関ヶ原の戦い「よく聞く通説」はウソだらけだ

「裏切りの理由」「徳川秀忠遅刻の原因」も?

また、「優柔不断な小早川秀秋に、家康は問鉄砲で裏切りを催促した」というよく聞く俗説も、揺らいでいます。

小早川秀秋への「問鉄砲」はなかった

【定説4】優柔不断な小早川秀秋に、家康は問鉄砲で裏切りを催促した

戦闘開始後、数時間が経過してなお東軍への寝返りを決行しようとしない小早川秀秋に対し、業を煮やした家康は秀秋の陣に「問鉄砲」を撃ちかける(大砲を撃ちかけたという説もあり)と、これに恐怖した秀秋はついに寝返りを決意し、戦いは一気に決着する──この場面は、まさに関ヶ原の戦いのクライマックスです。

ただ、当時の記録には問鉄砲についての記述は見当たらず、宣教師の記録には秀秋は「開戦と同時に」家康方についたと記されたものもあります。

【定説5】島津義弘は、退却時に家康本陣を中央突破して武力を誇示した

義弘は三成の命令に反して終始陣を動かず、最後は島津の武力を誇示するために正面の家康本陣に突撃し、そのまま中央突破で戦場を離脱して、薩摩へ帰国したとされています。

これらについては、戦後まとめられた島津将兵による証言等から、①義弘勢はもともと少数兵力だったため、二番備(にばんぞなえ)と呼ばれる予備兵力の役割だった、②後方の退路が潰走する味方と追撃する敵軍でごった返していたため正面突破を選んだ、③伊勢方面を目指したためたまたま家康の本陣前をかすめる形になった、などが真相のようです。

次ページ悪者だったのは家康のほう?
関連記事
トピックボードAD
人気連載
トレンドライブラリーAD
  • コメント
  • facebook
0/400

コメント投稿に関する規則(ガイドライン)を遵守し、内容に責任をもってご投稿ください。

  • NO NAME79d39d690ce4
     定説1~6、大河ドラマ等で面白く描いている逸話のようなもので、もともと「定説」として教科書で教えている内容ではないのではないか。どれも著者が後段に記述している話のほうが歴史書(歴史の大学教授が著者の文庫)で一般的なように思う。
     ここでは、大衆向けの印象操作、フェイクニュースは江戸時代から盛んであったこと、NHKドラマを安易に信じてはいけないこと、といった論点ではないか。
    up15
    down3
    2017/9/30 09:14
  • NO NAME6fe38d2a7a07
    キリスト教宣教師の記録といっても秀吉による追放後だし、戦場に行けるわけもないし、生の情報を得られる地位にあるとも思えない。
     商人あたりからの伝聞情報だし、キリスト教信者には異様に甘かったり偏向が酷い。
    それを信用するならその根拠を示すべき。
    up10
    down4
    2017/9/30 09:53
  • NO NAMEe3602c573c3b
    小早川はそもそも内通してて初めから東軍だったって通説ですよね。現場で裏切った他の武将は処罰されてますし。
    光成が謀反とか初めて聞きました。
    秀忠遅参は真田の足止めがあったけど、天候不順と早期開戦でどう頑張っても無理だったという定説ですよね。
    島津さんちは一番逃げられそうなとこ突っ込んだだけでしょ、ただ普通の人は正面突破を考えるほど肝が据わってないだけで。

    あれ、ほとんど定説が定説じゃねぇや。
    up1
    down1
    2017/9/30 12:39
  • すべてのコメントを読む
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • いいね!
トレンドウォッチAD
ビームスの流儀

1976年に創業し、90年代の渋カジブームを牽引したビームスが今も元気だ。創業以来赤字知らず。40年、最先端を走り続けられる秘密は何か。設楽洋社長への独占インタビューを掲載。