ミシェル・オバマからの率直なメッセージ
先日、ミシェル・オバマ前大統領夫人の話を聞いた。
会話の中で、女性が女性らしくではなく、自分らしく生きるためにどうしたらいいか、ということについて、とても重要なメッセージがあったので、そのことを考えてみたい。
毎年、ボストンで就職したいランキング1位を獲得するマーケティング・ソフトウエア会社HubSpotが主催するカンファレンス「INBOUND」では、多くの著名な人物が招かれてユニークな講演やトークを提供する。
今年の目玉は9月27日のミシェル・オバマ前大統領夫人だった。
早朝から並んで良い席を確保した私の前には20代後半から30代とみられる黒人女性3人組、背後には若い女性数人のグループが座った。
みな、ミシェルが登場する1時間以上前から興奮していた。背後からは「オーマイゴッド、オーマイゴッド、ミシェルのトークを聴けるなんて!」というはしゃぎ声が聞こえる。隣の席にいる30歳前後の若い男性と私は、『すごい雰囲気だね』という感じの笑い混じりの視線を取り交わした。
イベントは講演ではなく、談話だった。『Bad Feminist(バッド・フェミニスト)』や『Hunger』などのベストセラーで知られる黒人女性作家のロクサーヌ・ゲイが質問し、ミシェルが答えるという形式だ。そのせいか、ミシェルの発言は、これまでよりさらに歯に衣着せぬ率直さがあった。
「ヒラリー・クリントンへの反対票を投じた女性は、自分自身の声に反対票を投じたことになる」
ミシェルがこう語ったとき、前の席の若い黒人女性は立ち上がって「そのとおり!」と拳を振り上げ、会場は拍手喝采で湧いた。そして、私はこの瞬間『これは、ぜったい明日のニュースの見出しになる』と思った。
そして、同時に「いつものごとく、メディアは文脈を無視して、ここだけを抜き出して広めるのだろうな」という不安も抱いた。
予想通り、翌朝にはCNNをはじめ、多くの主要メディアがミシェルのトークをニュースにした。そして、やはりこの部分を強調していた。
ミシェルは、上記の発言の後、このように続けた。
「(ヒラリーとトランプという)二人の候補者を見て、女性である私たちの多くが『あの男性の言っていることのほうが正しい。彼のほうが自分にとって良い』と思ったということには、女性である私たちにとってどんな意味があるのでしょうか?
(トランプに票を投じた女性は)自分自身の内なる声(考え)が好きではないということだと思います。好きになるよう他人から教えこまれたことが好きだということです」
私がこれを聞いた瞬間、様々な思いが頭の中を駆け巡った。
私たちは、「自分自身の考え」を押さえ込んでいるうちに、「他人から教えこまれたこと」に縛られてしまうものだ。
私を含め、自身と他者の声の相克に悩まされて落ち込んだことがある女性は少なくないだろう。それだけでなく、女としての自分の生き方を肯定するために、ほかの女性の言動をつい非難したくなることも。
「野心的な女」をヘイトする女性たち
ミシェルのこの見解は、フェイスブックの最高経営責任者シェリル・サンドバーグが書いた『LEAN IN(リーン・イン) 女性、仕事、リーダーへの意欲』のテーマとも重なる。
アメリカでも「仕事上の野心」は女性にとって否定的な要素であり、多くの女性は、「女はこうあるべき」という周囲からのイメージに合わせようとするうちに自分の声を見失ってしまう。
そして、「野心的な女」を見ると、そういった女性を攻撃する男性と同じように嫌悪感を抱くようになる。
大統領選挙を取材しているとき「ヒラリーは嫌い」という女性からの意見もよく耳にしたが、そのほとんどが白人女性だった。
若い女性の場合は「ヒラリーはウォール街や大企業のまわし者」と主張するサンダース支持者が多く、高齢層の場合は「ともかく嫌い」という曖昧なものが多かった。
私の義母は典型的な後者だ。
近年の共和党は中絶反対派が主流だが、義母は「全米家族計画連盟」に寄付していることを誇りにしている東海岸の裕福な高齢層の女性に多いタイプの共和党員だ。彼女やその友人たちは、「女の身体のことを男が決めるなんて傲慢!」と、男性によって女性が支配されてきたアメリカ社会を嘆いてきた。
義母が私に何度も語った逸話がある。
義父がハーバード大学のビジネススクールに入学した1950年代後半、教授が学生の妻たち(多くの学生は新婚ほやほやだった)を集めてこう講義したという。
「君たちの夫は、社会にとって重要な仕事をしなければならない。君たち妻の仕事は、伴侶が仕事をしやすいような環境を整えること」
妻たちの多くは、名門女子大で学んだ才媛だった。義母は、この話をするたびに、「女には男のような頭脳はないと決めつけて馬鹿にしている」と昨日のことのように憤る。
ところが、昨年の大統領選挙が近づいてきた頃から、長男である私の夫に電話して「誰に投票するか決めていない。どうしようかしら」と相談しはじめた。私にも、「トランプはめちゃくちゃなことを言うけれど……。でも、ヒラリーは嫌い。友だちもみんな嫌いだって言っている」と繰り返す。まるで、あらかじめトランプに投票する言い訳をしているようだ。
そこでヒラリーを嫌いな理由をたずねたところ、義母は吐き捨てるように言った。
「クッキーを焼く女を馬鹿にして……。それに、なによ、あのヘアバンド!」
彼女が怒っているのは、ビル・クリントンが大統領候補になった1992年にヒラリーがテレビ取材に応じて炎上した有名な事件のことだ。
「家にいてクッキーを焼いてお茶を飲んでいることもできたかもしれないけれど、私はプロとして働くほうを選んだ。それは、夫が政治の世界に入る前からやっていること」と答えて大炎上した事件がいまだに尾を引いているのだ。
ヘアバンドとは、当時マスメディアが揶揄したヒラリーのヘアスタイルのことだ。
黒人女性の94%がヒラリー、白人女性の53%がトランプに投票した
「男は女の能力を過小評価して馬鹿にする」と怒りながらも、義母たちは、自分が批判してきた男性の視線でヒラリーを批判しているのである。そして、そんな自分たちの矛盾に気付いていない。
冒頭の談話でミシェルが語った、「自分自身の内声(考え)が好きではない」、「好きになるように教えこまれたことが好き」という現象がまさにこれだと思った。
興味深いのは、昨年の大統領選で黒人女性の94%がヒラリーに投票したのに、白人女性の53%がトランプに票を投じたという現実だ。
その理由を考えてみた。
黒人女性は、「女性」+「マイノリティ」というアメリカで最も差別されやすい立場にいるから、差別を忘れることはできないし、それに抗う努力も人一倍しなければならない。
だが、白人女性は支配階級である白人男性に迎合することで(たまに文句を言っても)楽に生きる道が選べる。その差が義母の態度やこの数字に出ているのかもしれない。
オバマ大統領夫婦は、ミシェルが談話で語ったように、これまでホワイトハウスで過ごした誰よりも、不当な批判や攻撃を受けてきた。
どちらの党の大統領でも、重要な場面では党を超えて議会が協力するのが慣わしだった。それなのに、オバマ大統領のときには共和党は徹底的に協力を拒んだ。リベラルのメディアも、歴代も大統領にくらべて欠陥が少ないオバマ大統領に対してハードルが高かった。
「今は信じられないほどハードルが低い」とミシェルは冗談交じりに語ったが、その不公平さについて、メディアは都合よく口をつぐんでいる。
女性として、黒人として、黒人として初めての大統領夫人として、あまりにも多くの不公平な扱いを受けてきたミシェルだが、まったくブレない強さとユーモアのセンスを持ち続けていることに驚く。
ヒラリーらしいヒラリーとは?
ミシェルが外部からの理不尽な攻撃にも尊厳を失わずに行動できるのは、「自分らしくある」ことに徹しているからだ。
しかし、それができるのは、50歳を超えた「マチュリティ(成熟)」があるからこそだという。つまり、長年の体験で成熟したからできることであり、そこに到達する前にソーシャルメディアで攻撃される現在の若者には難しいことだ。それもミシェルは心配している。
ミシェルの「自分らしさ」は、ユーモアのセンスからも感じられる。
普通人からいきなり大統領一家になるクレイジーさを説明する話もおもしろかった。
これまで住んでいた家からゆっくりホワイトハウスに移るのではなく、1日でいきなり引っ越しするのだという。残された家は、戦争かなにかで突然家族が消えたような様相でそのまま8年間ほったらかしになる。
そして、ホワイトハウスから去るときも同様だ。その日のうちに前大統領一家は出て行き、次期大統領一家が移り住む。それなのに、ホワイトハウス最後の夜に娘たちが友だちを「お泊り」に招いたというのだ。よりにもよってそんな慌ただしいときに、そこでミシェルは、「マジ? 明日はトランプたちがやってくるのよ」と呆れて答えた。
会場は大爆笑だ。
ミシェルは、翌朝は涙ながらに(しかも大慌てで)娘の友だちにハグして別れを告げ、またも大慌てで涙を拭って新大統領一家を迎える用意をした。
「そのまま出ていったら、違う理由で泣いていると思われるものね」と、読者ウケを狙ったゴシップを流すメディアの傾向も笑い飛ばす。そんなミシェルの自分を偽らない素朴さはとても新鮮で魅力的だ。
「私はこのとおりの人間」と言い、「自分ではない人を演じる」必要は感じないという。必要にかられて無理に自分ではない人を演じている政治家への同情心も語ったが、それはもしかするとヒラリーのことかもしれないと思った。
たぶん、ヒラリーらしいヒラリーとは、「家でクッキーを焼いているより、社会に直接影響を与える仕事をしたい」という野心を抱く、ワーカホリックだと思うのだ。
これが男性政治家(当時のヒラリーは政治家ではなく弁護士だが)の姿勢なら、当然のこととして受け止められるはずだ。
なのに、なぜ、私たち女性は、自分とは異なる女性を受け入れてあげることができないのだろう?
なぜ、自分とは異なる女性に対して脅威や反感を抱いてしまうのだろう?
それが、ミシェルの疑問であり、私たち女性はそれにしっかりと答える必要がある。
義母の年代の女性にはもう手遅れかもしれないが、男女にかかわらず、家でクッキーを焼くか焼かないか、野心があるかないかで人の価値を判断したくなったら、深呼吸して本当にそれが自分の求めていることなのか考えてみるといいかもしれない。
衝動的な対応をしたくなったときに私が心がけていることだ。
自分が押し付けられてきたステレオタイプで他人を評価したくなるときにも、深呼吸してみる。
若い頃の私にはこれができなかったけれど、今はやりやすくなった。それがミシェルのいう「成熟」というものかもしれない。
深呼吸して落ち着いたら、できることであれば、「自分らしくあること」と「尊厳を持って生きること」を次の世代に伝えていこうではないか。