【9月30日 東方新報】終戦後に中国大陸から引き上げる日本人を描いた中国人画家、王希奇(Wang Xiqi)さん(57)の展覧会が東京で始まったことを記念して、「芸術で如何に歴史的記憶を表現するか」と題したシンポジウムが28日、東京・千代田区の城西大学(Josai University)で開かれた。

 王氏が、7年近い歳月をかけて完成させた『一九四六』。灰色の海が広がる港で、引揚者の日本人たちが帰国する船に向かって歩いている。小さな子どもの姿も多く、母親に抱えられている乳飲み子もいる。疲れた表情や、無表情の人たちが、高さ3メートル、長さ20メートルの作品の中を黙々と歩いている。

 テーマは、中国・遼寧省(Liaoning)葫藘島港(Huludao)からの、105万人を超える日本人の大送還。2011年から7年近い歳月かけて完成させた。

 王氏は、遼寧省錦州市(Jinzhou)生まれ。葫藘島港からもそう遠くない。「1946年の冬、港は日本人でいっぱいだった」と祖父から聞かされたことがあったという。絵を描くきっかけになったのは、ある1枚の写真だった。写真には、骨つぼを抱える幼い日本人の子どもが写っていた。何もわからない様子で骨つぼを持っていて、「子どもに罪はないのに」と胸が痛くなった。「このように分散した写真はどれも、心の中の記憶であり、後世に伝えていく必要があると感じた」。中国では日本人引揚者のことはあまり知られておらず、「だからこそ絵に残したいと思った」と絵筆をとったという。作品には、制作のきっかけとなった骨つぼを抱えた子どもの姿も描いた。

 この日のシンポジウムには、引揚者の関係者も多く参加した。主催した城西国際大学の杉林堅次(Kenji Sugibayashi)学長は、父が引揚者だった。杉林学長は「絵の中の人たちはどれも無表情で、同じような顔のはずなのに、1人1人個性があり、ドラマを感じた」とあいさつ。絵の中に当時の父もいたのかもしれないと感慨深く絵を鑑賞したという。

 また、元文化庁長官の青柳正規(Masanori Aoyagi)東京大学名誉教授は、終戦前年の1944年、大連市(Dalian)で生まれた。青柳教授は「まだ1歳か2歳というちっぽけな存在だったので、はっきりとは覚えておりませんが」とした上で、「戦後の混沌と、平和へ移行する接点の時代。現代や未来に伝えていくには、写真だけでもダメ、言葉だけでもダメ、映像だけでも足りない。複雑な感情を凝縮するという特別な表現、それが『芸術』なのではないか」と語った。

 王氏は、人物を描くとき、その人と心の中で対話をするという。「どんな想いなのか、どんな夢を持っているのかなど、真剣に向き合った。今目を閉じても彼らが思い浮かぶ」と話す。7年間も極限の状況に置かれた生命と向き合って来たので、「しばらく人間は描きたくない」と本音も漏らしたが、今回の展覧会で作品が日本に運ばれることになり、「7年間も向き合ってきた絵を手放すのが少しさみしいと感じた」。

 展覧会は、東京都港区新橋の東京美術倶楽部で10月5日まで。開館時間午前10時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)。入場1000円(高校生以下は無料)。

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