2017-09-30

容姿がよかったら政治経済など気にしない

田舎のソコソコ高い温泉宿に泊まった。

そこの近くには棚田景勝地としてある。

海と山しかない場所に何とか棚田を切り開きコメを作りたいという昔の人間の執念を感じた。

その帰りに某地方都市に寄った。

そこは現代美術館が有名なので、少し見てきた。

見てきたと言っても五分程度である

展示物は何も見ていない。

何故かと言えば、大量の人がいたかである

地方都市全体に若い女がたくさんいたのだが、美術館にはもっといた。

そこで考えたことがある。

彼女たちは比較容姿が良かった。

セックスには困らない程度以上の人間が大半である

彼女たちが現代美術をどのように受容するのかは不明である

しかし、彼女たちが政治経済について考えている様子は浮かばなかった。

ヤフーニュース芸能のところを見ている様子はすぐに浮かんだ。

なんというか消費者スタイルという雰囲気を感じた。

ポピュリズム政党が隆盛を極めている理由というのはこういうものなのかもしれない。

あぁ、なるほど。

セックスが出来たら自分は悪い頭で難しいことなんか考えない。

楽しく消費して踊るのだ。

そして、うまく適合できるのだろう。

とりわけ容姿がいい女なら、ファシズムコミュニティでもネオリベリベラルその他諸々どんなコミュニティでも自分価値がある。

誰かがやってくれるし、どうでもいいのだ。

自分容姿が醜い男だから政治経済を妙に偏屈気持ち悪く気にするのか。

楽しく消費できないし、誰とも踊れない。

自分あんな顔のいい女だったらこなうんざりするものに興味はない。

そういうことなのだと美術館で思い知らされた。

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