを諦めるな。でも急がば回れ。夢追い人の指針となれる曲だ。
子供の頃のこういう思い出、誰だってあるでしょう。親に保護された平和な場所から、垣間見る大人の世界。親が本棚に隠してたエロ本、公園から聞こえる嬌声、迷い込んだ風俗街、祭り屋台のおっちゃんには小指が無かった。そんな経験を積み重ねて成長してきたんだ。
フラワーカンパニーズ/この胸の中だけ
MVに描かれるのは刑務所。色々な事情で受刑者になった人たちに、30年前の自分と出会う歌が重なる。これもレゲエ調。
「消えぞこない」という本を出すほど、売れずにここまで続けてきたフラワーカンパニーズ。今年で結成28年。幸せとは「夢中になれるものを持ってること」だと言う、自分には一体何があるだろう。
受刑者たちが振り返る30年前の自分
誰だって自分がなりたかった大人にはなれない。そういうもんだと思う。MVはコミカルだけど、犯罪者だってみんながみんな理解の及ばない思想犯やシリアルキラーじゃない。
どこかで道を間違えてしまう切なさ。心の中にいつまでもいる少年の自分。人間味に溢れたMVだと思う。
甲州街道はもう夏なのさ / Lantern Parade
美しいビートにのせられるのは、「美しい月明かり」と「職務質問」。理想と現実の対比。
清志郎と大貫妙子の歌が作り出す重層的なイメージ
このタイトルは忌野清志郎率いるRCサクセションの「甲州街道はもう秋なのさ」のオマージュだろう。何かに裏切られた男が、物悲しい秋の甲州街道を駆ける。抑えられた感情が爆発する名曲。
Lantern Parade(ランタン・パレード)が見せる先達へのリスペクト。この曲も晩夏の様相で、秋の気配が漂っている。
職務質問は、「お前は社会不適合者か?」と疑い、その印象を決め付けるものだ。だからこそ清志郎なのだろう。周りから誤解される生き辛さ。パンクロックは、そして清志郎はその辛さを歌い続けた。
サンプリングは大貫妙子から
この曲のサンプリング元(イントロを抜き出してビートにしている)は大貫妙子の「くすりをたくさん」。職務質問をされた語り手は、警察に「変なくすり」をやってないかを疑われる。
アジアの汗/寺尾紗穂
「おじさんは土方さん。怪我した土方さん。」と衝撃的な歌詞で始まる同曲。
アジアのどこかの国から来たおじさんは生活保護で暮らす。政治的な主張とかじゃなく、ただ出会ったおじさんについて感じたことを素直に書いたのだろう。ユーモラスなメロディーから、おじさんの誇らしさを代弁するサビ、そしてラストに残る切なさ。
おじさんと都会の高層ビル群を活き活きと切り取った良曲だが、世間の目は厳しい。
「過激すぎる」と、歌詞の削除を迫られた
土方や生活保護、過激な文言はメジャーレーベルからは出せないようで、歌詞の一部削除を迫られた。
4th Album『残照』には該当箇所を無音にした「アジアの汗 Controlled Version」が収録された。寺尾紗穂の無念が伝わって来る。
そしてインディーズでシングルとして、歌詞削除なしのオリジナルが発売された。そのタイトルは『放送禁止歌』。同じ理由で歌詞を削除させられた「家なき人」も収録。ほんとにかっこいい人だ。
おわりに
単に話題になりたいから過激な歌詞を書くわけじゃないだろう。レーベルだって非協力的だろうし、自主制作みたいな形でしか発売できないし。
それでも書かなきゃいけなかった。売れるために自分の表現を犠牲にできる人とできない人。どう考えても彼らは後者だ。
こういう歌詞で多くの人に売れるわけが無い。でもこっちが本当の表現者の在り方なんじゃないかと思う。みなさんはどうお考えでしょうか。
それでは。