聖徳太子建立の寺院宿坊の宿・竹林院群芳園に宿泊(前編)

f:id:tmja:20170929084519j:plain

お墓参りの前泊として、奈良県吉野・上千本にある「竹林院群芳園」さんに宿泊させて頂きました。自分が幼少の頃に家族で宿泊した事があり、おそらく2度か3度目の訪問になると思われます。

f:id:tmja:20170929084527j:plain

近鉄阿部野橋から吉野駅に到着すると、ロープウェイは春から故障で運行していないとイキナリ知る事になりました。ちょうど代行バスが来ていたにで尋ると、午後5時前で全てに運行は終わったとのでした...。

f:id:tmja:20170929084533j:plain

吉野には数多く訪れているので、吉野駅のひとつ前の吉野神宮駅に行けばタクシーがあると思い出しました。目の前に出発直前の阿部野橋駅行きが停まっていたので飛び乗り吉野神宮駅へ。

f:id:tmja:20170929084542j:plain

その後も色々あったのですが、幸運に恵まれて竹林院郡芳園に夕暮れ前に到着することができました。宿泊施設とは思えない佇まい。墓股の獅子が外からの来訪者を威嚇していました。

f:id:tmja:20170929084548j:plain

萎縮ししまいそうになる程に立派。昭和56年には天皇皇后両陛下のご宿泊の栄を賜った格式高い宿です。吉野滞在中に「竹林院さんに泊まって...」と言うと、一様に驚いた表情をされる程に吉野でも一目置かれている場所だったりします。

突き当たりに見える小さめな建物がおそらく本来の入口だった場所/クルマ寄せのように見え、掛けられている扁額には「竹林院」とありました。

f:id:tmja:20170929084426j:plain

掛かっている板を見ると「御泊所」とあり、ここが宿坊なのだと分かります。現在でも修験道者用部屋があるとのことで現役だとか。ウィキペディアによると、常楽山・竹林院は千年優に超える歴史ある寺院で、祀られている創立者・聖徳太子坐像は南北朝時代のものだとか...。

寺伝によれば、聖徳太子が開創して椿山寺と号し、その後弘仁年間(810年~824年)空海が入り常泉寺と称したという。1385年(至徳2年/元中2年)に竹林院と改められた。戦国時代の院主尊祐は弓道に優れ一派をなした。明治初年の神仏分離に伴い1874年(明治7年)廃寺となったが、その後天台宗の寺院として復興、第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)現在の修験道系統の単立寺院となった。

f:id:tmja:20170929084621j:plain

吉野杉の見本市のような空間。広い玄関で出迎えを受けて、記帳後に館内の説明と案内を受けながら部屋へと向かいました。

f:id:tmja:20170929084625j:plain

ロビー横にあった応接間。ここに座ると襖に描かれた虎に睨まれているようで、あまりり座り心地は良くない感じるがしました。

f:id:tmja:20170929084618j:plain

1594年に太閤秀吉が吉野山で花見をした時に使用された茶弁当がさりげなく置かれています。千利休考案。

その後ろには狩野元信の「夏冬芭蕉」。室町時代の狩野派の始祖・狩野正信の長男にして狩野派2代目頭領。この屏風絵でマイバッハが数台買えます。すみません、1日で消費できる美術の脳内キャパ越え間近…。

f:id:tmja:20170929084633j:plain

ロビーと部屋の移動の途中で必ず目を合わせる事になった寒山拾得。「伝唐画木渓筆」とあり作者未確定であるものの、非常に見られている感があるので防犯上で役に立っているものと推測中。何故か気に入ってしまい、我が家にも一幅欲しくなりました。

f:id:tmja:20170929084637j:plain

「与謝野鉄幹・晶子 歌及書状」。与謝野晶子が逗留時に使用した文机が一緒に展示されていました。

f:id:tmja:20170929084646j:plain

玄関を入ったところです。扉を開けた瞬間に畳の匂い。正面の観音扉を開けると洗面台が入っており、右手には浴室/トイレがあります。 

f:id:tmja:20170929084316j:plain

 火を付けずに、暗い中で正面の扉を開けたところ、和式便所だったので危うく足を突っ込みそうになってしまいました。和式と洋式の双方がひとつの部屋にあるのを見たのは初めてな気がします。

f:id:tmja:20170929084650j:plain

旅館の部屋の広縁でみる向かい合う2脚の椅子とテーブルが廊下?に置かれていました。右手に4.5畳の控え室があり、12畳の客室が奥にある構成です。 

f:id:tmja:20170929084653j:plain

1人では勿体無い広さ。床の間隣にシャープ製テレビが鎮座しているのが分かりますでしょうか? テレビを普段から見る習慣ないので、翌朝そこにテレビがあるのに気がついて独り驚いてしまいました。

f:id:tmja:20170929084248j:plain

瓦煎餅と桜の木の皮で作った茶筒にコースター。灰色の入れ物は西吉野名産の柿を模した?と思うも違ったようです…。

f:id:tmja:20170929084324j:plain

大浴場が複数ありですので、浴衣とタオル大小もキチンと準備さてています。30歳ぐらいまでは着慣れず苦手だったのですが、最近は年輩の男性の粋な帯結び方見て、感心したり、真似してみたりするようになりと少し成長したようです。

f:id:tmja:20170929084552j:plain

宿泊者は群芳園入場は無料と聞き、スーツ&革靴のままで門を通り入園。目の前現れたのが竹林院の護摩堂です。扁額には慈救殿、周辺には烏天狗と修験の場らしい修飾。この日は参拝だけして中には入らず、まず庭へ向かいました。

f:id:tmja:20170929084604j:plain

池の畔に大きな枝垂れ桜(天人之桜)があり、花の嵐が吹く季節にはどれ程かと思わせられる枝振り。大公秀吉が植えたとの説があるとか。絢爛の錦を競う紅葉には少し早く、少し中途半端な季節のようです。

竹林院第21代・座主祐尊が大峰山の景観を庭園に移したもを、秀吉の吉野山観桜の折に千利休が桃山風に改修して造ったものだそうです。与謝野晶子は「山の島 竹林院の竹泉を 楽しむ朝になりにけるかな」と詠んだとか。 規模こそ大きくないですが、桜の頃の華やかさを是非とも体感してみたいと思いました。

f:id:tmja:20170929084612j:plain

庭園内の階段をのぼり、高台に出て来ました。本館は茅葺きで50年に1度葺き替えられています。「吉野山こぞのしをりの道かへて まだ見ぬかたの花を尋ねむ」と西行法師が詠んだのは此処の丘だとか。

f:id:tmja:20170929084557j:plain

あちらを見ても、こちらを見ても歴史に埋もれてしまいそうな場所です。食前の散歩を程々で切り上げ、夕御飯を楽しみに丘を降りて来ました。写真にある障子が並ぶ場所が食事処なのですが、今回滞在では桃山風絢爛豪華な屏風絵に囲まれた部屋での食事となり、そこから後編に続きます。