NNNドキュメント17「洋次郎の4000日~“ヒロシマ”バーテンダーの遺言~」
2017年10月1日(日) 25時00分~25時30分 の放送内容
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最終更新日:2017年9月29日(金) 22時30分
番組詳細説明(内容)
【見どころ】
広島市の繁華街にあるBAR「スワロウテイル」バーテンダー冨恵洋次郎さん(被爆3世)は、店で11年以上“被爆証言を聞く会”を開いてきた。なぜ、酒や会話を楽しむバーでやるのか?
バーテンダーとは「カウンター越しに目の前の人へ優しさを与える仕事」と語る。
今年1月肺がんのステージ4と診断され余命2か月余命宣告を受けた後もこの会を続けてきた。11年の歳月の中で同世代の若者に広がってきた洋次郎の思いに迫る。
【内容】
祖母が被爆者である冨恵洋次郎さんは1978年生まれの被爆3世。
広島で生まれ育ちながら子どもの頃、原爆と向き合わなかった。
バーで仕事を始めた頃、客から出身地を聞かれ「広島」と答えると「原爆がうつる」と思わぬ言葉が返ってきた。相手を責めるほど原爆を知らなかった。
この出来事が「原爆について知りたい」と思うきっかけになり、“被爆証言を聞く会”の原動力になった。
会は、原爆投下の8月6日を忘れまいと毎月6日の夜に開いてきた。
しかし、今年1月肺がんのステージ4と診断され余命2か月の宣告を受ける。
バーテンダーとは「カウンター越しに目の前の人へ優しさを与える仕事」と語り
余命宣告を受けた後もバーテンダーとしての誇りを貫き“被爆証言を聞く会”を続けた。なぜそこまで続けることにこだわったのか。
7月3日、病状が急変し37歳で永眠。
今年8月。彼の亡き後も“被爆証言を聞く会”は開かれた。
なぜ洋次郎さんは被爆者の人生を語り継ごうと思ったのか。
そして証言を聞いた人たちは…。洋次郎さんの不屈の思いに迫る。
ナレーター萩原聖人 広島のバーテンダーが11年前にバーで始めた被爆体験を聞く会。なぜバーで被爆体験? がんで余命宣告を受けながらもこだわり続けてきたこととは?
出演者
ナレーター萩原聖人
番組内容
広島市内のBAR「スワロウテイル」、バーテンダーの冨恵洋次郎さん(被爆3世)は2006年2月から毎月6日に「被爆体験を聞く会」を始めた。なぜ酒や会話を楽しむバーで“原爆の話”なのか?当初は常連客中心だったが、参加者は口コミで広がっていった。しかし今年1月、肺がん診断され、余命2か月と告げられる。それでも「聞く会」を毎月続ける洋次郎・・・洋次郎がこだわった事、それは…。
監督・演出
糸永直美
制作
広島テレビ放送
その他
- 属性情報?
-
- ジャンル
- ドキュメンタリー/教養 - ドキュメンタリー全般 ニュース/報道 - 特集・ドキュメント
人物情報
出典:日本タレント名鑑(VIPタイムズ社)(外部サイト)
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