左から、柴那典、スージー鈴木、大谷ノブ彦
大谷ノブ彦(以下、大谷) 今回は音楽評論家のスージー鈴木さんにゲストに来ていただきました!
スージー鈴木(以下、スージー) よろしくお願いします。
柴那典(以下、柴) スージーさんは最近『サザンオールスターズ1978-1985』という新書を出されたそうで。
大谷 昔から僕はスージーさんの文章、特にサザンについての話が好きで。だからこの本もめちゃめちゃおもしろかったですよ。
柴 これはタイトル通り初期のサザンについて書いた本なんですよね。
スージー はい。78年6月発売のファーストアルバム『熱い胸さわぎ』から、85年の『KAMAKURA』を出して一度活動休止するまでの、初期のサザン、バンドとしてのサザンについて考察した本です。
サザンオールスターズが残した日本語ロックの功績
大谷 なんで初期のサザンを題材に選んだんですか?
スージー まず一つ、個人的な好き嫌いで言えば、初期のサザンのほうが好きなんですよね。「みんなのうた」(88年)で小林武史がプロデューサーに入ってきてプロフェッショナルな音になる前、青山学院大学の洋楽好きな若者がわちゃわちゃやってる音が好きで。
大谷 「みんなのうた」って、曲名も皮肉めいてますよね。裏を返せば、それって桑田さんにとってのサザンが「俺の歌」じゃなくなったってことですから。
柴 それ以降は音楽への向き合い方も変わってきたという。
スージー そうですね。あともう一つは、日本ロック史の中で、初期サザンが成し遂げた功績があまり語られていないんですよ。ロックをビジネスとして確立させたという。そのことも書く動機でした。
柴 本の中でも書かれていますよね。はっぴいえんどが日本語ロックの創始者としてあまりにも「奉られすぎている」と。逆にサザンがあまりにも低く見積もられすぎている。
スージー 僕自身、はっぴいえんどは大好きでマニアと言ってもいいくらいなんですが、「日本のロックははっぴいえんどが確立した」みたいに言い切っちゃうのは、ちょっとバランスが悪いんじゃないかなって思うんですよね。
大谷 キャロルと矢沢永吉さんだっていましたからね。BOØWYなんてまさにキャロルの直系の系譜だし。
スージー そうそう。たとえば英語みたいな発音で日本語を歌ったり、歌詞の中に英語を入れたりするのは、キャロルのボーカル/サイドギターを担当していたジョニー大倉の発明なんです。
柴 日本語とロックの融合というところで言うと、桑田さんはどういう功績を果たしたんでしょう?
スージー 最大はあのヴォーカルスタイルですね。決して桑田佳祐さんだけが日本語のロックの歌い方を編み出したというわけではないと思うんです。桑田佳祐の歌い方にはキャロル時代の矢沢永吉の影響が色濃くありますし、吉田拓郎や柳ジョージ、荻原健一(ショーケン)の影響もある。ただ、その研ぎ澄まし方が見事だった。いろんなスタイルを取り入れて、あの声であの歌い方を完成させたことが一番大きな功績じゃないですかね。
大谷 スージーさんは『1979年の歌謡曲』の中でもサザンについて書いてましたよね。桑田佳祐さん以前以後で全く日本の歌謡曲の歌詞が変わって、80年代になったら意味のわからない歌詞がすごく増えたって。「恋かな Yes! 恋じゃない Yes! 」(早見優「夏色のナンシー」)とか。
スージー 「都会(まち)はきらめくパッションフルーツ」(杏里「CAT’S EYE」)とかもですね。
柴 たしかに。ツッコミ待ちの歌詞というか。
スージー サザンの「勝手にシンドバッド」というデビュー曲の曲名からしてそうですからね。沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンク・レディーの「渚のシンドバッド」という阿久悠の二大傑作をつぎはぎしてタイトルにしちゃった。当時、阿久悠はインタビューで「自分は意味にしばられてるから、意味のない歌詞で許される桑田くんがうらやましい」って言ってましたね。
柴 歌謡曲の歌詞から意味を剥奪したのが桑田佳祐である、と。
スージー そもそも《胸さわぎの腰つき》って、どんな腰つきかもわからない。
大谷 ははははは! そうそう!
スージー 桑田佳祐は矢沢永吉と同じく、メロディを作るときに一度デタラメ英語で歌って、そこに合う日本語を当てはめていくんですね。その結果として「いま何時? そうね だいたいね」という歌詞ができる。ほんとこの意味のなさはすごいですよ。訊かれた時間すら答えてないっていう(笑)。
大谷 でも不思議なのが、意味がないって言われながら、サザンの曲ってなぜか言葉が自分の中に残るんですよね。
スージー そうなんです。『勝手にシンドバッド』で見事だったのは「江の島が見えてきた」なんですよね。意味のわからない歌詞があっても、そこでくっきり情景が伝わってくる。
大谷 わかる! 車から江の島が見えてくる情景が浮かぶ。
スージー うまいですよね。
歌謡曲とはなんだったのか
柴 スージーさんって、歌謡曲に関しての本を2冊出してますよね。
大谷 そうだ。『1979年の歌謡曲』『1984年の歌謡曲』ですよね。
柴 僕はスージーさんに「歌謡曲とは何か」みたいな話を訊きたいと思ってるんです。まずなぜ歌謡曲の本を書こうと思ったんですか?
スージー 自分の定義では、歌謡曲って、「1億人を魅了するために金と時間と人をふんだんにつかった日本のポップス」なんですね。「売れなくていい」とか「一部の人間にわかればいい」とかじゃない。日本国民全員を魅了しようという迫力とエネルギーにあふれた音楽だと思っていて。そういう意味での歌謡曲は大好きだってことなんですね。
大谷 前にもこの連載で語りましたけど、日本の歌謡曲ってジャズの影響をすごく受けてるんですよね。
スージー ジャズとラテンですね。ひょっとしたらラテンの影響のほうが大きいかもしれない。
柴 ですよね。
スージー あとはカンツォーネとかロシア民謡とか、とにかく世界各国の音楽を取り入れてる。それを日本人が魅了するものとして作り上げた音楽と捉えてます。
柴 そういえば、前回の記事で「どうやら『昭和歌謡』って、僕が最初に雑誌で使った言葉らしい」と語ったんですけれど、それより前に使われてたという指摘がたくさんあって。まず村上龍の『昭和歌謡大全集』が94年に出てたという。これはたしかにその通りだった。
大谷 そうだ、たしかに!
柴 昭和の時代にすでに「昭和歌謡」という言葉は当然あったということですね。
大谷 歌謡曲にもいろいろな曲があると思うんですけど、「この曲がすごい」というのはあります?
スージー えー、歌謡曲とは、1972年に発売された、ちあきなおみ「喝采」のことです。
大谷・柴 ほー!!
スージー 歌詞のストーリー性、メロディの人懐っこさ、ちあきなおみの爆発的な歌唱力。すべての歌謡曲の良さがこの曲に凝縮されてますねえ。僕のオールタイムナンバーワンです。
大谷 たしかに。「いつものように幕が開き 恋の歌うたう わたしに届いた報らせは 黒いふちどりがありました」って、情景が思い浮かぶもんなあ。
スージー 出来過ぎです。
大谷 前にも話したんですけど、阿久悠さんが書いた「津軽海峡冬景色」の「上野発の夜行列車おりた時から 青森駅は雪の中」って、行ったことのない僕も想像するような情景描写じゃないですか。でも、2000年代のJ-POPって「空の上で」とか「翼を広げて」みたいな曖昧な表現になっちゃった。ポップスって、実は固有名詞を使った具体的な描写であればあるほど、思いが伝わりやすい。歌謡曲の歌詞って、そういう意味で本当にすごいなと思うんですよね。
スージー サザンの曲もそうなんですよね。さっきは「意味がわからない」と言ったけれど、聴いていると映像が浮かぶ。そういう意味では極めて歌謡曲的だと思います。
柴 ただ、ちあきなおみさんの「喝采」は、ちあきなおみさん本人が書いた曲ではないというのが重要だと思うんですよ。作詞家が別にいて、その人が脚本を書くように歌詞を書く。歌手はその曲に描かれた情景や心情を演じる。つまり歌謡曲における歌手の役割って、俳優と同じカテゴリーなんですよね。
大谷 なるほど、そういうことか。
柴 一方で、60年代から70年代のフォークを発端にシンガーソングライターとの人たちがポップスの世界を席巻するようになっていった。これは僕の定義なんですけれど、シンガーソングライターが出てきたときに、歌謡曲というのが「ポップスすべて」から「ある一つのジャンル」になった。歌謡曲というのは「作家が歌手に歌わせる曲」で、そうじゃなくて自分で作った曲を自分で歌う人たちの曲が「ニューミュージック」と呼ばれるようになっていった。
スージー まさしくそうですね。同感です。広島から出てきた吉田拓郎という青年が「自分の言葉で自分のメロディーを歌ってやる」と歌謡曲の世界に対抗した。そこが発端になった。
大谷 なるほど。歌謡曲へのカウンターだったんだ。
柴 そういう意味で、70年代に歌謡曲という言葉がポップス全体から一つのジャンルになった。そしてだいたい昭和の終わり頃から「J-POP」という言葉が普及して、歌謡曲というものがノスタルジーの対象になっていった。
大谷 僕はスージーさんの本を読んで思ったことは、ある種、歌謡曲に死刑宣告をしたのが桑田佳祐なんじゃないかってイメージがあるんですよ。
スージー そうですねえ。
大谷 でも、サザンの『葡萄』とか最新のソロアルバム『がらくた』とか、今の桑田さんがやってることって、いわゆる歌謡曲的なものになっている。そこも桑田さんっぽいなって。
スージー 僕はそこが最近の桑田佳祐のいいところだと思うんです。ノスタルジーというより、自分が年齢を重ねていることを肯定している感じ、もっと言えば死を意識しているところがある。
柴 というと?
スージー 無理やり若ぶって男女の恋愛とか歌うんじゃなくて、60代の桑田佳祐の視点で本音の部分を歌ってると思うんですよね。
大谷 格好つけてないですよね。
スージー それで、少年時代に聴いた歌謡曲というルーツに、もう一度戻ってくる。そこがいいんじゃないかという。
大谷 そう考えたら、桑田さんのやってきたことって、一貫して歌謡曲だったってことじゃないですか? サザンの初期も、大好きな洋楽を日本語で歌うというところから始まったものだけど、それがそもそも歌謡曲的だったというか。
スージー そうかもしれませんね。
柴 たしかに、桑田佳祐ってシンガーソングライターなんですけども、なんと言うか、自分の中に作家と歌手の両面があるように思いますね。舞台設定をして脚本を書くように歌詞を書いているというか。
スージー そうなんですよね。全部入ってるんです。
大谷 さすがだなあ!
柴 なので、次回は桑田さんの最新作『がらくた』について、掘り下げていきましょう。
構成:柴那典