関ヶ原の戦い「よく聞く通説」はウソだらけだ

「裏切りの理由」「徳川秀忠遅刻の原因」も?

関ヶ原古戦場の様子。いまから417年前、ここで「天下分け目の決戦」が行われた(画像:PJ / PIXTA)
関ヶ原の戦いは、いまや映画やドラマでもおなじみだ。
石田三成と徳川家康、東西の両雄によるこの一大合戦は、有名な小早川秀秋の裏切りなど、参加大名による数々のエピソードでそのストーリーが彩られ、単なる戦いではなく壮大な人間ドラマとしても広く語られている。
しかし、近年ではそれらの「虚構性」を指摘する研究者も多い。
「日本史を学び直すための最良の書」として、作家の佐藤優氏の座右の書である「伝説の学習参考書」が、全面改訂を経て『いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 教養編』『いっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編』として生まれ変わり、現在、累計20万部のベストセラーになっている。
本記事では、同書の監修を担当し、東邦大学付属東邦中高等学校で長年教鞭をとってきた歴史家の山岸良二氏が、「関ヶ原の実像」を解説する。

揺らぎ始めた「関ヶ原」の神話

『いっきに学び直す日本史』は「教養編」「実用編」合わせて20万部のベストセラーになっている(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

慶長5(1600)年9月15日、美濃国関ヶ原(岐阜県関ケ原町)を舞台に繰り広げられた、徳川家康率いる東軍、石田三成率いる西軍、合わせておよそ16万の軍勢が激突した「関ヶ原の戦い」は、豊臣秀吉没後の政治の主導権をめぐる「天下分け目の戦い」としてもよく知られています。

現代でも、この戦いは映画やドラマでたびたび再現され、三成打倒で東軍が結束した小山評定(おやまひょうじょう)、西軍必勝の鶴翼(かくよく)の布陣、家康の問(とい)鉄砲に裏切りを決断する小早川秀秋など、数々の名場面に彩られる、まさに「史上空前の大合戦」として描かれています。

さらに、戦いについての詳細な解説本も多数出版されており、古戦場となった関ヶ原は観光名所として歴史ファンが全国から訪れる人気ぶりです。しかし、実は近年の研究により、実際の戦いの様子は従来の認識とは異なることが次々と明らかになってきました。

今回は、最新研究により解明された、関ヶ原の戦いの実像について解説します。

次ページついに関ヶ原の虚構にメスが入る!
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  • NO NAME79d39d690ce4
     定説1~6、大河ドラマ等で面白く描いている逸話のようなもので、もともと「定説」として教科書で教えている内容ではないのではないか。どれも著者が後段に記述している話のほうが歴史書(歴史の大学教授が著者の文庫)で一般的なように思う。
     ここでは、大衆向けの印象操作、フェイクニュースは江戸時代から盛んであったこと、NHKドラマを安易に信じてはいけないこと、といった論点ではないか。
    up15
    down3
    2017/9/30 09:14
  • NO NAME6fe38d2a7a07
    キリスト教宣教師の記録といっても秀吉による追放後だし、戦場に行けるわけもないし、生の情報を得られる地位にあるとも思えない。
     商人あたりからの伝聞情報だし、キリスト教信者には異様に甘かったり偏向が酷い。
    それを信用するならその根拠を示すべき。
    up10
    down4
    2017/9/30 09:53
  • NO NAMEe3602c573c3b
    小早川はそもそも内通してて初めから東軍だったって通説ですよね。現場で裏切った他の武将は処罰されてますし。
    光成が謀反とか初めて聞きました。
    秀忠遅参は真田の足止めがあったけど、天候不順と早期開戦でどう頑張っても無理だったという定説ですよね。
    島津さんちは一番逃げられそうなとこ突っ込んだだけでしょ、ただ普通の人は正面突破を考えるほど肝が据わってないだけで。

    あれ、ほとんど定説が定説じゃねぇや。
    up1
    down1
    2017/9/30 12:39
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